口癖は人生を創る
人生はみんな一律平等に
終わりが来るということで決まってる。
お別れはとても悲しい。
自分も、そのあとどうなってしまうのか
考えたら
怖くなってしまうことが多い。
終わりが来るというのは
絶対なのであれば
思い出を作り続けて
悔いのない日々を送り続けるしかない。
”今日死ぬかも”
そんなことを思いながら
毎日を根詰めて生き続けることは
できないけれど
昨日は最高だった
今日という日が素晴らしかった
明日もきっといい日だ
そう生き続けることは
解釈ひとつで可能である。
出かける直前
玄関先で靴紐が切れてしまったとき
あー最悪だ。幸先悪いなあ!
と思うか
あーラッキー。出かける前でよかった!
と思えるか
人生においての幸福度は圧倒的に
後者の方が強い。
そして、そのマインドは
いつでも誰でもすぐに
手に入れることができる。
ネガティブ思想だとか
ポジティブ思想とか
そんなくくりで自分や他人を
まとめる必要なんてない。
自分が、そして大切な人が
よりいい気持ちになれる
捉え方を
毎日毎瞬していくだけ。
その瞬間に
ああー、、、
と思ってしまうことだってある。
でも、過去は誰にも変えられない。
タイムトラベルはまだこの時代には
不可能なのだ。
捉え方を変える。
解釈を変える。
そうすれば、一瞬で
悪いと思ったその経験も
良いことへの伏線になる。
気持ちのいい毎日を
送れていない人が
急に気持ちのいい終わり方を
することなんてできないと思う。
気持ちのいい毎日を送ってる人の
すべてに、
気持ちのいい終わりがくる
と、断言することはできないが
本当に走馬灯が見えるのだとしたら
自分が解釈した
気持ちのいいことがさらーっと流れて
きっと気持ちいいに違いない。
そのために使わない言葉がある
最悪、最低
これは結構いろんなところで
いろんな人が言ってしまう言葉だ
口癖になってしまっている人も多い
わー最悪ー。最低ー。
ねえ、ちょっと待って。
サイアクって、どういう漢字か
あなた知ってる?
最も悪いと書くんだよ。
サイテイって、どういう漢字か
あなた知らないの?
最も低いと書くんだよ。
あなたの人生においてそれは
もっとも悪いことでしたか?
もっとも低いことでしたか?
そういう言葉を平気で使っている人に
気持ちのいい毎日を
きちっとコンスタントに
送れている人はいない。
出会ったことがない。
常に最悪で最低なことに
見舞われているのだ。
それが自分にとっていい、
そういう人はそれでいいけど。
平気で口にして
わたしの耳に聞かせるのも
やめていただきたい。
周りにも最悪と最低を
ふりまいている人間
と、わたしは認知している。
距離を置くし関わらない。
わたしは最高と最幸をふりまく。
口癖は最高。
最も高いよ。
昨日の自分はなくならない
今の自分は昨日までの自分の
積み重ねの上に立っている。
そういった意味においても
本当に最高。
毎日が最高。
辛いことは楽しいことへの伏せん
苦しいことは成長への学び
人は解釈ひとつで
幸せにも不幸にもなれるのだ。
起こるできごとは
みんな必然である。
苦しいことからは学べ
次に同じことが起こらないように
辛いことからも学べ
誰かの辛さもわかってあげられるように
それらはいい人生の伏せんになる。
言葉はその人の人生を決める。
毎日をどう生きたかの積み重ねが
人生なのだから
それは過言じゃないのだ。
安定的に毎日を気持ちよく過ごそう。
そうすれば、いつか必ずくるその日も
きっといい〆方ができるはずだ。