ミドルネームの話
皆さんはミドルネームを知っていますか?
特に欧米などでは、フォミリーネーム(名字に相当)、ファーストネーム(名前に相当)の他に、親しみやすさなどを込めて、姓名の間にミドルネームを付けることが一般的です。
日本にルーツを持たない海外の方のお名前は、どこからファミリーネームでどこがミドルネームなのか、日本人には分かりづらい場面も多々ありますよね。
今回はミドルネームにまつわるお話をしたいと思います。
①「神様からの贈り名」
現在のミドルネームに近いものは中世のヨーロッパに起源を持つとされています。
姓名の他に、聖人の名前や宗教的な意義のあるもののをミドルネームとして持たせることで、子を悪いものから護るという発想があったようです。
中世ヨーロッパで生まれたミドルネームの発想は、時代が下るごとにその意義は薄れていき、次第に親が子に託したいもの、出自や地名に関するもの、子へ引き継がれない母方の姓など様々なバリエーションを持つこととなります。
また、時代が下るに連れ各国ごとにミドルネームの文化は変容し、アメリカでは呼びやすいあだ名、イタリアでは聖人の名前、スペインではご利益のあるものを数多く盛り込む(ピカソが典型的)など多様な文化が見られます。
また、ミドルネームとは趣が異なりますが、古代中国では姓・諱(いみな/名に相当)の他に字(あざな)という呼び名を持っていました。 諱は忌むべき単語として口には出さず、姓・字で呼称します。
諸葛・亮・孔明は諸葛孔明として呼ばれるというところです。
東アジア各国では名は霊的な意味を持つとされ、諱は死後に呼ばれる名前として設けられたことから、呼称の「字」と死後に贈られる「諱」のミドルネーム/ダブルネームを持っていたとも捉えられるでしょう。
現代ではこうした字の制度は廃止され、中国でも姓・名にもとづく戸籍がつけられています。
②ミドルネームのつけ方
当初の「子を悪いものから護る」という発想から、ミドルネームは出生時に親が子に名付けるというものが一般的です。
出生の際に母が子を宗教施設へ連れ込み、洗礼を受けて洗礼名・ミドルネームがつけられたのがかつての様式です。
ただし、今の時代ではミドルネーム自体はいつでも変更が可能でもあるため、成人してから自身でミドルネームを設定することも可能です。
ミドルネームは複数持ったりつなげたりすることも可能で、姓名の間に中点(・)をいくつもつなげる方々も多様にいます。
欧米では戸籍へ登録することも可能ですが、通称やあだ名としてミドルネームを活用している場合もあり、こうした場合は手続きを踏んで名前をかえるという発想よりも、自称としてミドルネームを自分で設定します。
③国内での行政手続きについて
日本の国内法では姓・名以外の名を持つことは認められておらず、ミドルネームは「通称名」として整理されています。
極論ですが、勝手にミドルネームを設定して自分で名乗る分には何の問題もありません。
他方、ミドルネームはその人のアイデンティティの根幹をなすものでもあるため、一定の手続きを行えばミドルネームを名前に取り込むことは可能です。
ただし、戸籍上、ミドルネームを記載する箇所はないため、ミドルネームに相当する部分を姓か名に寄せて登録する必要があります。
一般的には名前側に寄せることが多いとされています。(姓側に寄せると、名字+ミドルネームが配偶者や子にも引き継がれてしまう可能性がある)
また、姓名の変更は家庭裁判所の許可のもとで市区町村役場への届け出が必要なため、婚姻や社会通念上生活を送ることに支障があるなど相応の理由が必要です。
④日本人のミドルネーム
戸籍上は姓・名しか認められていないものの、日本人でミドルネームを持つ人物はいるのでしょうか?
一般的とまではいいませんが、日本人でもミドルネームを持つ方は存在します。
「ドラえもん」など著名な作品を残した「藤子・F・不二雄」氏は、F(藤本)がミドルネームです。(戸籍上は「(姓)藤子(名)不二雄」)
また、日系ブラジル人とイタリア系ブラジル人のハーフで、日本代表のサッカー選手として活躍した「田中マルクス闘莉王」氏は、マルクスがミドルネームです。(戸籍上は「(姓名での)田中(名)マルクス闘莉王)
父に長嶋茂雄氏を持つ元プロ野球選手権・タレントの「長嶋一茂」氏は、キリスト教の教会で洗礼を受け、長嶋・パウロ・一茂として洗礼名としてのミドルネームを持っていることが知られています。(戸籍上は(姓)長嶋(名)一茂)
また、ミドルネームとは異なりますが、「子を悪いものから護る」意義をを顧みると「寿限無」の話など、名前で悪いものから子を護る発想は、日本国内でも歴史のある文脈です。
⑤オリジナリティと親しみやすさ
かつては宗教的な意義や子を護る発想でミドルネームがつけられていましたが、今や多様な意味を持ち自由につけられています。
また、日本では海外のクライアント等とコミュニケーションを図る際の愛称として、自らミドルネームを設定するケースも存在します。
この場合は国際的な欧米基準である必要はなく、コミュニケーションの相手にとって親しみのあるミドルネームを設定することもあります。
つまり、ミドルネームはコミュニケーションの一助となる親しみやすさ、その人個人を表すアイデンティティの役割を果たしています。
また、ミドルネームは宗教施設で洗礼や訓示を浴び、神から授けられるというかつての風習も現代に残っており、教会・モスク・寺院・神社・ピラミッドなど、様々な宗教施設ではミドルネームの命名の文化が残っているため、門戸を開く人々も存在します。
宗教施設によっては、神職とカウンセリングの上で特色のあるミドルネームがつけられます。下記に一例を示します。
(欧米基準/教会)
◯山田・john・一郎(やまだ・ジョン・いちろう)
◯山田・kay・一郎(やまだ・ケイ・いちろう)
(中東基準/モスク)
◯山田・الإنجليزية・一郎(やまだ・マクトゥーブ・いちろう)
※الإنجليزيةは「優しい人」の意
(エジプト基準/ピラミッド)
◯山田・𓇌𓄿𓅓𓄿𓂩𓄿・一郎(やまだ・ヨクトゥルス・いちろう)
※𓇌𓄿𓅓𓄿𓂩𓄿は「勇ましい人」の意
戸籍に登録しなければ、通称名であるミドルネームを設定することは自由です。日本国内でのミドルネームは、国際標準に設定したあだ名という立ち位置が最もわかりやすいと思われます。
海外の方々にとって、日本人の名前は発音しにくいことが多く、コミュニケーションの中ではあだ名やミドルネームが活躍します。
両親から贈られた名前を大切にするのはもっともですが、これからの多様な社会、移民の方々が増えていく情勢に合わせて、皆さんも自分のミドルネームを考えてみませんか?