1番になりたい、なれない

誰もが1番になりたいと願うわけじゃないだろうけど、私はできるものならやっぱり1番になりたくて、だからといって不断の努力を続けるというタイプではなかったのだった。
もちろん努力はそれなりにするけれども、あくまでそれなりであって、「これ以上どうしようもなくやり切った努力」という経験が薄い。

(ただ自分を擁護すると、精神疾患や発達障害、単純な身体の弱さによって、「普通に生活すること」が苦痛の連続であり、その苦痛に耐えることにエネルギーを使ってしまう、という部分はある。)

1番になった清々しい気持ちで妙に覚えているのは中学の技術の授業で、パソコンでも電子工作でも基本的に私は1番だった。ただ不断の努力は当然しておらず、単に得意なだけだった。ただジェンダー的に女子が得意とされていないことで1番を取った、ということは爽やかな気持ちにさせた。
単に得意なことで1番を取るのは、嬉しいけれど、ちょっと悪影響もある。苦労せずに1番の嬉しさを得てしまうと、それがないことが物足りなく悲しくなってしまうのだ。
じゃあ、努力をしろよ、という話であるが、散々ここで書いてきた通り、私はすぐ諦める。「そんなもんか」「これが私の実力だ」と早々に、思ってしまう。

あなたは本当に優秀なはず。賢いはず。こう言われすぎるのも考えものなのだ。常に体調が悪くて、常に鼻が詰まっていて、自家中毒をしょっちゅう起こす、家庭環境はめちゃくちゃ。そういう子供にハイパフォーマンスを求めるのはおかしい。しかし私は大人を期待させるようで、そのギャップはどんどん開いていく。

ミスiDというオーディションに応募したときも、笑われるかもしれないが、私は1番になりたかった。
私が応募したのは初回で、完全に未知数のオーディションだった。1番になれたら、どんなに嬉しいだろう。ミスiD2013にはなった。6人しか選ばれない、初代のミスiD。でも、グランプリにはなれなかった。
そして、常に、関係者から「あなたはグランプリの子じゃないんだから」と言われる。その意味は、彼女のように容姿が美しくない、ということ。
そりゃ、私は彼女じゃない。年齢も高め。当時、20歳。年をとっている、という扱い。でも、今まで、そこまで露骨に1人の人間を基準に容姿を比べられることはなかったので、何度も何度も傷ついた。
私はハーフのブスな方、ということか?

しかも貶されても、きちんとお金をいただけるような仕事がもらえたわけではない。そういう仕事は、ミスiDからではなく、私の趣味を知った文筆関係の方から頂いたのが最初だ。
私の趣味が仕事になる。文章が仕事になる。どんなに幸福なことだろう。もちろん、仕事をする相手から、容姿を貶されることもない。
私は多分書くことをやめられない。これだけはやめられない。精神を壊し、人生を壊し切った後に、もう全てやめようと思った。でも、やっぱりやめられない。
私はどこかのなにかの1番になりたい。

そういえば、アイドルは誰かの1番になれる仕事だった。

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