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ハッセルブラッド・開発の歴史 1/2

 中版フィルムカメラ・Hasselbladの開発の歴史を調べてみました。「ハッセルブラッドはどのような経緯で生まれたのか」を全2回で紹介します。

 ハッセルブラッドとは何か。ハッセルブラッドとは会社名であり、創業者の名字であり、カメラのブランド名である。
 ハッセルブラッド社の始まりは、執筆時の2022年から時計の針を180年あまり巻き戻す必要がある。1841年、スウェーデンの西にある工業都市のヨーテボリにF.W. Hasselblad&Coという会社が誕生した。創業者は、フリッツ・ヴィクター・ハッセルブラッド。といっても、この人物がカメラを開発したわけではない。創業時の事業内容は、旅行用品や家庭用品を扱う貿易会社だった。

 F.W. Hasselblad&Coが写真業に手を広げたのは、フリッツの息子(つまり2代目の)アーヴィッド・ヴィクターの代からである。アーヴィッドは1885年に写真用品の輸入を開始し、1887年にはポストカードの制作・販売などを行う写真部門をスタート。1888年にはイギリスでコダック創業者のジョージ・イーストマンと出会い、写真用品の開発を手掛けるイーストマン・コダック社の総代理店となった。
 それをきっかけに、F.W. Hasselblad&Coは「スウェーデンで一般向けに写真を広めた会社」として有名になり、カメラ部門は急速に拡大していく。1908年にはハッセルブラッド本社から写真事業を切り離し、現在までその名の残るVICTOR HASSELBLAD ABを設立した。
 VICTOR HASSELBLAD ABは店内でカメラの販売をしていたものの、製造はしていなかった。同社が一般向けにカメラの製造を開始するのは、第二次世界大戦終結後の1948年からである。
 歴史に残るカメラ・ハッセルブラッドを世に生み出したのは、アーヴィッド・ヴィクターの孫(創業者のフリッツ・ヴィクター・ハッセルブラッドからすれば曾孫)にあたるヴィクター・ハッセルブラッドだった。

 ヴィクター・ハッセルブラッドは、好奇心と独立心の強い人間だったようだ。実際にそういった資料があったわけでなく単に筆者の想像にすぎないが、彼の年譜を調べるとそのように思えてならない。
 ヴィクターは10代から、鳥の観察に興味を持つ。「鳥を撮りたい」の思いから、撮影機材であるカメラにも関心を持った。最初はアメリカ製の大型カメラであるグラフレックスを使っていたが、大きなネガを得られるものの取り回しが悪く、上空を撮るのが困難だった。そこで使用カメラを、35mmライカに切り替えている。1935年には "Flyttfågelstråk"(Albert Bonniers Förlag, Stockholm)という、鳥を撮影した本を出版している。モノクロ写真で構成され、その90%はライカで撮影されている。

 ヴィクターは16歳で学校をやめ、ヨーロッパとアメリカへ単身でカメラ修行の旅に出ている。1923年〜1925年にはパリのコダック・パテ社とドイツのツァイス社で働いた。1926年からはアメリカ・コダック本社にて、写真やカメラの知識・技術を習得する。

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