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馬頭観音

田舎の農道を走ってて堪らなく好きなのが、馬頭観音をみることです。

観音菩薩の変化身で、六道のうち畜生道にいる人を救済する六観音さま。ですけど、私は勝手に、田舎では、失った子供を偲んでお地蔵様を祀るように、墓ではないけれど、死んだ馬を供養するのに作られてたんだと思っていました。

でもあながち間違っていないようです。トラクターや機械が無かった開拓時代、たくさんの馬力で仕事をしてくれて、動けなくなってきたら、お肉になって家計を支えてくれる(もちろんそうしない方もいましたが)。でもお肉にすることは、私も学生時代、解剖学の先生から聞いて仰天しましたが、「食べて供養」という風習があったそうです。身を粉にして働いてくれて、食べさせてくれて。或いは、食肉となって売られ大事なお金になってくれた。馬には、合掌せずにはいられなかったのではないでしょうか。

日本の競馬界で、使えなくなった馬が馬肉や馬油になる事は、こういう時代が長かった事も関係しているのかなと思いました。特に、ばんえい競馬で使われている重種馬のペルシュロン、ブルトン、ペルジャンなどは、元々ベルギーやフランスで食用馬として改良された品種です。そこが、使い終わった(抵抗のある言い方ですが)馬を肉に出しても、軽種馬ほど抵抗を持たれない理由なのかなという気がします。むしろ、食べて供養と考える人が多いのかもしれません。

しかしそこにある問題点ー殺すまでの搬送中、飲まず食わずの苦しみの状態が続く事や、やはり暴行が暴行とみなされない事など、殺すにしても生き物への敬意ー*アニマルウェルフェアーが欠けている現場に提案が必要な状況である事については、また次の機会に後述します。

田舎の農家さんの話で一番好きなのが、「うちにも昔馬がいてねえ。。。」「オヤジは馬が風邪ひいたときは、薬買ってきて一緒に馬と寝た」「馬ってすごい人見るべさ。一頭は懐いて可愛かったけど、もう一頭は、ワタシに懐かなくて可愛くなかった」こんな話です。

知って助かったのが、「オヤジが馬を肉にしてしまったけど、すごい可愛い仔で、米の研ぎ汁が大好きだった、喜んで飲んだんだよ」って聞いたことです。私は今まで米文化ではない国で馬をやってたので、そんな事知らずにいました。それで冬から米の研ぎ汁を餌にかけてあげたら、よく食べること! 美味しいんですね。

確かに「馬のできることなんかたかが知れてるよ」っていう時代になり、馬からトラクターに変わりました。中には、馬を機械のようにしか扱わない農家もいたので、そういう人は絶対生き物より機械のほうがいいと思います。でもたまには、穏やかな馬のいる風景を見れるのも悪くないかも知れませんね。近い将来ニセコでそんな馬耕をご披露するかも知れません。


*アニマルウェルフェア(Animal Welfare)とは、感受性を持つ生き物としての家畜に心を寄り添わせ、誕生から死を迎えるまでの間、ストレスをできる限り少なく、行動要求が満たされた、健康的な生活ができる飼育方法をめざす畜産のあり方であり、次の5つに項目が定められている。 

1.空腹と渇きからの自由 2.不快からの自由 3.痛みや傷、病気からの自由 4.正常な行動を発現する自由 5.恐怖や苦悩からの自由 http://animalwelfare.jp/

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