処刑少女の考察道:サハラの計画には穴が必要だった
義腕を武器に持つ修道女サハラ。光線砲に狙撃銃や散弾銃、そしてパイルバンカーまで撃てる『絡繰り世』帰りの銀腕少女が『処刑少女の生きる道』小説3巻で登場します。
アニメ1期で小説2巻のリベール編までが描かれた、その次の話になります。これを書いている時点ではコミカライズでも、もうすぐ登場するのではないかと思われます。
そんなサハラですが、小説3巻の主要登場人物である以上、その物語における役割というものがあります。
彼女は、とある計画を立てた上で、主人公であるメノウたちと出会うことになります。その計画が小説3巻の物語を形作っていくわけです。
しかし、作中ではその計画には穴が多く、抜けや綻びがあったと述べられています。
具体的な計画の穴などについては作中で説明されています。確かに、その通りだと感じさせられます。
では、なぜ穴が多かったのでしょうか?
だからそれは作中で説明されているでしょ? と言われるかもしれません。しかし、作中で説明されている経緯は登場人物視点でのものです。
作者は、もっと穴のない万全に近い計画を用意したサハラというものを登場させることもできたはずです。さすがに本当に完璧な計画だと物語にならないかもしれませんけどね。
作者が面白くなるようにと考えた展開を、サハラ視点で説明すると「穴が多かったが、うまいことこうなった」ということでしょう? 創作物ではよくあることでは? そう考える方もおられるかもしれません。
しかし「20年前の最期の言葉に感じる違和感」で考察したように、作者は、とても緻密な伏線と設定をもって物語を描いています。「小説3巻の展開はご都合主義じゃない? もし〇〇だったら、サハラはどうするつもりだったの?」というような読者のツッコミに対する防衛線として「サハラも穴が多いとは思っていた」と書いておいた、などというのは、どうも腑に落ちないのです。
作者は敢えて「穴の多い計画」を設定した。それこそがサハラという人物を表現するために必要だった。
このように私は考えています。
それはどういうことなのか。
サハラの背景や心情について、本編から拾い上げながら考察していきましょう。
もちろん、登場人物の設定や作者の意図などについて、これが唯一の正解と断定するものでは決してありません。
どうぞ『処刑少女の生きる道』本編を読んで抱いた印象こそを大事にしていただいた上で、あなたのサハラを愛していただけたら嬉しく思います。
本編をあなたの精神で感じることで、あなたの魂に投影された立像。それこそが、あなただけの純粋で大切な、彼女の物語のはずですから。
本記事のネタバレ警告
この記事では、小説7巻までの内容を踏まえて考察しています。
特に小説3巻の多くの部分のネタバレになる他、小説7巻時点での登場人物たちの状況にも触れています。
現在、本編を読み進めている方。あるいは、情報はまず本編から得て楽しみたいという方。
まずは本編を存分にお楽しみいただいてから、この記事に帰ってきてください。
コミカライズやアニメにおいて港町リベールまでの展開をご存じで、その先をそれぞれの媒体で待っているという方も、まずは本編でのサハラの登場を待っていただくことをお勧めします。
オーウェルやマノンと比べても穴の多い計画
それでは具体的にサハラの「穴の多い計画」の概要を振り返ってみましょう。
確かに、綱渡りというより、自身では関与できない要素の多い「賭け」に近いとすら感じます。
実際、メノウとアーシュナはオアシスで情報交換まではしていました。その際にメノウは「指名手配犯」といえば『鉄鎖』の幹部だと思い込み、アーシュナたち騎士側はサハラのことだと思い込んだまま、会話のすれ違いを起こします。しかし、これはほとんどただの偶然。水着になったことで浮かれていたのかもしれません……読者もね。
オーウェルの計画が長年に渡る大規模なもので、アカリが回帰を重ねた末でなければ、返り討ちに遭うことなどありえなかったこと。
マノンの計画が破滅的なものに見えつつも、自身が禁忌になるという目的自体はメノウには止めようもなかったこと。
これらと比べると、サハラの計画の方が浮いて見える程です。
敢えて穴の多い計画に設定したのではないかと考えたのは、グリザリカ編とリベール編、同じシリーズ内で既に現れた二人の敵役との比較からでもあるのです。
二人とサハラとでは何が違うでしょうか?
オーウェルには『主』への信仰心がありました。晩年は教典を手放してしまいましたが。第一身分である以上は孤児のはずですが、メノウにとっての『陽炎』のように、人格形成の過程においては『主』の存在や教会組織に導かれたことでしょう
マノンには母親がいてくれました。生き別れた長女のことを想いながらも、マノンのために手を尽くし導いてくれたであろうことは「マノンの強さと母の想い」「マノンの母親とシシリア司祭」で考察しました。
それでは、サハラについてはどうだったでしょうか?
彼女のことをより深く理解するためにも、背景設定を読み込んでいきましょう。
親がいない
町がまるごと人災で消されたというメノウの出自も衝撃的ですが、親の意思によって売られたという事実には重いものを感じます。
人身売買組織でこのように扱われるかもしれないことは、親も分かっていたかもしれません。
ちなみに「人災化する前に殺す意味」では、原罪魔導の生贄にされた命は通常の死と異なり輪廻転生ができないかもしれないと考察しています。
ということなので、両親はサハラを売り飛ばしたものの程なく亡くなったと思われます。
売り飛ばされたことで家族と縁が切れたために修道女になったわけではなく、やはり孤児であったということですね。
このように思っていたというのは、もしかしたら、財力さえあったなら親も自分を優しく守り育ててくれたはずなのに、という意識があるからかもしれません。
親に対する恨みの表現は見当たらないように思います。
彼女は親に大した情を抱いてもいなければ、強く恨んでもいない。力がなかったから自分に優しくできなかったと分析しているとすれば、まるで他人事のようです。
優しくしてもらえなかった、売り飛ばされた、などと恨んでいれば、それはそれで親の存在が心の中にあり続け影響を与えるわけですが、彼女にはそういうものがないのかもしれません。
師がいない
こうして彼女は、処刑人を育成する修道院に引き取られます。
小説7巻で登場する『教官』の指導も受けましたが、尊敬できる師にはなり得なかったようです。
その『陽炎』もメノウを専属に近い形で指導するばかりで、サハラを師として導いてはくれませんでした。
『陽炎』に師事したメノウ、メノウを大好きになっていったモモと比べ、この時期のサハラは荒れて迷走しています。
あれ……荒れてたのはどっちかな……。
緻密に構成されているこのシリーズにおいて、わざわざサハラの計画を穴の多いものとして描くことには理由があるはず。
彼女を小説1・2巻の敵役と比較して考えた上で、その出自から処刑人候補であった時代までを追ってみました。
彼女を導く存在が、まだ見えてはきませんね。
次回は、彼女がメノウたちの修道院を離れてから再会するまでを振り返った上で、見えてくるひとつの道について考えてみたいと思っています。
「持ち越しかよ!」と残念に思われる方もおられるかもしれませんので、サハラの武器についても余談として紹介します。
処刑少女のパイルバンカー
サハラの右腕は変形し、「スキル:杭打ち」を発動することができます。
小説3巻ではメノウの教典魔導の防壁を打ち砕き、同7巻では強敵を一撃で吹き飛ばしました。
当てることさえできれば確殺という浪漫武器。
ロボットものなどのフィクションで登場する印象が強いかもしれないパイルバンカーですが、実在する道具であることはご存じだったでしょうか?
その用途のひとつは、家畜を一撃で、できるだけ苦しませずに処理すること。
つまり処刑用の武器なのです。
参考動画:【ボトムズAT武器解説】パイルバンカーとは?杭で攻撃する射突型ブレード(武器屋のおねえさん)
書題の「処刑少女」が主人公メノウのことを指していることは言うまでもありません。
しかし、アイアンメイデンを使っていたマノンは【魔】の処刑少女。処刑人の剣で戦うミシェルは【龍】の処刑少女。そのような意味も見出すことができるかもしれません。(実際に処刑に使われたかどうかは諸説あるようですが、いずれも実在する器具です)
メノウは【白】から【時】の処刑少女になったといったところでしょうか。
パイルバンカーを使うサハラもまた【器】の(そして【魔】も受け継いだ)処刑少女なのです。
このように考えてみると、この先の展開がまた一段と楽しみになってきませんか。
『陽炎』は【光】の処刑……少女? と首を傾げた人は修道院裏に来なさい。
お読みいただき、ありがとうございました。
『処刑少女の考察道』では本編から材料を拾い上げて、登場人物たちの設定についてより深く楽しむきっかけになれるような考察をしていきたいと思います。
それによって『処刑少女の生きる道』の魅力がより多くの方々に伝わることを目的としています。
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