文学フリマ京都に着ける日

 新年の冬である、もう半月ほどがたった。
 私が暮らす温暖な片田舎でさえ、枯野に霜がおり息が白むわけだが、ことに、山にかこまれた盆地である京都は、足の感覚がなくなってしまうほど、まことに底冷えるという。
 祇園祭や五山の送り火がある夏は、地獄の釜のごとく暑いくせに、いっときの秋が過ぎれば、しぐれや雪の冬が待ち受けているのだ。歴史ある文化都市、京都はつわものである。ぬくい布団からひねもすでようとしない、私のようななまけ者は、到底たちうちできまい。
 そんな京都にこのんで挑戦しようとは、つゆほども思わないが、今日ばかりは事情が別であった。「文学フリマ京都」という、一年に一度の文芸イベントに参加するからである。
 私が代表をつとめる“手のひらの金魚”は、百年先も文学を愉しむために、日々、仲間たちとぴちぴちしている。主な活動内容は、出版――本づくりなのだが、部屋の一角を埋めるほど刷ったからには、できる限りの人に文学のよさを伝えたい。しかし、町の本屋にならべてもらうためには、ISBNコードというハードルを超える必要があり、現状、一日こっきりの即売会が、商品販売の主戦場となっている。
 私には使命がある。未来の読者に本を届けるため、いくほかないのだ。
 めざましのアラームを止めた。文学フリマ京都に向かうべく起床し、現在、深夜の三時をまわったところである、当たり前に眠い。もろもろの過程に一応の余裕を足して、逆算してみると、漁船にでも乗るつもりかという時間になった。同じ関西とはいえ、田舎民は都会でなにかしらがあるたび、現地にたどり着くまでが、最初の戦いなのである。
 覚悟をしてシャワーを浴びたあとは、着つけにとりかからねば。イベントごとがあると、私のよそおいは、普段使いのきものになる。シャツのうえからウールの単衣をはおり、すそをあわせ、えりをととのえる。半幅帯を巻きつければ、およそはできあがりだ。まあ、こうやって書くと、わずかな文字数で片づいているが、この着つけがなければ、あと半時間は眠れるものを。しかし、洋装ではなく和装にひかれる私は、いい感じのおしゃれ着はきものしか持っていない。まさか、ジャージを選ぶわけにもいくまいし、きものを着るほかないのである、かわいいからいいけど。
 上手くはない化粧を済ませ、最後に眼鏡をかけたら、でかける準備はできた。リュックをしょって家を飛びだし、馬鹿でかいスーツケースを連れ、プラットフォームの電車に乗りこんだ。電車が出発してしばらくすると、東につらなる山の稜線がきわだち、薄くのびた雲が赤らんできた。ようやく太陽のおでましなわけだが、白うさぎのごとく車窓に飛ぶ月をながめていると、宵が近づいている感覚になる。その理由は明白で、夕日が射す電車に揺られることのほうが、ずっとなじみがあるからだ。往路にかかる時間は復路にもかかる。京都までの道のりは遠い、今日の帰りも遅くなるだろう。二人がけの席の窓枠にもたれ、休息のために目をつむる。私はまどろみながら、夏目漱石の「京に着ける夕」を思いだしていた。
 この作品は、一九〇七年――明治四〇年、東京在住の漱石が、京都の友人をたずねたときのことを書いた随筆である。俥に乗って夜の街を往く漱石は、はじめて京都にきたころを断片的に回想する。その当時、学生であった漱石は、友人の正岡子規と観光にきていた。のちに、子規は近代俳句の祖として活躍し、漱石は教師を辞めて小説家になる。漱石の処女小説「吾輩は猫である」が誕生するきっかけは、二人の友情にあるのだが、学生のころのかれらはまだ知らない。その旅から十五、六年の月日が過ぎ、またも京都をおとずれた漱石、あのときにいた子規は……もうこの世にはいなかった。漱石の心に迫るむなしさが、冴える京都の風景を通して、こちらまで伝わってくる。これを読んでいる読者も一読すべき、すぐれた随筆であると思う。「京に着ける夕」は春のころだが、漱石は東京との気温差で震えている。いつの世も、京都はつわものなのだろう、私も心せねば。
 うたた寝をして、いつのまにか大阪に着いていた。ここからは環状線を経由し、京阪電車に乗り換えなければならない。大体八時過ぎには、出町柳ゆきの特急に乗ることができる……はずだったが、ぼんやりしていた私は、環状線の内回りに乗るべきところを、逆の外回りに乗ってしまった。しかも、気づいたのは二十分以上たってからという……
 大ポカをして、思いがけず時間を食った。最初に乗る予定だった特急は、すでに発車してしまったが、そのあとにも特急がある。それには乗りたい! JRの改札から、小走りで京阪の駅に向かった。すると、きっぷうりばの近くに立っていた、きものを着てスーツケースを持った女性が、こちらにぴよこぴょこと手をふってきた。
「西さん、あけましておめでとうございます!」
よくみると、手のひらの金魚の一味、藤女史であった。そう、私は待ちあわせをしていたのだ! 今年になって、親類や会社の同僚以外とは、誰とも会っていなかった。孤独のなかで編集をし、しめきりと戦っていたのである、文学フリマ京都で新刊をだすために。そう思えばこそ、まさに感動の再会である。抱きあうことも辞さないが、特急が発車するまであとわずか、挨拶もそこそこに、プラットフォームへと急いだ。 
 幸いなことに、二人とも電車の席に座ることができた。文学フリマ京都への参加は、今回で二回目である。はじめて参加した去年も、私のとなりにいたのは藤さんだった。一年ぶりに二人で京都にいくことができる、胸が熱くなった。回想のなかにも藤さんがいて、今も藤さんがいることが、非常にうれしい。マスクのなかでくちびるがゆるんでしまう、いけない。
 瀟洒な京阪電車は、大阪の枚方市駅、樟葉駅を過ぎ、京都の中書島駅へと差しかかった。私たちが下車する駅は、三条駅、あと十五分ほどである。電車に揺られながら、藤さんとぽつぽつおしゃべりをした。そのときに「カルネ」のはなしになった。藤さんが私に尋ねる。
「そういえば、カルネの由来って――肉ですか?」
「肉!? カルネの肉ってハム一枚だけですけど! えっ、どういうことです? 私が知らない肉要素があるんですか!?」
カルネとは、京都の老舗パン屋の志津屋さんが製造販売する、玉ねぎとハムのサンドイッチである。「カルネってイタリア語で肉って意味なので」
「ああ、なるほど。いや、カルネはフランス語で、たしか、手帳でしたよ」
「手帳? どうしてサンドイッチが手帳なんですか?」
「それはですね……志津屋さんのホームページに書いてあります!」
なにを隠そう、私はこのカルネがとんでもなく好きなのだ。
 京都市内にある志津屋さんの店舗のなかで、私が印象に残っているのは、八坂神社の朱塗りの門のほぼ向かい、横断歩道を渡ったところにある祇園店だ。京都です〜感がある八坂神社をそっちのけに、志津屋さんの看板を目にしたとき、ああ、京都だなと実感する。そういえば、漱石も似たようなことを書いていた。私のカルネは、漱石でいうところの――ぜんざいである。
 夜、京都の街を子規と散策していたときのこと、軒のしたに吊られた赤い大提灯が、漱石の目についた。ぜんざいと墨書きされたそれは、特別に珍しいものではなかったろうが、おもいでとして漱石の印象に残った。以来、漱石のなかでは、京都といえばぜんざいらしい。例の提灯をみかけると、京都だな、としみじみ思うという。勝手ながら、ものすごく親近感を覚える。
「ああ、志津屋さんが近所にあったら、私、きっと毎日通ってしまいます! カルネのために!」
 京都でカルネを知ってからというもの、たびたび恋しくなった。代わりのサンドイッチではだめなのだ、カルネがいい。私が熱弁するなか、志津屋さんのホームページをながめていた藤さんが、ふふふと私に持ちかけた。
「カルネ、腹ごしらえとして食べましょうよ。イートインのカフェもあるみたいですし」
「いいんですか? いいんですか?」
 私はカルネを食べたい。できれば、パンをトーストしてカリカリにして食べたい。なにより、藤さんとカルネが食べたい! 
 ここまで読んできた読者は、この流れからして、きっと、漱石もぜんざいを食べたのだろう、と思ったかもしれない。しかし、京に着ける夕のなかでは、ぜんざいの味を知らないままであった。食いしん坊の子規が亡くなったこともあって、結局、食べずじまいになっていたのである。おそらく、これからも食べることはない、私はそう思う。
「藤さん、いっしょに食べましょう、モーニングにカルネ!」
 ああ、心許せる友人と約束ができるということは、どれほどありがたいものか。すでに最高である、雨にも風にも立ち向かっていける気がしてきた、今日は晴れらしいけれど。しかし、このあと、私たちの道に暗雲が立ちこめはじめた……
 胸を躍らせていたところ、だしぬけにアナウンスが流れた。なんと、トラブルの発生により、この電車は次の七条駅で止まるらしい。奇しくも、漱石が汽車からふり落とされた(補足するが、こちらは漱石の比喩表現である、事故ではない)ところも、同じく七条(京都駅)であった。あっというまに駅に着いたが、振替輸送の案内はなかった。藤さんにうながされて、バスの停留所へと向かってみたものの、京阪電車の乗客と観光客がまざって、いやになるほどごった返している。路線バスはしきりに停車するが、すぐにドアが閉まってしまい、ちっとも乗れそうにない。
 待機列にならびながら、私は不安になっていた。文学フリマ京都の会場――京都市勧業館みやこメッセに、三条駅から歩いて向かうつもりが、こんなことになろうとは……きものにリュックとスーツケース、このいでたちで超満員のバスに乗れるのか、そして、目的の停留所でスムーズに下車できるのか!? しかし、七条駅からみやこメッセまで歩くと、三十分以上は余裕でかかる。タクシーを利用することも考えたが、料金が未知数すぎて却下した。思いあぐねているうちに、バスが到着してしまった。万事休す、もう乗るほかない!
 運転手のアナウンスでバスが走りだした。信号が赤になるたび、ブレーキの反動を受けた車体が、ごうごうと揺れまくる。すしづめで身動きがとれない私は、スーツケースの持ち手をにぎりしめ、真顔で必死に踏んばった。一分一秒でも早く、無事に到着することを祈った。
 荒ぶるバスから開放されたとき、京都はぴかぴかと晴れあがっていた。まるで小さな春の陽気、ちょっと歩いただけで、どこかしらから汗が吹きだした。きものというぶ厚い布に包まれた肌が、じっとりと濡れているのがわかる。凍える冬はどうなってんだ! いや、落ち着け、今は文句をたれているときではない、文学フリマ京都のことを考えなければ。未来の読者に本を届けるべく、野を越え、山を越え、私はここまできたのだ。そして、帰りこそはカルネを腹におさめる!
 お天気のなか、私と藤さんは文学フリマ京都へと急いだ。やはり、京都はつわものである。

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