洗濯物を取り込むだけで
学校ではなぜだか全員が恵まれた今どきの子供という前提だった気がする。
私は沢山の小学校に通ったから、全部、とは言えないんだけど、なんか基本的にはそうだった。
明確に訳ありとして転入した先ではそんなことなかった。運が良かったのは、DVから逃げて苗字も変えて母親と暮らせない子供に対して恵まれている、と言うようなひどい大人はいなかったこと。言う人もいるらしい。まあたくさんの学校があって、大人がある。
全員が恵まれた今どきの子供という前提で話を進める大人はいて、道徳の授業も結構そうだった気がする。貧乏は昔話、というような。
ボロボロの服を着たクラスメイトはどんな気分だっただろう。とはいっても、私も貧乏だったけど、服はお下がりを駆使しておしゃれはしていた。お腹いっぱい食べていた。
(大人になって自分の想像よりとんでもない貧乏だったと知ったので、これは母親のとてつもない努力の結果だ)
小学校4年生くらいの記憶、正確には覚えてないけど、道徳の授業で、週に数回、家族の帰りが遅い日に、洗濯物を取り込む主人公の話があって、週に数回洗濯物を取り込むだけで「すごくお手伝いをしている」という単元の扱いにびっくりしたのだった。
だって、畳まないのだ。取り込んでテレビ見て留守番をしているなら、その間に畳むべきだと思った。当時、私は毎日、洗濯物を取り込んで畳んでいた。テレビを見ながらだらだら洗濯物を畳み、そのあと風呂を掃除する。それが「毎日のお手伝い」だった。特別なことではない。
そりゃ大人の私は、小さい子に対して、洗濯物を取り込むだけでもえらいと思えるけど、同じ子ども同士では、「なぜ畳まない?」が先に出る。もちろん畳み方に独特の流儀があったり、子供に畳ませたくない親だっているかもしれない。それぞれのご家庭のことである。
しかし、週に数回だけの子に、なぜ私が偉いねと言わなきゃいけないのか(いや、言えとは強制されてないが、雰囲気として)、教室の子どもたちは皆手伝いをしていないという前提なのか。都心部の小学校で、共働きは当たり前で、専業主婦や、母親が週数回のパートをしている家庭のほうが少数派だ。
この単元はなんなのか?
わけがわからなかった。
私も空気を読んだから、「洗濯物を取り込んで放置したらシワになるので畳んだ方が良い」とは言わなかったけど、なんか嫌な気持ちになった。
なんだったんだろう、あれって。
小6のとき父親と住んでいたときは、全てを自分でやっていたけど、私みたいに一時期じゃなくて、ずっとそうだって子はいたはず。そういう子は「単元」には出てこない。出てきて称揚されても困るけど、今で言うヤングケアラーはたくさんいるだろうに、別に誰も助けてくれない。
ただ、私が恵まれていたと思うのは、幼少期、直接的に、まだお前は恵まれている、耐え忍べと言ってくる大人がいないことだった。苦労人のいい子、と思われることで私はいい子でいられた。
(だから高校に入って、「恵まれている」という強い扱いに驚いた。公立高校なのだから、苦学生はいくらでもいるはずなのにね。)
私が毎日、テレビを見ながら洗濯物を畳んでいた間、自分を高めるための時間に出来た子供たちがいる。正直、羨ましい。みんな(全員じゃないけど、私の中ではみんなだった。子供の頃ってそうでしょう?)私立中学を目指してる中、私はだらだら洗濯物を畳む。それぞれの苦労はあろうとも、自分の身になる努力というのは素晴らしい経験だ。再放送のドラマを見てるのは、そりゃ楽しかったけど、それしかなかっただけ、とも言える。
普通にすらなれないのに、分不相応な夢ばかり見る。
いや、普通にすらなれないから、こそ?