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「資本とイデオロギー」主観的ハイライト

 トマ・ピケティの「資本とイデオロギー」を読んだ。もちろん、独立ニートの立場では本一冊に7,000円近くはとても払えないので、図書館で借りてきてだ*。著者の前作「21世紀の資本」は大変話題になった。前作が明らかにした内容は、投資を呼び込みたい金融業界や資本家にとって大変都合の良い内容だったからだ。一方で今作では特に都合の良いことは書いていないし、教育エリート以外でこんな本を読む人はほとんどいないのでそれほど話題にならなかったのだろう。守るべき権益を明確化し、構造を維持するヒントにはなるかもしれない。
 どうやってこの本の提言を、恩恵を受けるであろう、しかし選挙へも行かない、大多数の格差社会に苦しむ非エリートの貧困層へ届けるのかはわからない。

 読めばわかることを要約しても意味はないので、読みながら気になった部分を摘まみ食い的に引用しつつ、ご紹介。「21世紀の資本」より読みやすく感じたので、一人でも大著に挑戦するかの判断の一助にして貰えれば幸いである。

 小説でもなんでも本を読むとき、気になった部分に付箋を貼って、後で読み直すという作業をすると、読んだ内容をすぐ忘れてしまう私でも、少しは定着する気がする。 #わたしの勉強法

*最後の図書館への訪問から3年以上経過していて、無効になった貸出カードを作り直した。そこまで自分が堕落していたことに震える。

この歴史的分析から、ある重要な結論が浮かび上がる。経済発展と人間進歩を可能にしたのは、平等性と教育を求める闘争であって、財産、安定性、格差を聖なるものに祭り上げることではないということだ。

p.3

 経済発展に関して言えば「サピエンス全史」のユルヴァ・ハラリによれば経済発展の原動力は、科学革命と信用創造の力であり、それを支える社会構造にある。しかしながら全ての進歩がイデオロギー的であるとしている点は同じだ。
 話はずれるが他人を互いに信用するということは、大変効率の良いことである。

こうした各種の歴史的道筋の研究や、採用されなかった多くの道筋の研究は、エリートの保守主義と、革命のための条件が整うまでは何もできないと論じる革命家もどきたちの言い訳との双方に対する最高の対抗策となる。

p.9

 歴史から学べば、格差是正への道筋は過去にいつでも可能な形で複数存在している。

また文学も活用する。これは格差の表象がどう変わるかを理解するためには最高の情報源であることが多い。「21世紀の資本」で私は、オレノ・ド・バルザックやジェイン・オースティンの19世紀古典小説を参照した。

p.17

 19世紀まではインフレというものはほぼなく、1フランで買えるものは生涯ほぼ変わらなかった。資産をいくら持っているか分かれば、自動的に年収(資産の約5%)が分かり、どういった生活が出来るかもわかり、一生懸命勉強して働いて出世したところで、生まれながらの財産には決して及ばない社会の様子があった。20世紀はお金の価値が日々変わるので、資産が何万フランの領地だのそんなことは書かなくなった。おかあさんの好きなモームの小説にも具体的な金額がしばしば登場し、大体19世紀末の1£=2010年時点の1万2千円くらいと思って読んでいる。
 思うに、21世紀にはこうしてnoteに記した内容もメタデータ的に未来人たちに解析されるのではなかろうかと思う。

たとえば1932-1980年の時期に、トップ限界所得税率は米国で平均81%になり(中略)明らかにトップ限界税率が半世紀近くにわたり80%超だったのに米国での資本主義は破壊されていない―その逆だ。
高い累進課税は20世紀の格差引き下げに大きく貢献した

p.32

 税率の累進性が高いと労働意欲が下がり経済成長を阻害するなどということは、事実として存在しない。

三層社会の核心にある格差の三機能的な正当化―つまり三つの社会集団がそれぞれ別々の機能(宗教、軍事、労働)を果たし、この三分割が社会全体に有益だという発想―には最低限のもっともらしさがあったからこそ、この仕組みも長続きしたということだ。三層社会だろうと他のどんな社会だろうと、格差レジームは強制と同意の複雑な組み合わせを通じてのみ存続できる。

p.64

 三層社会は多くの国で消滅しているわけではあるが、北朝鮮では再興し政治部局と軍と人民がいるのだろう。それはさておき、現代社会の格差に、同意を得られるだけのもっともらしさはあるのかということだ。

能力主義的な論理や言説は所有権社会の正当化には全く使われない。そうした言説が登場するのはずっと後になって、ベル・エポックの工業と金融資本主義が台頭してから、そして特に、1990-2020年のハイパー資本主義時代になってからだ。このハイパー資本主義は、それ以前のどんなレジームよりも勝者をほめそやし、敗者を貶める。

p.175

 19世紀初頭の小説では社会の安定性を担保するという理由と、文明的な生活をする集団を成立させるには富が集中していないと無理という理由から、所有権が絶対的に守られる社会が暗黙に正当化されていた。所有権社会は夜警国家的な状態である。
 現在では血統により財産が守られることを正当化できないので、能力主義という欺瞞が用いられる。能力主義文脈ではイーロンマスクは平均の一億倍優秀なのだ。

ときに、それぞれの文化や文明が何か天性の平等性または不平等性をもたらす「本質」を持っていると想像する人もいる。だからスウェーデンとその社会民主主義派は、はるか悠久の時から平等主義者で、その平等性はバイキングの持つ古来の熱意から・・・インドは永遠に不平等であり・・・という考えだ。だが実は、すべてはそれぞれの人間社会が確立するルールや制度次第

p.187

 日本人は古来より国内の自然と調和し、現在でも外国の資源を収奪することでこれを守り続けているのであり、変更するなんてとんでもない。

この最大限に可能な格差という発想が有益なのは、なぜ所得格差が財産格差ほど極端になれないかを理解するのに役立つからだ。実際には最貧層50%に行く総所得シェアは常に最低でも5-10%だ。だが最貧層50%が所有する財産のシェアはゼロ近くになれる。

p.265

 糊口を凌ぐ為の最低限の所得シェアを下回ることはない(下回ったらその層は消えてなくなる)が、純資産0(持ち家なし、預金もほぼなし、仮に住宅をもっていてもローンの負債と相殺)の人が大半である。世の中の80-90%の資産は上位10%の人が所有している。

あらゆる文明では、社会的地位と政治的機能の厳密な割り当てが、傲慢とエゴの抑制となるのだという発想が見られる。これはまた、世襲階級の擁護に使われるもので、特に君主制や王朝制の論理では顕著だ。

p.312

 例えば農民が大学に行くのはエゴである。

インドの経験の成功と限界を十分に評価することで、インドを含めた世界中の長期にわたる社会格差と地位格差の克服を前進させることができるだろう。

p.358

 インドにおいて、社会格差是正への長期的努力が為されてきたことは、初めて知ったわけである。

日本の経験は積極的な政策、特に公共インフラと教育投資が、長年のきわめて強力な身分格差をわずか数十年で克服できることも示している。そうした格差は他の文脈では、硬直して改変不能だと思われていることも多いのだ。

p.380

 別に日本を誉め称えているわけではなく、格差は意志によって是正できるということである。

こうした歴史経験の共通点は、社会格差には何も「自然」なものなどないのを示しているということだ。それは常に、徹底してイデオロギー的で政治的なものだ。

p.401

 社会格差は別段野性的な生物としての人間の本性ではないし、人間が社会を形成すれば必然的に拡大していくものでもなく、単に自分の都合の良い守銭奴的イデオロギーをいかにも正当であるように見せかけることによるのだ。

中国の税金はずっと低かった。・・・清朝は厳格な財政正統主義を貫いた。あらゆる経費は税金で賄われ、赤字はなかった。これに対してヨーロッパの国家は、フランスとイギリスを筆頭に高い税率にもかかわらずかなりの公的債務を積み上げた。

p.370

19世紀のヨーロッパ所有権社会は個人の解放と社会的調和を約束し、財産と国家保護への普遍的アクセスを保障することから生まれた。それが身分格差を特徴とする前近代の三機能社会に取って代わった。実際には、所有権社会が世界を征服したのは、むしろヨーロッパ内の競争が培った軍事、技術、資金力のおかげだった。

p.458

 繰り返しになるが、ハラリによれば経済発展の原動力は信用創造の力であり、そちらの方がより根源的な説明になっているように思われる。
  圧倒的な資本主義の信用創造の力で、加速度的に世界の富は増大した。西洋では科学革命により自らの無知を認め、世界にはフロンティアがあると信じた(し、株式会社のような少ないリスクで投資できるようなシステムを生み出した)ので、世界に先んじて信用創造が成立し、世界を支配した。新大陸投資はスタートアップ投資のようなものだ。また、そういう財産を保障するシステムも構築され、突如横暴な君主から課税されることのないような仕組みが形成された。そういう社会構造変革の蓄積がある日花開き、西欧を覇者とした。
 資本主義の父なる渋沢栄一や、資本主義に不可欠な近代的社会構造を支える人材を育てた福沢諭吉が一万円札になるのもさもありなんというか、最近の人選は結構歴史を直視しているのかもしれない。

いずれにしても、どんな給付政策(現金もしくは現物)をもってしても、一時所得(つまり税引き給付移転前所得)の分配がこれほど大幅に歪んだら対処しきれないのは明らかだ。底辺50%の一時所得のシェアがわずか40年で半減し、トップ1%のシェアは倍増した。この変化を事後の再分配だけで埋め合わせることができるというのは幻想だ。

p.500

 米国の所得下位50%では1960年代から2015年まで、所得がたった1.5倍にしかなっていないし、給付を加えても2倍でしかない。トップ1%は4倍以上なのにだ。事後の再分配にはフードスタンプや医療などがあるが、結局医療費はトップ1%の製薬会社や医師の所得に回ることになる。
 日本は1960年代には発展途上国であり経済成長率が全く違うので、1.5倍ということはないが、底辺50%のシェアが減っているのは事実だ。そしてそれを月10万円だかなんだかの給付で補うことは出来ない。

1950,60年代英米大手企業の経営トップは莫大な報酬引き上げを求めて派手に戦おうとはしなかったし、他の関係者も認めたがらなかった。どんなに引き上げてもその8-9割はまっすぐ政府の懐に入るだけだったからだ。だが1980年代には話が全く変わってしまった。莫大な報酬引き上げが正当だという説得に重役たちがかなりの労力を注ぎ始めたことを証拠が示している。この説得はそれほど難しくはない。重役が企業の成功にどれくらい貢献したかを評価するのは難しいからだ。さらに、報酬委員会はふつう、かなり内輪のお手盛り組織だった。だからこそ重役報酬と企業業績(あるいは生産性)の間に統計的に有意な相関はなかなか見られない。

p.504

 実際のところ資本主義社会は実力主義の世界ではない。そもそも実力主義社会が正当だと考える理由もさほどないが。

ロシアほど累進税という考え方自体を排除した国はない。・・・さらに共産主義国には累進所得税や相続税はなかった。・・・国が賃金と所得を直接決められたからだ。しかし計画経済が放棄され、企業が民営化されたのだから、累進課税は20世紀に資本主義諸国で果たしたのと同じような役割を果たせたはずだ。そうならなかったという事実は、これまた各国が経験を共有し、互いに学びあうことがいかに少なかったかを示す良い例だ。

p.558

 ロシアはオリガルヒと呼ばれる新興富裕層に国の資産の大半を所有されている。
 自国を特別な存在であると誤解し、外国ではすでに解決している問題を無視したり、それどころか自治体レベルでも他で実行済みの事を実行しなかったりするものである。人は自分が思っているほどに個性的ではないということは、様々な研究で実証済みの事である。

私有財産に基づいた、十分な税制的、社会的な保護手段のない社会は、長い目で見ると悲惨な格差水準に達する危険があるという事実は、19世紀と20世紀前半のヨーロッパの経験がはっきりと示しているが、中国政府はそれをあまり真剣にとらえていないようだ。歴史上多くの社会に見られた自国例外主義と、他人の経験からの学習拒否が、おそらくここにも表れている。

p.583

 幕末の武士は、神風は再び吹かず、中国皇帝同様に日本天皇に神性はなく、自国は例外ではないことを知っていた訳だ。

西欧諸国が東欧圏のEU統合でかなりの商業、金融利益を得たことは否定しがたい。・・・とくにそれらの利益が、ドイツの前例のない貿易黒字に貢献している・・・
支配的な経済主体が市場原理と、その結果としての格差を「自然」とみなす傾向は、国家間でも国内でもよく見られる。

p.598

 自然って言うといいことに聞こえるよね。自然な生物進化は能力ではなく偶然で決まる。

格差に意味を与えることと勝者の地位正当化は非常に重要な問題だということだ。格差は何よりイデオロギー的だ。今日の新財産主義は、もはや19世紀の古典的な財産主義のような明確な財産比例選挙制をとれないので、なおさら能力主義に頼る。

p.656

 大義名分は大事。大義名分は自然ではないことを合理化する。

慈善幻想のもう一つの特徴は、慈善活動が参加型でも民主的でもないことだ。実際、寄付は非常に裕福な人々によるものに極端に集中しており、彼らは大抵寄付によって大きな税優遇を受けている。言い換えれば、中下層階級は税を通じて、富裕層の慈善的な好みを補助している・・・

p.661

 寄付控除を拡大するらしいですね。ふるさと納税も寄付扱いらしいですけど、まるでクレジットカードの上級カードが使うほどに還元率が上がるみたいに、お金持ちが税を払うほどポイント還元されるというシステム。税控除ではなく富裕層向け税還付なわけで、おかあさん(中産階級)も今年まで利用させていただきました。来年からは利用できないので、税が流出する自治体の住民として声を大にして反対していきたい。

有権者と政治の亀裂が、決して「貧乏人」と「金持ち」との対立といった単一の次元に還元できない理由は沢山ある。・・・それは公正な社会に対する世界観や信念体系の対立であり、そうした信念は個別の社会階級に還元できない。

p.667

 アメリカ大統領選挙で、民主党がマイノリティや貧困層の支持を期待するほどに得られなかったのは、社会階層だけが投票行動を決定するわけではないことの証左なのだろう。

社会党と共産党からしてみれば・・・自営業者は所得を過少申告する残念な傾向があり・・・自営業者が行っているとされる不正分を補うために賃金労働者の特別免税を設けても、当然ながらその不正は減らず、万人が受け入れる税制面での公正規範も発達させない。

p.709

 これはフランスの話だが、日本では逆パターンでインボイスが制度化されたことは記憶に新しい。私はそもそも消費税という制度自体に感心しないが、消費者が負担している税を小規模事業者やそこから仕入れている者が財布に入れて良いなどということも無いのである。

知的エリートは、バラク・オバマとヒラリー・クリントンが醸し出そうとした冷静な慎重さと文化的な開放性の価値観を強調したが、ビジネスエリートは腹芸的な交渉術と狡猾さと男らしい明快さを好んだ(ドナルド・トランプはそれを体現していた)。

p.747

「バラモン左翼」は再分配支持派と市場支持派に分裂しているし、「商人右翼」もやはりナショナリズムや自国主義寄りの派閥と、主にビジネス重視、市場重視の方向性を維持したい派閥との間で分裂している。

 欧米においては、かつては高学歴者は保守政党に投票していたが、今では大半はリベラルに投票している。高卒よりも大卒、大卒でも博士号を所持しているとリベラル政党に投票する。これがバラモン。
 重要なのは右派左派では政治思想を纏めることは出来ないということである。

先進国の選挙民主主義における亀裂構造の全般的な発展における唯一の真の例外は日本だ。日本は第二次世界大戦後に西側諸国で見られた階級主義的な政党制を一度も発展させなかった。日本では自由民主党が1955年以来ほぼ一貫して政権を握り続けている。歴史的に、この準覇権保守政党は農民有権者と都市ブルジョワジーの間で高い得票を誇った。・・・日本の政治対立の固有構造はナショナリズムと伝統的価値観を巡る亀裂との関係で捉えるべきだ。

p.789

 階級主義というのは農民や労働者と資本家で、たとえばイギリスの労働党と保守党をそれぞれ支持するというようなかつての(現在は逆転している)状況だ。もちろん日本で階級主義の政党が発達しなかったということは、格差の不存在を意味しない。日本の左翼は初めからバラモンぽかったと。

1990-1991年の共産主義対抗モデルの崩壊によって、多くの政治アクター、特に社会民主主義は、再分配的な野心は不要になったと確信した。・・・社会民主主義はそれをどう逆転させていいかわからずにいる。

 バラモンは分裂していて、非エリートも分裂している。再分配を争点化することも難しくなっている。

「ポピュリズム」という概念は、公的議論でうんざりするほど使われ、すべてをごちゃまぜにして、消化不能のごった煮にしてしまうのだ。
この概念はあまりにしばしば、政治アクターが自分の気に食わないあらゆることを指し示し・・・

p.866

 それはそう。

公正な社会とは何だろうか? 本書の目的のため、私は不完全ながら次のような定義を提案したい。公正な社会はその全メンバーにできるかぎり多種多様な基本財へのアクセスを可能にする。基本財とは・・・

p.873

 ここにきて、基本的人権の尊重のような定義が為され、拍子抜けする。日本の裁判所によればプログラム規定にすぎないらしく、判事の心情や気分次第だ。

相続税と所得税だけでは不十分だ。これを累進的な年次資産税で補う必要がある。わたしはこれこそが、資本の真の循環を実現するための中心的なツールだとみている。

p.880

  固定資産税に限らず、金融資産などにも累進的に資産課税をするべしということである。金融所得ではない。そうでなければ、資産配分が世代を超えて永続的に固定化される。

ヨーロッパでは、トップ十分位が持つ民間資産の割合は、1900-1910年には80-90%だったが、2010-2020年には50-60%に下がった。これは人口のたった1割の資産にしてはまだかなりの比率だし、加えてこの資産減少の恩恵を受けた人々は、ほぼ全員が次の40%の人々だったという事実がある(この人々のシェアはぎりぎり10%だったのが30-40%にまで上がった)。これに対して資産の分散は底辺50%にまともに行き渡ったことがない。

 20世紀を通じて世界は豊かになり、飢餓に苦しむ人は減り、寿命も延びた。すべての人にとって消費できる富は増えたが、相変わらず大半の人は一文無しのままである。相変わらず人口の過半の人には食費や医療費、学費、家賃を支払ったら何も残らず、消費した富は中産階級以上の人々の懐に蓄積されているのだが、1990年代以降は中産階級にすら蓄積されなくなった。

民主的平等性バウチャーの中心的狙いは、平等で参加型の民主主義を促進することだ。現在では、民間資金提供の蔓延が政治プロセスを大きく歪めている。・・・フランスで、民間個人の政治献金は、納税者一人当たり年額7500ユーロまで認められ、うち3分の2は所得税から控除できる。当然この上限額近い献金をする人は主にかなりのお金持ちで、所得分布のトップ百分位に含まれる。言い換えると、金持ちの政治的選好が直接的かつ明示的にそのほかの人々によって補助されている

p.912

 日本では、企業団体献金が民主主義を歪めることへの対抗策であるかのように、この控除額を拡大しようとしているのだが、その問題点について指摘している。有権者全員がそれぞれ同じ金額だけ、政治資金を交付する対象を選べるというシステムの提案である。
 実質的には得票率に比例しそうなので、小選挙区制の欠点を補える効果もありそうだが、現在優勢の政党がさらに優勢になるだけかもしれない。

ドイツの累進課税は、1920年代に急増し、ナチ体制下でも高水準のままだったことに注目。一方、ナチの政策は産業収益回復(とりわけ軍事戦略部門)と賃金階層化を目指したため、それが1933年から1939年に、他国と比較して大きな所得格差の拡大をもたらした。社会格差の大きな減少を特徴とする国際背景の中で、ファシズムとナチズムは国内コミュニティ内の格差縮小よりも、敵国との戦いと、秩序、階層の形成により力を入れていた。

補遺

 それでは戦争には勝てない。

厳密に理論的な意味で、公的資産はいくらでもマイナスになれる。厳密にいえば、民間個人が金融資産を通じて、将来のすべての税収、あるいはその他すべての人の所得を所有するところまで到達し、すべての人は事実上、公債保有者のために働くようになることもありうる。これは古代では頻繁に起きた(奴隷はしばしば重債務や軍事奉仕の結果だ。・・・

補遺

 公的資産がマイナスというのは、公共インフラなどの政府資産から負債(公債)を差し引いた額がマイナスになるという意味である。民営化などを通じて資産は減少する一方で、減税により予算に占める公債の比率が増えている。

累進課税の無い専制主義的な格差レジーム下での金持ちも、世論変化の可能性と権力の社会政治的均衡には気をもまねばならない。2017年、サウジ皇太子ムハンマド・ビン・サルマーンはサウジの億万長者たち(王族やレバノン首相を含む)をリヤドのリッツカールトンホテルに監禁し、彼らの財産を奪った。これはこれらの財産主義体制下でも、権力をめぐる派閥争いがあることを思い出させてくれた事件だ。

補遺

 税金があろうがなかろうが、所有権の絶対的な安全はない。


 


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