新鮮グミ
「出来ました」
社長室に入って来たのは、第一企画課の課長、沖田だ。青白い顔にすらりとしたスタイルは妖艶であり、一種の神秘性を帯びている。そんな沖田が提案する企画の切れ味は、他の社員の追随を許さない。
水盤を持ち、そこには様々な色のグミが均一に並び、賑やかな感じだ。
「出来たか」
私の横で椅子に座っていた、社長の近藤が答える。
「完成です。完璧ですよ、近藤さん、土方さん」
社長の近藤、副社長の私、土方、そして第一企画課の沖田の三人はこの会社、甲陽製菓の創立メンバーであり、付き合いは大学生の頃に遡る。そのため、他に社員がいない事が多い社長室で話す場合は、あの頃にもどって口調が砕けたものになる。
応接用のテーブル、中央に置かれた水盤には、赤、黄、橙、緑の物が並んでいる。
「沖田、商品名は?」
「新鮮グミです」
にこりと笑う沖田。こいつは、年を取らないのか、ずっと少年のような顔立ちでいる。今、放った笑顔も屈託がなく、若さ故の危うさを感じてしまう。
そういう、やりとりを気にする事なく、近藤が赤のグミを一つ摘まみ、口へ運ぶ。
「うおっ、これ本物より本物のイチゴ!」
反応が良い。
本物の果物よりも、本物の果物味のグミをつくる。それが、我々グミ業界の悲願。沖田はそれを作成する事に成功したのだ。
「イチゴ、マンゴー、オレンジ。緑はスイカ」
「スイカか」
近藤は緑のグミを手に取る。
「後々は、緑と赤の色に変えて、もっとスイカ感をだすよ」
「うぐっうぐっ、うまい! 夏が口に広がる!」
近藤の機嫌が良い。以前、別の菓子をここで試食した時などは、感想も言わずにボツにしたこともある。いくら、昔なじみの沖田が持って来たとはいえ、この反応は上々だ。
私は、オレンジを一つ口に運ぶ。グミだと体が認識していたのは、手に持っている間だけ。口に入れ噛み始めると、理性がグミだと脳にいくら訴えかけても、感情がみずみずしいオレンジを食べた時の喜びに溢れてしまい、グミを食べた事を忘れてしまう。
「これなら、季節関係無く、おいしい果物が食べられる」
近藤は感嘆の声を上げる。
「そう、ずっと新鮮な果物味のグミがね」
沖田は自然に近藤と私にウィンクをする。普通の部下ならぶった切る所だが、許せてしまうからこいつの持って生まれた、オーラというのは恐ろしい。
「メロンは?」
近藤は沖田に聞く。
「やっぱり難しい。それが一番の難関」
沖田は、難しい顔をする。
「それが、出来た時が本当の完成だな」
私は提案をする。
「うん、それが目標。そうそう会長とコンサルにも食べさせて、しっかり黙らせないとね」
沖田は悪い顔をする。
会長の芹沢、コンサルの山南は文句ばかり言って邪魔ばかりする。
このグミなら問題無いだろう。完璧な商品だ、この『新鮮グミ』は。
「どうなってる?」
近藤は沖田を社長室に呼び出したのは、あれから一ヶ月が経ってからだ。
「ばっちりです。工場での製造、パッケージデザイン、広告戦略は順調です。ゴホッゴホッ」
報告は完璧だが、沖田は気になる咳をした。
「それより、そっちは?」
沖田は逆に聞いてくる。
「会長もコンサルも、完璧だという感想だ」
私は返答する。
「それは良かった」
沖田はそれを聞くと部屋を後にする。足取りが重い様に見えた。
「とにかく、進めてくれ」
沖田が退出すると、近藤もそれに会わせて社長室を出て行く。
最近、外出が増えた。現場に顔を出すことも無くなった。とにかく、私がしっかりしなければ。心に強く誓うと、スマホを取り出し、総務課の斉藤に連絡をとった。
業界に一つの事件が起こった。
果物卸販売の大手、『池田屋』が民事再生法の適用の準備に入ったとの事。
『新鮮グミ』が売り上げを伸ばした事で、本物の果物が売れ行きが著しく落ち込み、それが池田屋の経営に打撃を与えたという事であった。
「あの、池田屋に影響を及ぼすとはな」
近藤は感慨深げに、社長室の天井を見上げる。
「それほど、本物の商品だ『新鮮グミ』は』
私が答える。
「沖田が体調を崩したと」
近藤が視線を私に戻して、聞いてくる。
「今回のプロジェクトは大がかりなものだったし、あいつが主導でやってきたものだ。無理が出たのであろう。ゆっくりしろと言ってある」
「ならいいのだが」
「次の株主総会で、会長を追い出す。コンサルの山南も切る。他社から伊東を引き抜き、沖田のいない間プロジェクトリーダーに据える」
私は静かに言う。
「変わるな」
近藤の声は小さい。
「変わらなければ、大きくはならない」
私の口は真一文字になっているのがわかった。
「それはそうだが」
「社内規則をもう一度洗い直す。正しいものにする」
「そんなもんかね」
「そんなもんだ」
「私は国の方の会議があるから。こっちはお前に任せるよ」
近藤は視線を外すと、スマホをいじり始めた。
女が出来た。直感だがそう感じた。国や県、政治関係者とも顔を会わせる回数が増えた。
まぁいい、私がしっかりしていれば大丈夫だろう。そう思い、社長室を出た。
『ライク・ア・グミ』
CMで見たときは腰を抜かした。
まるでグミのような果物が、安定して作出される事になったということ。
無意識にスマホで電話をし、詳細を確認するよう斉藤に指示を出した。
『新鮮グミ』に対抗してきた。
とある液体を茎に打ち込めば、出来た果物はグミのようになるらしいとのこと。どんな、果物でも適応可能という事で、一年中楽しめるらしい。
うちは『新鮮グミ』に集中していて、ノーマルグミを作っていない。職人も解雇したばかりだ。
いいよ、やってやるよ、全面戦争だ。そう思った矢先であった。
次の日、社長室に呼ばれると、机の上には多数の辞表届。一番上には最近、引き抜きをした伊東ものが、輝くように置かれていた。
「やられたよ」
近藤は、あきれた顔をしている。
「どういう事だ」
私は状況を聞く。
「伊東は知っていたのさ、『ライク・ア・グミ』の事も。そのため、『新鮮グミ』のノウハウを持って退社。プロジェクトグループ一団で退社よ。お前の直属の斉藤も入っている」
身元の調査はしっかりしたはずだ。いけ好かない奴ではあったが、ここまであからさまに裏切るとはな。
「芹沢は、農業関係の人間と頻繁に会っているという情報も聞いた。山南も農業関係の会社のコンサルになったらしい」
追放した人間が次々と牙を向いてこちらにくる。
「土方、とにかく対処を頼む。私は県議の先生と会合が入ったんでな」
そういうと、昔は着なかった高いスーツのしわを伸ばすと、社内のこの状況を知らぬ存ぜぬを顔をして、社長室を後にした。
しばらく、辞表を見つめた。胸ポケットのスマホが動いているのに気づくのに、少し時間がかかった。
「近藤さんはどうしてるの?」
沖田は、病室でベッドに座っての妖艶な笑顔を見せる。頬はやせこけ、声にも力を感じられない。
「愛人との関係がばれて、離婚。県議との汚職にも関係してて、逮捕」
私は抑揚無く、まるで文字でも読むように話す。
大量退職が起きてから、既に一ヶ月が過ぎていた。
「芹沢会長は?」
「農業関係の会社に出入りしてたらしいが、あの人は『新鮮グミ』のノウハウを持ってたわけじゃないし、態度がでかいだけでどこにもうけいれてもらえずに、口うるさいおじさんとして、近所で嫌われてるらしいよ』
「はははは、流石会長。好きな人はいなかったもんね。山南さんは?」
「コンサルで入った所が、業績を上げているのを聞いた事が無い。文句を言うのと、実際に経営するのは違うってことよ」
私は先ほどから、吐き捨てるように話をした。
「契約料ばっかり高いんだから、やってられないよ」
「口だけ野郎は何にも出来ない」
「土方さんは昔からそう言ってるね」
「そうだ、悪いか?」
私はズイッと目線を沖田に会わせた。
「いや、そういうもんだね。あとは・・・俺の代わりに入った伊東って人は?」
「あ、あれか、あれはまぁ、あれだ」
「なんだよ、土方さん教えてよ」
沖田は嬉しそうに私に話しかける。心なしか見舞いに来た当初よりは、元気になっているように思える。
「まだ資金があった頃だったからな、斉藤を産業スパイとして送り込んで、移籍した会社事つぶした」
「よくやるよぉ。土方さん敵に回すと怖い怖いとは思ってたけど、そこまでやるとはねぇ」
沖田は、ベッドに寝転がった。顔は笑顔で、言葉とは裏腹だ。
「『ライク・ア・グミ』の台頭、フルーツはフルーツ、グミはグミに帰れという原点回帰運動が始まり、『新鮮グミ』自体が売れなくなった」
私は話ながら、視線を落とした。
「知ってる。グミを超えたグミ、フルーツを超えたグミなのにね」
「ああ、ノーマルのグミを作れる職人はうちにはもういない。それでほとんどの工場や会社を閉めてしまった」
「うん」
沖田も寝たまま。表情までは私の角度からは良く見えない。
「土方さんはこれからどうするの? これで何もせずに終わりとは思わないけど」
沖田が、体を起こすと満面の笑顔だった。
「昔、近藤と三人で話した事があるの覚えているか?」
「え? 何の話?」
「何のフルーツが一番おいしいか? そして、グミで再現出来ないフルーツの事」
「あ、わかった、メロン!!」
沖田はパチンと手を叩いた。
「そうだ、函館だけ唯一会社が残った。そこへ俺は行って、最後のメロンのグミを開発しようと思う。そうすれば、メロンを安価で年中食べられるものが出来る。そうすれば」
「甲陽製菓の復活!」
「そうだ、沖田、お前が副社長だぞ」
「え? 土方さん社長なの?」
「ああ、ダメか?」
「うーん、まあいいよ。そのときはよろしくね」
「ああ、よろしく」
沖田は再び、ベッドに寝転び、私は病室を出た。
廊下においてあった、キャリーケースを引いて、私は空港を目指した。
坊っちゃん文学賞落選作