コロナと熱中症から見る世相〜ニューノーマルは思考停止にあらず。
東京をはじめ、各地で猛暑日が続いているが、まちなかを歩く人々は皆、マスク。熱中症のリスクを高めている。
2月から5月までは、梅雨が雨ばかりだったこともあり、比較的涼しかった。しかし、今は真夏。炎天下でずっとマスクをし続けるのは、極めてリスクが高い。以前は、敵は新型コロナウイルスだけであったが、今は、新型コロナウイルスに加えて熱中症、そして豪雨災害と、警戒すべき敵は増えている。取り巻くリスク状況が変わっているのに、新型コロナウイルスだけの対策をしていては、全くもってリスクマネジメントができていない。
そもそもマスクには予防効果がないというのが、現在の科学的知見だ。マスクが意味があるのは、飛沫の飛散予防、すなわち、咳エチケットとしてである。炎天下、一人で歩いていて、話もしていない状況で、距離もそれなりにある中で、飛沫感染のリスクは低い。要はマスクは不要だ。
電車の中でも、特に人混みになる、朝の通勤時間は、ほとんどの人がマスクをしている。車内放送でもマスク着用を呼びかけている。ある都市では、マスク着用の上、不要不急の話をしないでくださいというニュアンスのアナウンスをしている。全く滑稽に感じた。そもそも話をしないなら、席やくしゃみをしない限り飛沫は飛ばない。さらに換気までしている。
東京でも、朝の通勤時間は特に、ほとんどの乗客は、寝ているか、本を読んでいるか、スマホをいじっているか、一人で黙っているか、である。飛沫は飛ばない。目的と手段を意識せずに、熱中症という、命に関わるリスクが高い中、マスクをし続けるのは、思考停止でしかない。ニューノーマルは、マスクやコロナ利権のプロバガンダに馴らされた思考停止を意味するのか。つくづく、日本国民の危機管理の弱さが目につく、今日このごろである。
確かに、会議や比較的大勢での打ち合わせ、接客などある程度話をすることを前提とするのであれば、マスクは着用すべきであろう。大切なのは、科学的知見や情報に基づき、目的と手段や本質をしっかりと考えて、判断、行動することだ。
世にはびこるマスクハラスメント、マスクファシズム。それに従わないと、プロパガンダにより思考停止した、大多数の国民の空気により、白い目で見られたり、居づらくなったり、嫌がらせを受けたりする日本。平成を経て、令和になっても、結局は、昭和、それも戦前、戦中と、何ら変わっていない。一部の過剰反応を疑問視すると、その人を異端視したり、バッシングしたり。挙げ句には、感染したら、よってたかって、悪者扱い。感染者は、ほとんどの人がなりたくてなっているわけではないのに、非国民扱い。
更に、知事らのパフォーマンスとしか思えない会見では、移動や越県自粛を呼びかけ、人の道で一番大切な義を軽視して、帰省まで自粛を呼びかける。これにより、他県の人を敵視する風潮を加速させ、他県ナンバー狩りをしたり、観光業を生業としながら、東京や大阪からの利用を制限したりと、戦国時代に戻ったかのような異常事態。
在宅勤務で運動不足やメンタル不調を誘発し、それが健康阻害リスクを高め、免疫力を低下させ、ストレスを高め、かえって、健康面での新型コロナウイルス感染者への感染リスクを高める。
重篤化するのは、コロナに限らずインフルエンザも同じだし、風邪を拗らして肺炎になり、命を落とすケースもすくなくない。肺炎では、厚生労働省の統計などを見ると、9万人が亡くなっている。数字が圧倒的に違うし、コロナを警戒しすぎるあまり、経済活動ができずに、自殺する人も出てくる。
新型コロナウイルスを無視することは適切ではないが、単に自粛、マスクだけでは解決にならない。職場でのクラスターを避けるべく、在宅勤務が多くなった結果、当然のように家庭内感染は増えている。当たり前である。また、副業も解禁になっている企業も増えているから、いくつもの職場で働けば、感染リスクも高まる。
リスクマネジメントや危機管理をやる立場のひとは、新型コロナウイルスだけをおそれるのではなく、総合的なリスク評価とそれに基づく提言が必要だ。そして、国民は、プロパガンダにより洗脳されたニューノーマルではなく、自律的な判断と行動が求められる。もちろん、社会の構成員たる、社会人として、集団の中での自律であり、わがままであってはならないが、思考停止であってもならない。
そして、この状況で更に家庭内感染を予防せよと、家族内の分断を煽る風潮に乗せられない、冷静さも大切である。コミュニケーションを取らずに人は生きられないし、コロナにかからなくても社会生活を送るのに支障がでかねない、精神疾患になる可能性も低くはない。木を見て森を見ず、本末転倒のトンデモ論を見破れるか。
イソジンが効果があると言った知事も知事だが、パフォーマンスに踊らされて買い占めに走る消費者(転売を考える輩は、端から論外)がいる現状をみると、無理でしょうね。
危機の時こそ、企業や人の真の能力や本性が現れる。そして、ジャーナリズムや専門家も同様。どんな見解を表明するかをしっかり見極め、真のプロフェッショナル、信頼に足る人物を見極める良い機会としたい。そして、日本国民の本質も見極めたい。
また、「失敗の本質」は繰り返されるのだろうか。そうだとすれば、少なくとも、平成という30年間は、国民として進歩していない空白の30年というこになるのだろう。
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