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『ブスなんて言わないで』の既刊を全て読みました


きちんと読んでいないという負い目から、作品名を出さずに記事にしてしまったこと、よくなかったです。申し訳ありません。

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前記事の1巻まで読んで、怒りが湧いて断念した作品は、『ブスなんて言わないで』という漫画作品である。
読んだのはリアルタイムで、2話までは楽しみにしていたが、3話を読んだ途端、怒りが湧いてしまった。どうして私はこんなにずっとずっと怒っているのか、自分でもわからず、短く、自己中心的に記してしまった。スペースでアドバイスをいただき、きちんと既刊を読んで、改めて考えることにした。

現在1巻が無料キャンペーン中である。

ぜひ読んでみてほしい。

※以後、内容に言及します

高校時代いじめられ、それから顔を隠して生きている山井知子、33歳。
美人で、美容専門家として成功している、白根梨花、33歳。

奇しくも、私と同い年である。
彼女らは、高校3年生のとき、同じクラスだった。
山井は「ブス」と言われひどいいじめを受けていて、白根はクラスの中心グループに居るギャル。山井は白根のことをいじめの中心人物だと思っていたが、白根は実は山井のことを好いており、自分を貫く姿に憧れていた。
白根は、中学時代から見知らぬ男子に告白されたり、それを女子生徒に嫉妬されることに苦しんでいた。目立って美しい自分の容姿のせいだと知り、3年になってイメージチェンジをはかりギャルになったのだった。
いよいよ不登校になった山井が卒業式に来たとき、白根は「いじめを止められなくてごめんね」と謝る。しかし山井は白根こそ中心人物だろうと言う。
白根は「美人は勘違いされやすい」という言葉を思い出し、「やりたいことをやって生きていこう」と思う。

これが彼女らの高校時代のエピソードだ。私がなぜ怒りを感じたかといえば、「白根の苦しみというものはそんなこと大した事ないだろう」と思ったからだ。もちろん苦しい経験だろうが、いじめの傍観者という加害に比べたら、たいしたことないと思ってしまう。それは、私自身の経験と勝手に比べてしまったからだろう。

山井の受けた、精神的、肉体的暴力を、私は家庭内で受けていた。
だから、そのいじめの傍観者に対しても強い怒りが湧くのだと思う。

そして、私は、中高時代、同級生から告白されたことはない。
告白される気持ち悪さは知っている。中学生の頃に大学生に告白されたのは恐怖だったし、知らないおじさんに手紙をもらったこともあった。声掛け被害は小学生の頃から日常だった。
学校内では、チェーンメールで私のモデル写真が閲覧され、男子たちは、私の胸の大きさを揶揄していたらしい。だから、同じ学校の人間の「告白」なんてまあ気持悪いけれど、そういうことに比べれば、大した事ないだろうと、軽視してしまっていたのだろう。
また、私は女子生徒に人気で、あからさまな嫉妬はそこまで受けたこともなかった。「美人は得だ」と言われても、褒め言葉だと解釈してたし、全部笑顔で返せばいい。モデルをしていることで悪口を言われていたが、ファンのような女子もいて、私のスクラップブックを作っていた。だから、「嫉妬」も軽視している。

一番怖いのは大人の男性であって、それ以外はたいしたことないと思っているフシがあるのだ。私にとって、迫りくる加害者は全員大人の男性で、それには教師も含まれている。クラスメイトの女子生徒になにを言われても、そんな大した問題だと認識していなかった。

そして、そもそも、中学でも高校でも、恋愛は全く盛んではなく、たぶん交際はあっただろうが、皆に隠れて行われていた。校則が厳しく、更に高校は勉強面でかなりのスパルタ学校だったため、あのようないじめを見たことはない。そういう時間すらなかった。
だから、あのいじめ描写は私にとっては、学校の風景というより、自分が受けた虐待と近しいもので、「自分を持っている」から大丈夫、ということではないとよくわかっている。
作中でも、山井は不登校になる。
心的外傷を負い、顔を隠して生活していることが描かれている。

そうして、大人になった山井は、雑誌で見た白根を殺そうと決意する。

私は、ここにすごくわくわくした。

(ほんとうは首謀者ではないとはいえ、傍観者という加害者である)白根に、何を突きつけるのだろうかと。白根は傍観者であったことをどう謝罪するのだろうかと。

そこが期待ハズレだったから、落胆したのかもしれない。
私はその瞬間の白根の謝罪が見たかった。それが怒りの感情に変わったのだと思う。

私は山井は好きだが、白根は嫌いだ。

6話、「初対面の人にまず見た目を褒められることが多い」そして「自虐」をされるのが困ると白根が思う。
でも、それは、美人を目にした防御反応だ。自虐はなにも生まないし、わたしも居心地は悪いが、それは私にとっての生きづらさからしてみれば、どうでもいいことだ。私も、「初対面の人にまず見た目を褒められることが多い」が、それは相手の生きづらさだ。
私は関係ない。差別的な発言じゃない限り、言わせておけばいいと思ってしまう。

そして摂食障害の経験があるプラスサイズモデル、奈緒美が出てくる。
奈緒美のことは好きだ。私も1年ほど、摂食障害になったことがあり、身内は何十年も摂食障害に苦しんできた。彼女が生き生きしてると嬉しい。
山井の不用意な奈緒美への発言に、白根は泣きながら怒る。奈緒美の苦しみはわかるのに、どうして山井の苦しみにもっと向き合ってあげないんだ、と悲しくなった。眼の前で虐待行為が繰り広げられていたのに。山井のことが好きなんじゃないのかよ。私は山井が可哀想だった。

そしてやっと9話で、白根は山井に謝罪した。しかし、「いじめていない」ことはないと思う。「止めようとしていた」というが、あまりにささいな行動。傍観者であることには変わりない。傍観者も加害者だ。謝罪はうれしかったが、すこしもやもやした。

11話で、「多様性を意識したミスコン」という、「ミスDVS」が出てくる。これはミスiDがモデルだろう。私は初代ミスiDで、その後も多くミスiDに関わっており、内実はよく知っている。そして、ネット投票に苦しむ大河という女性が出てくる。23歳だ。このようなオーディションでは、年長に値する。
白根はこの特別審査員になる仕事を受けたのだった。
私のよく知ってるオーディション。そう、多様性なんてまやかしだ。みんなそれなりに容姿がいい。
ミスiDは一般的なミスコンというよりは、有名になる、または芸能界への切符であって、出版社の主催する「ミスDVS」もそうだろうと思うが、今振り返れば、ああやってネット投票をさせておいて、たいしたサポートもないあくどいオーディションだった気もする。

さて、白根は、ことあるごとに、「勝手に好いてくる男子」「それに嫉妬する女子」のことをつらい経験として思い出している。私はどうしてもそれがわからない。権力勾配のない関係性でのよくある人間トラブルであって、これは美人じゃなくても起こることだ。むしろ嫌われるだけでいじめに発展しないのは美人だからではないかと思うのだ。

そして、26話で、やっと白根が、自分の傲慢さに気付く。
私は遅すぎると怒っている。白根というキャラクターが読めば読むほど嫌いになっていく……
私も「美人」と呼ばれ生きてきたが、ここまで傲慢ではなかったはずだ。
大抵の美人は、「顔のお陰で得してる」ことは一部では事実であると、子供時代に思い知らされたはずではないか?

と、気になる回をピックアップしたが、5巻まで読み終わり、私は白根がなぜ苦手かやっとわかった。
白根が傲慢なのは、美人だからではない。
私には白根の気持ちがわからない。
白根は高校生活をそれなりに過ごし、大学に行けて、出版社に就職できた人だ。キャリアを重ね、独立して社長もしている。容姿の扱いは違えど、心に傷を追い、高卒で非正規雇用で働いていた山井の言葉のほうが響く。
白根の傲慢さは、愛されて育ち、自己肯定感が高く、キャリアを順調に積んだ女性という前提があっての傲慢さだったのではないかと思う。作中、白根自身も反省するが、より弱い存在、マイノリティーに対して、ずっと、あまりに想像力がなさすぎた。
私は彼女を見て、容姿にコンプレックスは持たないが、その想像力のなさにはある意味、嫉妬する。そういう想像力がなくても、生きてこれたということだ。
美しさを暴力で搾取された経験も少なく、幼少期に大人から玩具にされた経験もなく、ミスコンに出て品評されたこともなく、大卒で出版社に就職。

私はもう自分の容姿を売り物にするしかないという諦めで20歳の頃、ミスiDに応募した。そして合格した。時代は違えど、白根はキャリアを積んで審査員の立場だ。同じ33歳だが、それまでの生涯年収も明らかに違うだろう。美人だということには全く嫉妬しないが、彼女の傲慢さを形つくるものには嫉妬する。

白根はラスト、自分の顔を傷つけようとするが、それは今までの傲慢さが反転したものだろう。
実際に容姿に苦しみ、顔にメスを入れる女性たちを知っているはずだ。
山井が床に落ちた食パンを食べさせられたことも知っているはずだ。

私は美人と言われてきたが、虐待を受けて育ち、生育環境は悪く、学歴もない。
キャリアも断絶している。
容姿を売りにする仕事は、すぐ性も売りにさせられる。
私は、性を売れ!と言われ続けてきた。
白根は女性向けの仕事をしているので、ある意味、女体としてではなく、純粋に美人として扱われる機会のほうが多かったはずだ。
嫉妬や誹謗は受けるけども、仕事として、性を搾取されてるように見えない白根が、羨ましい。
私はネットに、いい体だから、5万で紙袋を被せてセックスしてやってもいいと書かれていた。

白根が苦しんでいるのはわかる。
5巻最後はかなり悲壮だ。
しかし1巻から5巻までを読む限り、白根は基本傲慢で、私はどうしても好きになれなかった。嫌いだった。「美人はこういう目に遭うよね」という話も、ピンとこなかった。
勝手に期待され、勝手に嫌われる。それ自体はよくわかる。
私自身も経験がある。
でもそれは、「どちらも苦しみもある」と言ってはいけないことのように思う。
それは、根底にある。

山井は、あくまで顔の造形のみ、世間から「ブス」と呼ばれる容姿である。

これが、皮膚疾患だったら? 重度ニキビやアトピーだったら?
皮膚疾患も、生まれつきの体質であるのに不養生のせいだと誤解されやすい。
白根は、膿で滲んだ顔の少女に、どんな言葉をかける?

私は10代、重中度のニキビに悩まされており、「美人」と言われながら、本当に「美しく」はないと悩んできた。美人なのに可哀想と直接言われたこともあった。
だから少しは、「美人ではない」気持ちがわかるほうではないかと思う。

作品は、様々な形でルッキズムに悩む女性を取り上げている。
しかし、私の怒り(とほぼ妄想の危惧)は、作品自体ではなく、白根というキャラクターに向けられている。
私は、3話の時点で、山井に謝罪しない白根は「ひどい」という感想がどこかにあると思っていた。しかし、私のような反応は見つけられなかった。「美人にも辛いことがあるんだ」という反応が多かった。山井のほうが圧倒的につらい経験をしているのにも関わらず。
作中、山井が「モヤモヤ」するのと同じ「モヤモヤ」を抱え続け、爆発したのが前回のnoteである。
白根の経験を「美人も辛いね」と受容するのは、それこそ「美人が得」のルッキズムではないか?
辛さを相対化するような受容が広まっているのが、もどかしくてたまらなかった。
白根が美人の代表キャラなのが、悔しい。
美人は、みんながそんなに馬鹿じゃない。

虐待、いじめは、傍観者も加害者になりうる。
いじめを止めるには、他者の介入がないとむずかしい。あいまいに話をそらすことではなくて、きちんと「いじめはやめろ」と伝えること。
私もいじめではないが、高校に通えなくなった。幼少期の虐待の心的外傷に苦しんできた。山井がどれだけ苦しんできたか、白根の話でかき消されてないだろうか?

5巻では、顔出しせずにアカウントが伸びるはず思える愚かさ、美人なのにルームシェアの男性にガードがゆるいのもイライラした。危険じゃないか。無防備で危ないよ。ぜんぜん美人の行動じゃないよ、危険だよ!

そう、私は白根が嫌いなのだ。
いじめは、「止められなくてごめんね」ではなく、「傍観者という加害者になってごめん」と謝るべきだと思う。山井が許しても、私は許さない。

もちろん、5巻の最後に追い詰められている白根に対して、そんなことは言わない。
6巻も追いかけ、ルッキズムを更に考え、白根の変化を見届けたいと思っている。

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