処刑少女の考察道:なぜ『陽炎』は目を細めたのか?
彼女は、幼い子供の前でその母親を殺しました。周囲を巻き込むような力を使わせないよう、その子を盾にしたのです。
加えて、その子が母親のような特別な存在ではないことを宣言し、二重に心を折りました。
そして子供の目の光が失せたのを見て、目を細めました。
小説『処刑少女の生きる道』の主人公を引き取り「処刑人」として育てた『陽炎』とは、こういう人物です。
小説1巻ではまず、身寄りのない主人公を旅の道連れとして拾ってくれたことが回想され、不器用ながらもあたたかい印象すらもって登場します。
主人公は彼女を師と仰ぐことを決め、生きる道の目標としました。
しかし次第に、その教えの異常性が描かれていき、小説1巻の最後では主人公たちの運命に不吉な関わりを持つことが明らかにされます。
そして小説2巻では冒頭で紹介したような場面が描かれ、手段を選ばない冷酷さに加えて、子供の目の光が失せたのを見て愉悦を感じるような嗜虐的な印象すら抱かされるつくりになっています。
彼女がどのような人間で、果たして何を考えているのか――ということは、その先の物語においても緊張感と奥深さを生んでいきます。
ある時点で物事の事実関係については説明がされ、膨大な量の伏線が鮮やかなまでに回収されるのが、この物語の凄いところです。
(未読の方は、騙されたと思って本編を読んでみてください。騙されませんから)
しかし現実がそうであるように、人の心の内面については目で見て確かめられるものではなく、また口にした言葉が全てとは限らないもの。
そこに読者の想像の余地が多分に残される奥深さも『処刑少女の生きる道』の魅力だと思います。
今回は、なぜこの時に『陽炎』が目を細めたのかを考えることで、この作品の緻密に編まれた人物表現を感じてみたいと思います。
この記事のネタバレ警告
この記事では、小説6巻までの内容を踏まえて考察しています。
現在、本編を読み進めている方。あるいは、情報はまず本編から得て楽しみたいという方。
まずは本編を存分にお楽しみいただいてから、この記事に帰ってきてください。
ただし本記事の内容は、あくまでひとつの解釈に過ぎませんし、仮に的を射ていたとしてもたくさんの伏線の内のほんの一つであるはずです。
お読みいただくことで、本編を更に先まで手に取る意欲が湧くこともあるかもしれません。
あくまで自己責任でご判断の上、お読みください。
一般的な「目を細める」という表現
今回取り上げる場面で『陽炎』が「目を細めた」という表現がされているのは、小説でのことです。
アニメとコミカライズでは、そうではなかったという描写もありませんが、明確に描かれてはいません。おそらく意味があってその瞬間の表情を見せていないのだと思いますが、媒体によって設定や展開が異なっている可能性はあります。
さて、ネタバレ警告を過ぎたので具体的に言及していきますが、問題となるのは『陽炎』がマノンの母親を殺した場面です。
という記述で始まりますので、マノンが回想しているという視点です。
短剣で刺された母から純粋概念【蝕】が放たれようとした時、
と『陽炎』が指摘したことで、母親は発動を堪えたまま息絶えました。
そして踵を返した『陽炎』を、マノンは引き留めます。
しかし『陽炎』から「純粋概念は遺伝しない」ことを初めて知らされ、次のように続きます。
「目を細める」という表現は、嬉しい気持ちを感じて笑みを浮かべるという意味で広く使われています。
だから「目の前で母親を殺された上に、自身は特別ではないと宣言された少女の反応を見て、嬉しくなって笑みを浮かべた」という読み取りは、ごく自然なものといえるでしょう。
そうした印象が間違っている、という根拠は実はありません。
その方が一般的な読み取りなのです。
しかし物語を読み進めていくと、彼女が「目を細める」という表現は複数の意味で使われていることが分かってきます。
「つまらなそうに」「不機嫌そうに」目を細める導師
この場面では導師『陽炎』は、人の心を折り砕いたことに愉悦を感じるのでなく、それによってメノウの気力が失せた様子に対して「つまらなそうに」目を細めます。
彼女は、つまらないと感じた時にも目を細めるのです。
では、マノンに対してもそうだったのでしょうか?
そうかもしれませんが、これも違うのではないか、と思わせる描写が他の箇所にあります。
成長したマノンと対面した際、『陽炎』はこう言っているのです。
実はマノンについては忘れていて、彼女について調べ直してからこの場にやって来た――という可能性も理屈の上では有り得るのですが、この場面ではかなりの字数を費やして『陽炎』がマノンを覚えていたと描写しています。マノン視点ではありますが。
相当量の字数をわざわざ費やしているということは、『陽炎』が覚えていた様子には意味があると読み取るべきだと考えます。
マノン・リベールは『陽炎』にとって忘れられない存在だった。
だとすれば幼いマノンを「つまらない」と思って目を細めたという解釈には少し無理を感じます。
もうひとつ、こちらは、計画になかった部外者の出現に対する反応です。列車の中です。
マノンの母親の処刑は残酷なまでに順調に済みましたし、計画になかった状況に不機嫌になるとすればマノンが引き留めた場面のはずであり、目の光が失せた時点ではないように思います。
人間味にあふれた仕草
これはメノウが回想する場面ですが、つまりこういうことだったのではないかと思います。
マノンの母親を殺した時、『陽炎』は親子とは初対面であったと思われます。
自分とリベール家との過去の関係を懐かしく思い出したわけではないはずです。
では何を思い出すための仕草だったのかといえば、それは『陽炎』自身の過去でしょう。
母親の死を目の当たりにした娘を見て。その目の光が失せたのを見て。
『陽炎』は自分の過去にあった何らかの体験を思い出したのです。
ちなみに『陽炎』も含め、第一身分は全て孤児です。
この考察が間違いないと裏付ける根拠は、今のところありません。
けれども、もしそうなのだとすれば。
他人の置かれた状況に、自分が過去に経験した痛みを重ねていることになります。
それは共感と呼ばれます。
マノンの母親を処刑したことには合理性があります。
リベール城の中で純粋概念が発動していたら、マノンも含めた多くの人が命を落としたかもしれません。
純粋概念が遺伝しないことも単なる事実です。
『陽炎』は、自己弁護に徹してマノンの感じた痛みは「仕方がなかった」と目を逸らすこともできたでしょう。
それでも『陽炎』がマノンの痛みに共感したのだとすれば。
そういう人をこそ「清く正しく、そして強い」――そう呼んでよいのではないでしょうか。
ちなみに『陽炎』が過去を思い出して目を細めたと思われる描写は少なくとも、もう一箇所あります。
小説6巻で「手が空ぶった」場面です。
詳細はここには書かずにおきます。
おまけ 卒業
修道院を卒業するメノウに黄色のケープを贈った時。
この時に目を細めたのは、どのような心境からだったのでしょう。
本文には書いてありません。
けれども、その心境を思い量るための材料は各所に散りばめられ、そして全編を通じて矛盾がありません。
『処刑少女の生きる道』とは、こういう作品なのです。
あなたの抱いていた導師『陽炎』の印象は、変わったでしょうか。
それとも、印象通りの人であり続けているでしょうか。
お読みいただき、ありがとうございました。
『処刑少女の考察道』では、このように本編から材料を拾い上げて、登場人物たちの言動をより深く楽しむきっかけになれるような考察をしていきたいと思います。
それによって『処刑少女の生きる道』の魅力がより多くの方々に伝わることを目的としています。
更新はTwitterでもおしらせします。
イラスト素材:イラストAC ELZ 様