〈証言 TBSドラマ私史〉いちドラマファンだった自分の私的感想
TBSのディレクターでプロデューサーだった市川哲夫氏が、かつて自分も編集長を勤めたTBSが発行していた雑誌『調査情報』に連載した「夢の途中~いかにしてテレビ教徒になりしか」を再編集した単行本。
副題にあるように1978-1993で著者が関わった作品群と、当時の社会情勢との関りや交錯を回想した、私現代史とでも言うべきもの。
私がテレビドラマを作り手の名前も含めて意識するようになったのは中学に入ってからだから、ちょうど著者のディレクターデビューの頃と重なる。当然著者が企画した「アイコ十六歳」は観ていて、後に公開される映画版とどっちが良かったかなどと話すのが当時の邦画・アイドル・特撮・アニメ・漫画などがごっちゃになっているサブカルに吸収される以前のオタクフィールドの嗜なみのようなものだった。また若手のディレクターの企画で連作された「新鋭ドラマシリーズ」も話題で、市川哲夫の名はそのうちの一本「ストレイ・シープ」のディレクターとして記憶していた。しかしまだ文藝的な作品の楽しみ方を知らない、そもそも特撮ものの流れで市川森一や実相寺昭雄の名前を追ってドラマを観ていたようなティーンエイジャーには、著者同期の赤地偉史氏が撮った「十七歳の戦争」の方が、テレビの枠を押し広げる劇画的な演出が魅力的だったのが正直なところだ。
だが同時に当時から脚本家を目指していた者たちは、いっちょ前に「そのとき旬」の脚本家にいち早く着目するのを癖としていた。その意味で既に大家の風格を見せ始めていた市川森一に代わって注目されていたのは小林竜雄であり(そのあとが伴一彦、一色伸幸……という流行りだったように思う)、その小林を連続して器用した著者のことはやはりどこかで気にかかっていたように思う。
その著者の本がADとしてついていた「(新)七人の刑事」から始まっているのが面白い。当時全盛だった「太陽にほえろ!」に対抗して、かつて名作と謳われた「七人の刑事」の新作を裏にぶつけた話題作だったが、残念ながら数字は伸びず後番組で期待されていなかった「金八先生」が大成功するという皮肉な結果に終わった作品だ。だが私は深夜の再放送で触れて以来この「(新)七人の刑事」がずっと気になる作品で、これまで二度小文をムックに寄稿している。それは今ではもう観られない、佐々木守と今野勉が送り出したという「(旧)七人の刑事」への追慕の念もあるが、それ以上に「(新)七人の刑事」がある種の転換点であったと感じているからだ。70年代までのテレビドラマに許されていたような、社会問題や人間の本質と向き合い、テーマと格闘し、視聴者に疑問を投げかけるような言わば「作品」としてのテレビドラマの時代は終わり、このすぐあとに始まるフジテレビのキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」に代表されるように、まず視聴率ありき視聴者ありき、その興味を誘うような楽しいもの目新しいものを送り出し続けることがテレビの役割に変わる。「(新)七人の刑事」はそういう時代の変化についていけなかった象徴ではないのか。私はずっとそう捉えてきていた。
著者の考え方もそれに近いようだ。68年の「新宿騒乱」を「テレビで見た」と象徴的に語る著者は、「(旧)七人の刑事」に思い入れはなく、唯一現存する(実際にはもう一本ある)エピソード「ふたりだけの銀座」も時代の産物とする。別の項で自分が参加していなかった『淋しいのはお前だけじゃない』についても「好きな人には堪えられないが『視聴率は取れそうもないな』というのが私の感想だった」と記述している。実際に著者は自作の視聴率についてこの本の中で丹念に記録し、いかに数字を上げることに腐心したか隠そうともしていない。つまり「ドラマのTBS」と言われたTBSにも著者のように視聴者の快楽原則を無視できない世代が台頭し始めている。その始まりが「(新)七人の刑事」だというのは実に面白い。
著者は後年「代議士の妻たち」や「閨閥」「迷走地図」のような政治ドラマを作り社会派と呼ばれるが、そこでも「視聴者がこれに興味を持っているのではないか」というマーケティングから企画が産まれ、夫婦や親子というドラマの核を外さない。60年代のような作り手が一方的におのれの問題意識や作家性をぶつけるようなドラマ作りはもう許されない時代が来ていたことを、この本はあくまで私史として教えてくれる。
そうした大枠はさておき、いちドラマファンとしては著者が書き記す様々なエピソードに、見逃せないものが多い。それがあまりに多岐にわたるのでtwitterで拾い書きするのももったいないと思い、ここにまとめておこうと思った次第。あくまで私が「おっ」となった部分なので、読者によって気になるポイントは変わるだろう。
「(新)七人の刑事」で、旧作にも参加していた名脚本家早坂暁は第一話「警視総監の財産」をはじめ「爆破軍団」「倉田平三巡査の夏」「三人家族(前後)」「谷村巡査が撃った女」の六本を執筆。旧作参加者としては山浦弘靖の十一本に継ぐ本数だが、当時既に現代社会を戯画化して描く天才肌として評価されていた早坂作品としては、どれも決して完成度は高くない。一話は苦手なアクション仕立て、「倉田~」は旧作リメイク、「爆破~」と「三人~」は逆にどちらも後にNHKの「事件」シリーズで自らリライトしているのでその習作のようで、その意味で純粋な早坂らしい脚本は「谷村~」のみだが、これも同じく旧作で演出していた日向宏之のためのちょっと感傷的な作品に過ぎない。
ファンとしてはそんな風に思っていたが、ADとして「三人家族」についた著者はこのエピソードへの各スタッフのこだわりを語ってくれている。元々これは前年に起きた「開成高校生殺人事件」をモチーフにしているが、演出の田沢正稔もメイン演出の鴨下信一も開成OBであり(なんというエリート組織)、そうした彼らの強い思い入れを早坂が受け止めて誕生した作品であるとの由。改めて観なおしてみたくなった。
また著者は「(新)七人の刑事」でディレクターデビューする予定があり、その脚本を斎藤憐に依頼していたというのもドラマファンにはたまらない情報だ。斎藤は劇作家だが、石原プロの「大都会」で倉本聰と拮抗するエピソードを何作も書いていた。もし多彩な「(新)七人の刑事」の脚本家群に斎藤作品が加わっていたら、と夢想できるのは楽しい。
著者はこのあと79年の芸術祭参加ドラマのスタッフになる。そこで準備されていたのが草野唯雄原作の「七人の軍隊」、主演は志村喬だったという。だがこの作品は早坂暁の脚本の遅れにより中止になってしまう。なんということか。著者は触れていないが、翌年同じ原作がフジテレビでドラマ化される。脚本は松木ひろし、主演は森繁久彌。しかも芸術祭参加。当時のテレビ界の仁義無用ぶりがうかがえる。
翌年著者が参加したのは「関ケ原」、今も語り継がれる名作で、やはり早坂暁脚本。少しづつししか上がって来ない早坂脚本を待ちながら、三船敏郎や杉村春子といった名優たちをどう捌いたかという裏話が読める。
山田信夫、砂田量爾、重森孝子といった、作品数は多いのになかなか定まった評価のない脚本家たちについてのエピソードが豊富なのも類書とは異なりありがたい。そんな中でドラマではなく、ドキュメンタリーの構成作家として佐々木守と二度にわたった組んでいる記述は、この多彩な作家の新たな一面を知ることができて貴重だ。特撮ファンとしては実相寺昭雄や石堂淑郎が思わぬ形で登場してくるのも見逃せない。
今では諸事情によって観ることのかなわない連ドラ「胸さわぐ苺たち」についての記述も貴重。この作品の三女役でデビューした彼女のその後が、そんなことになっていたとは(笑)。
ラストには「迷走地図」を巡る原作者松本清張とのやり取りが記録されており、興味深い。「迷走地図」は日本の政界をフィクション化する試みだったが、映画では清張と野村芳太郎が決別し、このテレビ版では原作と大きく変更されている曰くのある作品だ。これは佐藤栄作夫人の「恋文騒動」を作中に取り込んだことから起きた問題のようなのだが、現在ネットでいくら検索してもこの事件についてなにも出てこない状態で、なにか空恐ろしさを感じるが、とにかくそうした晩年の清張のこだわりなども知れる証言と云えるだろう。
ここに拾い書きした以外にも、驚きと発見がいくつもある本だったので、久しぶりにこの場で紹介させていただいた次第。ただしあくまで私の視点での感想なのでご注意を。
乱文失礼いたしました。