20170127 その行動にはどこに“闘い”があるのか。

気がつけば金曜日で、いつの間にか次の週に入っていくというサイクル。
先日ブログを見て求人に興味を持っていただいた方がいて、本当に書いていて良かったと心底思いました。

昨日ある記事を読んでいて、もやもやとしてしまいました。“売春”で働く女の子の現状や生い立ちを書いていく特集なのですが、まぁステレオタイプというか、考えさせられるのは間違い無いのですが、その記事自体の意義に疑問を持ってしまう内容でした。

ルポとか、ドキュメンタリーとか社会の現状を切り出すのは良いのですが、切り出したところでこれを読む人は何を思うんだろうなと、読んで2日ほどだけ興味を持って、また次の日には忘れていくんだろうなぁと。
もしくは僕がこうしてもやもやしている時点で成功なのか?

であれば、それは“やりっぱなし”で少しずるくはないかと。"切り出した"ことで生活をしてく人がいるのなら、"切り出された人"はただネタとして消費されただけなのだろうか。それとも筆者の方は解決行動を自ら起こされているのかと。気になった次第です。

気になるのはそれのどこに“闘い”があるのかってことなんですよね。
理解不足の未熟者が、失礼にも疑問を持ったもので。

↓よかったら本家ブログもよろしくお願いします↓
「風俗の社窓から」

http://nishiara.hatenablog.com/




サポートありがとうございます。 いただいたサポートは書籍や新しい活動につながりそうなものに大事に使わせていただきます。