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競走馬への暴行と人間の詭弁
『わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。―狼は羊を奪い、また追い散らす。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。 わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。』(ヨハネによる福音書10章より)
この羊を馬に置き換えてみてください(羊も馬も群れて安心する性質の同じカテゴリの哺乳類になります)。「良い馬飼い」はどのような馬飼いだと思いますか?
ばんえい競馬場で騎手の馬への暴行が公になったので、まずは、ばんえい競馬の歴史と背景、重種馬の特徴について軽く触れます。
北海道は厳しい開拓時代、農夫たちは農耕馬を使って開拓や畑仕事をしました。そんな時代に、農夫たちが、自分たちの馬の力自慢大会を始めたのが、今日、このような重量を牽く世界唯一のレースに発展しました。
重種馬はよく荷物をひくよう肥させるので、1トンの馬に対して50キロ程度の騎手が軽く触るようでは、撫でられているようにしか感じません。思いっきり鞭打つのが虐待に見えるのも理解できますが、あの程度ならまだ許容範囲です。個人的には鞭入れすぎだとは思いますが。。しかし今回流出した画像が完全にアウトな理由は、すでに色々な記事で獣医師が理由を述べているのでここでは省きます。
馬主も調教師も騎手を咎めませんでした。それは、あんなのは普通と思われてるだからです。そして、騎手も早く馬を走らせようとした動機を理解したからです。業界では、ホースマンシップなど聞いたことないような人しか知りません。田舎者の先輩から、古臭い馬の扱いを学ぶだけ。昭和のダサい体育会系みたいな感じです。
気の毒かな、そんな環境だからか、時間があれば、世界水準の馬の扱いを学ぶよりも、場末のスナックに入り浸って年増ママを落とすのに情熱をかけておられます。成功したら皆様自慢げに競馬場に連れてきます。
馬を蹴り上げなきゃテストに落ちて馬肉になるから助けるための暴行という詭弁。それを擁護する愚かさ。開拓時代の方がこんなバカ言う大人は少なかったのではないでしょうか。馬肉にしない方が良いと思ってそう言うなら、女性を囲えるほどの経済力がある人が、なぜテストにあぶれた馬を養う事が出来ないのでしょう?
調教をして見せ物にして、写真を撮って撮らせて。搾取するだけ搾取して、最後は肉屋にサヨウナラ。経済動物だから仕方ないと擁護する、ロジカルに物事を考える能力がない人間て、どういう存在意義があるんでしょうか?
ではなぜこんな多くの不要な馬が生み出されるか。正しい遺伝繁殖学の普及も行われていない現状は、時間的に次に書きます。石器時代のおまじないのような事を正しい知識だと自信を持っている人の多すぎる現実には唖然としてます。
最後に、競馬に関わる際には。
何事も白黒つけられるものではありません。競馬界には、馬や日本の競馬界のシビアな現実に真摯に向き合っているような人もいれば、馬は単なるギャンブルで一獲千金のためにすぎない人、馬の世話を生計を立てる手段にしている人、それぞれいます。
レースに出る馬をスポーツ選手を応援する気持ちで可愛い贔屓の馬を観たら良いと思います。
しかし、競馬場の見えない背後で、皆さまの良心と照らし合わせて、どうかなっていう疑惑があるのなら、きっぱりと抗議をするなり、もし無言の抗議であれば、ばんえいで絶対に馬へのしつけと暴力を混合しないというポリシーが浸透するまでは、馬券を買わない=経済的にサポートしない、というスタンスをとるのも良いと思います。擁護ばかりでは自浄作用は働きませんので。。