どこかズレてる脱・石炭火力発電を巡る議論

 今月になって、日本政府(経済産業省)が、「2030年までに旧式の石炭火力発電所の9割を廃止または休止する」というニュースが流れた。SDGsやパリ協定に関心を持つ向きにはそれなりの反響をもたらしたかもしれないが、相変わらずピントが外れた議論をこのタイミングで出してくるあたり、半ば確信犯として二重人格を演じているのではないかとさえ勘ぐられても仕方ないのではないかとさえ思う。

 新聞報道も二極化の様相。日経新聞が小泉環境大臣を持ち上げれば、読売新聞は環境省が譲歩して高効率石炭火力発電がギリギリのところでメニューに残ったという読み解きだ。

 世界はこのところ、ブレることなくずっと諦めずに、持続可能性の議論をしてきている。当たり前だがその中には国益を巡る丁々発止の綱引きも、虚々実々の取引も、さまざまな形で織り込まれている。最低限、自身がその中にいた1992年以降現在に至るまでのところ、この認識から大きく外れた動きはない。

 ところが、日本の脱・石炭火力発電を巡る議論は少し違う。語られるのは高効率石炭火力発電が持つ技術のすばらしさであり、世界に広く分布する石炭資源を有効活用できることの経済的なメリットであり、それが貧困削減にどう寄与するか、というロジックが中心なのである。確かにたとえば中国は、依然として石炭火力発電を輸出する攻勢をかけているという事実がある中で、下手に引き下がれないという事情もあるのかもしれない。需要は途絶えないのだから、日本が引けば中国の独壇場になる、という議論だ。

 すでに日本ではパリ協定を進めようとする際の提言をまとめたTCFDへの賛同を明らかにした大企業が250社以上、再生可能エネルギー100%化をうたったRE100への署名が35社、英国の格付け機関CDPの審査で最優秀のAリスト入りした会社が38社もいる(2020年7月現在の話)。他方で石炭火力発電への投資残高では中国についで世界2位だという。

 国内の現行政策ではRE100 が劣位に置かれ、再生可能エネルギーを使いたい企業でも使えないのではないか、というような不条理が懸念されたりする。グリッドの優先権は石炭火力発電にあるから。

 ローコンテクストな議論では、ロジックをどれだけしっかり相手に訴求するかがポイントになる、同時に相手のロジックをどれだけ正確に理解しているか、も大きい。世界は貧困削減よりも再生可能エネルギーを優先しているのか?そういう議論へ積極的に展開すべきではないか?揚げ足を取られることを警戒するあまり、石炭活用のメリットを喧伝しないところに「分かってほしい」的なハイコンテクスト文化の限界が見え隠れする。

 世界は果たして何をどうすべきなのか?という大きなデザインを、まず日本は提示すべきではないのか?その中で高効率石炭火力発電が正当化できるというなら、それを提案すればいい。国際社会の議論と個別商談の競争と、次元が違いすぎる二つを敢えて整理せずに放っておくというやり方は、果たして戦略的な対応と言えるのか?

 地球益、みたいな議論を進めるべき時代なのに、国益に絡めとられた大国のせいもあって議論はむしろ逆行している。その中でも国益さえ明確に示せない日本は混沌の象徴みたいな立ち位置に自らを追い込んでいるように見えて仕方がない。むしろ地球益、を提議するチャンスだと思うんだけどなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?