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第1話 架空の人物になりすまして生活保護費約1200万円を不正受給した男の話。

 前回の「序章」にて、生活保護の不正受給は、年間約3万2千件あることを厚生労働省発表の統計(令和元年)をもって説明しました。
 では、その3万2千件の不正受給の内訳はというと、

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 稼働収入の無申告または過少申告が約6割のようです。つまり、生活保護の不正受給とは、その多くが「働いて得た収入を申告しない」という不正なのです。追々、具体的な事例を紹介していきますが、ここでは、これからする話の前置きとして、ざっくりとそう捉えて下さい。
 そんな中において、まれに、統計にはけっして載らない「特殊な事例」が発生しています。
 平成29年11月末、東京都江戸川区内で発生した不正受給がまさしくその特殊な事例。当該事件は、容疑者の男の逮捕時、その内容の特殊性から、テレビのニュースで報道され、また新聞紙面をも飾ると、ネット上で話題を集めたのでした。

<架空の人物名で受給していた>
 夕方に放送されたテレビのニュース番組で、「生活保護費1200万円詐取か」とのテロップと共に、中年の男が逮捕拘留されている警察署から、検察庁に押送されていく様子が映像として流された(そのワンシーンがトップの写真)。
 その時、女性アナウンサーが淡々と読み上げた原稿の内容は次の通り。
「実在しない人物の名前で生活保護を申請し、不正に受給したとして、警視庁小岩署は、詐欺容疑で派遣社員 佐倉田浩二 容疑者(さくらだ こうじ・仮名・53)を逮捕しました。佐倉田容疑者は、東京・江戸川区の福祉事務所で、実在しない「桜田章」(さくらだ あきら仮名)という住所不定で無職の人物になりすまして生活保護を申請し、生活保護費約150万円をだまし取った疑いが持たれています。警視庁によりますと、佐倉田容疑者は他の給付金を申し込む際に、うっかり実名を書いた書類を提出し、顔を知っていた職員が嘘に気が付いて不正が発覚したということです。佐倉田容疑者は、容疑を認めていて、不正受給額は6年間で計約1200万円に上るとみて同署が調べています」
 いやはや、偽名で生活保護を受給するなんて、このなんとも珍しい事件の報道に、多くの視聴者が驚き、疑問を抱いたに違いない。
 案の定、この報道直後から、ネット上には様々な書き込みが飛び交い、いわば炎上状態となった。

「なんで偽名で生活保護受けれるんだ?」

「どんな手段使ったのか教えろ!」

「役所は調査しないのか?」

「こんなの役所の業務怠慢だろ」

「だから生活保護は現物支給にすべきなんだよ」

「これも人権派が作ったナマポスキームの功績だろうな」

「アホの佐倉田」

 これらネット上における数々の書き込みの中で、もっとも多く見られたものは、役所の怠慢を指摘する声であった。
 偽名での申請が通ってしまうとなれば、多くの国民は、役所の不手際であると感じるかもしれない。
 だが、これまで生活保護に纏わる問題を専従して取材してきた筆者が、おこがましくも専門家の意見として言わせてもらうと、たしかに、役所の不手際ということも否めないだろうが、それに止まらず、生活保護制度の性質上、どうしてもこのように偽名での申請を防げない場合がある、というのが率直な感想だった。
 次のように言うと、批判の声が飛ぶことでしょうが、誤解を恐れず言わせてもらいます。

 実は、「生活保護は偽名でも受給できる」のです。

 勘違いしてほしくないが、なにもそれが許されるとは言っていません。もちろん偽名で保護の申請をするなんてとんでもない行為であり、発覚すれば、この佐倉田容疑者のように警察沙汰になる可能性もあります。
 筆者がいう「偽名でも受給できる」というのは、偽名での申請を、水際で食い止めることができない可能性が高いということです。

 例えば、生活保護の申請を、役所に住民票を取りに行くことと比べてみましょう。
 住民票の取得は、誰しも一度は経験があることでしょうから想像しやすいと思いますが、市(区)役所の戸籍課窓口に、「住民票の写しの請求書」を提出し、合わせて公的な身分証明書をして、本人確認ができれば、住民票が発行されますよね。
 ここで、本人確認は必須であり、もしも、申請者が身分証明書の類を一切所持していなかったらどうなるでしょう。申請者が、窓口の職員に対して、どんなに「私が本人で間違いありません!住民票を発行してください!」と力説しても、発行されることはないはずです。
 べつに、行政が住民票を発行を拒んでも、この日、申請者が野垂れ死ぬということには繋がらないのだから、こうした対応がされても何ら問題はありません。
 翻って生活保護の申請はどうでしょうか。
 生活保護を申請に来る人というのは、今まさにお金に困っているから申請に来るわけです(まあ、中には『本当はお金持ってるのに・・・』という人もいるが・・・)。
 困窮の度合いは申請者によって異なりますが、「残りのお金は、今ポケットの中に入っているわずか数百円しかありません。今晩泊まるところもありません」という逼迫した状況である場合もあります。
 仮に、そのような状況の人が申請に来ているのに、「本人確認ができないから申請はできません」などと、福祉事務所が突き返してしまったら、それこそ生活保護制度はセーフティーネットとしての機能をなしていません。
 保護申請を受け付けた後は、当然、申請内容に基づいての調査が開始されます。ここで問題となることは、生活保護の支給開始は、迅速性が要求されることです。調査結果がでるまで支給の開始を留保することはできません。そのため、もしも、身分証明書を持たない申請者が、申請書に記載した氏名やその他個人情報がまったくのデタラメのものであったとしても、申請内容に基づいて生活保護が開始されてしまう可能性は高いといえます。
 生活保護制度の実態をそれほどご存じない方にとっては、突然、このような話をされても、しっくりこないところかもしれません。「そんなバカな」と感じている読者がいるかもしれません。ですが、これは紛れもない事実であり、これが生活保護という制度なのです。
 ですから、筆者は、佐倉田容疑者逮捕の報道後にネット上でされた「行政叩き」ともいえる書き込みの数々を見て、やや酷であるとの印象を持っていました。とはいえ、6年間も偽名を見破れなかったことは怠慢を指摘されても仕方がないのでしょうか。報道内容だけでは不明というところでした。
 いずれにせよ、筆者はこの事件を取材することにしました。
 その後、佐倉田容疑者は、詐欺罪で起訴されて、被告となり、東京拘置所に移送されました(生活保護の不正受給は、詐欺罪もしくは生活保護法違反に問われる)。
 そこで、筆者は、東京拘置所にいる佐倉田被告に手紙を書き、取材を申し込んでみました。
 果たして、返事が来るのでしょうか。ダメ元で待ちました。
 その後、佐倉田被告は東京地方裁判所の公判廷で、法の裁きを受けるわけです。そこで明らかにされた事件の内容は如何なるものであったか、また、どのような刑罰が下されたのか。
 さらには、偽名で生活保護を受けていた佐倉田被告とは、一体どのような人物なのか。

 この先の記事は有料になりますが、そこでは、その後、筆者が約3年に渡り佐倉田被告を取材した記録を話します。

(注) 当noteは、生活保護の不正受給が如何なるものであるかを皆様に知っていただくための啓発活動としてはじめたものです。今後、様々な事例を紹介していきます。読み進めていただければ、生活保護の不正受給とは一体どのよなものなのかをよくご理解いただけると思います。各事例を紹介するにあたり、発生年月日で時系列にはしていません。まず、平成29年11月に発生したのこの事件を第1話にしたのは、この事例を見れば、生活保護制度の入り口が如何なるものであり、行政は水際で不正受給を食い止めることができない特有の事情があることを理解してもらえるだろうと考えてのことです。

<佐倉田被告と文通>
 筆者が佐倉田被告に宛てた手紙では、まず、簡単な自己紹介として、生活保護に関する記事を書いているライターであることを伝え、「文通したい」「差し入れなど、何か手助けできることがあれば何なりと言ってほしい」といった旨をしたためました。
 また、

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