ENTP/ENFPへ捧ぐ「僕らはまだ未完成」というエール
久しぶりにがっつりMBTIの話です。
INTP/INFPもそうですが、Ne:外向的直観を強く知覚機能として使うタイプはよく「子供っぽい」「一貫性がない」「訳の分からないことばかり考えていて身の回りの事ができない」とよく言われます。
Neは外の世界への想像や洞察が無制限に広がる機能で、この機能を持つ人間は何を見ても「なぜなぜどうして」が永遠に頭の中に浮かびます。中には現実からかけ離れた無軌道な疑問も多く混じっていて、そういった疑問を内面で処理することに常に一生懸命ですから、大抵自分のお世話には手が回りません。
子供のうちはそれでもかわいいので周りが優しく相手をしてくれるかもしれませんが、成長するにつれて「年相応にしろ」「真面目にやれ」と突き放されるようになります。僕の場合は中学生になったとたん急に周りの反応が冷たくなりました。
このタイプは地に足を着けた振る舞いが苦手で当たり前とされることが出来ないことも多いので、当たり前のことを当たり前にこなせる人が優秀だとされる社会においては、比較的活躍しづらいと言われることもあります。
日本ではMBTIを血液型診断と同じように楽しんでいる人間も多くいる一方で、こういった周囲の反応のギャップに苦しめられてきた人間が答えを求めてMBTI界隈にすがっているケースも多いのではないかと思います。少なくとも僕はその類です。
果たしてこういうタイプの人間は、イメージの通り本当に社会的に弱く、成長できず、ひっそりと生きていかなければならない運命にあるのでしょうか。
そんなはずはありません。Neユーザーには頭の回転が速く、革新的な知性を持ち合わせているという利点があるはずです。我ながら上手に使えば本当に素晴らしいスペシャルなものだと感じています。今回は、自分の思考の整理をしながらそういうNeユーザーがどうすれば周りからより評価されるのか考えてみたいと思います。
大人になるとはどういうことなのか
そもそも大人になるとはどういうことなのでしょうか。
一般に人格は25歳までに完成するとよく言われます。
25歳という基準におそらく厳密な根拠はないのですが、25歳と言えば高卒大卒であればある程度責任のある仕事を任されだす頃です。大学院卒であれば教授にしごかれ倒されている最中かその直後でもあります。
いずれにせよ、大抵の場合は25歳にもなると他者に対する責任の重みがこれまでと比べ物にならず、場合によっては自分の心を犠牲にすることを迫られるようなイベントがぽつぽつ発生するようになります。
これまで若さと無責任さを武器にこの世の春を謳歌していた彼らですが、これまで感じた事のない圧倒的な責任の重さを前に、社会の中でいかに自分の立場が脆弱で、能力不足で、他人に生かされているに過ぎない存在かを思い知らされます。こういう現実に直面したとき、今まで全く疑っていなかった「みなさんの可能性は無限大」「個性を伸ばす」「やりたいことをやる」という教育的理想がいかに理想でしかないかを思い知らされます。
嫌な言い方をしましたが、多くの人はそういうプロセスを乗り越えて社会から大人として認められるようになります。これはすなわち自分が社会と上手く付き合っていくために、自分自身のどこを見捨て、どこを大切にするかを選択するというプロセスです。
その過程にどれほど痛みを感じるかは人それぞれでしょうが、基本的には多くの人がこれぐらいの年でそういった経験を通じて現実を受け入れ、自分が行動可能である枠内の限りで一生懸命に自分の人生を自分なりに豊かにせんと努めるようになります。あるいは、一時的にはその権威に従いつつも陰ではその枠を押し広げようと努力する人もいるでしょうが、大人として現実をしっかりと受け入れるという点では変わりありません。
このように、25歳とはこれまで見ないふりをしてきた「自らの器」に向き合うイベントが増えてくる年齢だと言えます。これにしっかりと向き合って自らの器を受け入れる覚悟ができた人から順に「人格が完成した」と言われるのではないかと思います。
上記については全く理論的な裏付けはありませんが、直感的にはそこまで間違っていないような気がしますし、実際にそう説明している人もたまに見ます。自らの可能性に関する葛藤を乗り越え、その経験を通じてみんな大人になっていくというのはもしかすると社会的な共通認識だと言えるかもしれません。
とは言え、人格とはどこまでいっても個人の内面に根を張るものですから、その人格が外部的な要因ありきでほとんど決まってしまうかのような説明をされると個人的には多少気持ち悪さを感じなくもありません。
大人になるってのはそれほど受動的な現象なのでしょうか?
自分だけに刺さり続ける諸刃の剣
先ほどの疑問はいったん置いておいて、ひとまずNeユーザーの良い面も見ていきましょう。
Neが持つポジティブなイメージとしては、「創造的」「アイデア」「創意工夫」と言ったものが挙げられます。Neユーザーは何事にも先入観を持たず、社会の秩序すら無視してひたすら可能性を模索しますから、上手くハマれば革新的なリーダーとして活躍できる可能性があります。
ここで「革新的」「改革」「視野が広い」というのは、まさに現代の大人に求められている要素であるように感じます。現代社会において選挙でボロ勝ちする人は必ず「何か変えてくれる」ことが期待されていて、ネットで注目を集める人は必ず「既存の権威に挑戦する」ことが期待されています。一般的な企業だって、少なくとも口先では「会社を変えてくれるような人材」を期待します。
こういった、漠然と改革を求める傾向は今のところとどまる気配がありません。一般に改革という言葉それ自体にポジティブな印象を受けやすいということについて、異論を唱える人は少ないと思います。それだけ世の中は改革を求めているのです。
こういった世界観の中で、Ne的な「(考えすぎた結果)向こう見ずで」「既存の権威にケチをつけることに命を懸けていて」「革新的な思考が大好きな」人材というのは、現代社会においては本来強く必要とされる人材であるはずなのです。それがなぜ暗に「Neユーザーは社会的に無能な役立たず」だと言われなければならないのでしょうか。
これは、言うまでもないかもしれませんがNeユーザーの現実的な実行力の乏しさに由来します。Neという機能の強みは、「地に足のついた」「現実に基づいた」思考を犠牲にして成立しますから、相当に気を付けて考えを発展させていかなければ大抵の場合そもそも実現不可能な結論に至ってしまいます。Ne的な革新思考が受け入れられないのは「日本社会が保守的だから」とか「周りの頭が固いから」とかではなくて、そもそもNeユーザーの発想は、着想した時点ではそもそも実現不可能なことが多いのです。
そこでその素晴らしい発想をを現実に着地させていく作業が大事なのですが、Neユーザーはその作業が何よりも嫌いです。そのために劣性機能であるSi:内向的感覚を用いる必要があるからです。革新的な着想の中にある無数の小さな違和感を残らずキャッチして、一つ一つ現実と比較しながら調整する作業が求められます。
Neユーザーは飽きっぽいのでそもそもそういう作業を放棄してしまう事が多いですが、「本当に自分の意見を周りに聞いてほしい」と感じた時には真摯にこの作業と向き合うかもしれません。
ただ、元々苦手な作業なのでいくつも修正すべき点を見逃してしまいます。苦しみながら何とか一通その作業を終え、他人に自分の着想について意見を聞いてみるのですが、その現実性の薄さにばかりダメ出しを食らい革新性そのものに目を向けてもらう事はありません。実行に移せたとしても、そもそも現実的な計画を組むのが苦手なので、結局思った通りにいかなかったりします。こうしてNeユーザーはノイローゼに陥ってしまい、ただでさえ酷い飽きっぽさが更に悪化していきます。
このように、Neユーザーは現代社会で活躍するために強力な武器を持っているにもかかわらず、その強みを活かすにはあまりにも実行力にかけているのです。一方で強い洞察力のために「周りが自分の考えを理解してくれないorついてきてくれない」というフラストレーションはちゃんとたまりますから、Neという機能はまさにほとんど自分に刺さる諸刃の剣と言えるでしょう。
Ne持ちが救われるには
そんな悲しい性を抱えたNeユーザーですが、上記の問題について自力で解決するのは諦めた方がいいと思います。Neの強みを活かすにはその対になるSi的なスキルがどうしても求められますが、ENTP/ENFPにとってSiは劣性機能となります。MBTIにおける劣性機能とは、人によっては生涯日の目を見ることのない機能ですから、ここを当てにするのはあまり合理的でありません。
つまり、独力で自分の着想を現実的なものに調整していくことはほとんど不可能だという事です。残念でした。おしまい。
となってはいけません。各タイプには代替機能と言われる、頻繁に使う訳ではないが大の苦手と言う訳でもない、第三の機能が備わっています。ENTPであればFe:外向的感情、ENFPであればTe:外向的思考です。Neユーザーの悲しい性を乗り越えるには、これを上手に使うことがとても大切であるように思います。
要するに、他人に自分の苦手を補ってもらうのです。
例えばENTPは、ネット上の適当なMBTI解説ではサイコパスなんて言われたりもしますが、Feを持っているので唯我独尊に見えて割と他人の事が気になるし、意外とお茶目でサービス精神旺盛です。そんな自分を周りに楽しんでもらえると、まんざらでもありません。
他者に一生懸命自分の考えを説明して、理解してもらえると強く喜びを感じるという経験もしたことがあるでしょう。こうやって自らの特性を活かしながら理解者を地道に増やしていくことで、協力してくれる人を確保していくのです。僕はこれまでの社会人生活を通じて、ENTPが活躍する道はこれしかないという結論を持っています。このことに気付いてからは、かなり周りに助けられてきました。今の僕が結果を出せているのは、たくさんの人が僕のやらかしをカバーしてくれているからです笑
もちろんENTP本人もSi的な感覚を発達させるよう努力することも大切ですが、他人並みになるのは無理だと思います。僕も昔よりは気を配れるようにはなりましたが、最低限のラインに到達するにはうまくいってあと20年必要だと思っています。
ENFPはTeが働くのか、日常生活で突然白けた感覚に陥ることがあるでしょう。これまで何があってもヘラヘラしていたのに、急にあたかも生粋のリアリストであるかのような顔をして正論をまき散らしているのをよく見ます。地に足がつかないタイプとよく言われますが、実はしっかりこの世を冷めた目で見ているし、その仕組みもよく理解しているのです。
突飛な発想の赴くまま活動するのがENFPの特徴で、それがかわいらしいともっぱら評判ですが、一方で上記のような特徴によりある程度付き合いを深めると「意外と裏表が激しい」人として警戒されやすいような気がします。端的に言って信用ならないのです。
心の底では常に冷静に世の中を見ているというのは紛れもなく美点ですが、その表出が下手すぎて周りの反感を買ってしまいます。
これを上手に利用して世界の仕組みに表立っては逆らわずに行動をセーブしていくことで、持ち前の愛嬌がさらに引き立ち、割と簡単に周りから一目置いてもらえるようになるかもしれません。持ち前のあざとさをちゃんと武器にするのです
ENFPも劣性Siなので、周りから協力してくれないと何もできません。逆に一度周りから信頼してもらえたら物事は見違えるほど上手く転んでいくでしょう。
バランスのいい人間になろうね
Neがちゃんと諸刃の剣として機能するためには、第三機能を発達させることが大切です。ENTPであればFe:外向的感情、ENFPであればTe:外向的思考です。
ここで重要なのは、どちらも外面的な働きかけを重視する機能だという事です。
第三機能は比較的苦手と言われる機能ですが、これは第二機能の対になるものです。ENTPのTi:内向的思考やENFPのFi:内向的感情がそれにあたります。
これらの機能は、いずれも内面的な判断基準により物事を決定することを優先します。極端に言えば、身の回りがどうなろうと自分の中で正しければどうでもいいのです。
もちろんそれはそれでいい面もあるのですが、内面的な判断機能(TiとかFi)を優先しすぎると当然悪い面ばかり目立つようになります。これがSP型であればまだ現実的な情報収集を優先する(Se:外向的感覚を持つため)のですが、NP型の場合はそもそも頭の中での連想、悪く言えば妄想から情報収集をしているところがあるので、あまり第二機能ばかりを活用していると「妄想から得た情報を頭の中で処理する」ということになりかねません。こうなると、外面と内面がどんどん乖離していってしまいます。
Neユーザーがある程度成長するととたんに問題児扱いされるのはこれが原因です。集団の中に組み込まれた人間は、常に自分を集団の中で相対化しつつ行動を決定するように求められますが、Neユーザーはこれが分かりません。先ほど言った通り、頼みのメイン機能Neが、外的な志向を持っているにもかかわらず実際は内面的な活動に重点を置くものだからです。
この機能を実用的なものにするためには、やはり外部への働きかけを強化するしかありません。そのことにより、得られた洞察を地に足のついたモノにするのです。
ENTPであればどうしても合理性を追求すると第二機能のTiにより「自分の中の」理屈に熱中してしまいますから、周りの感情や雰囲気を気にしてみましょう。それならこだわりに縛られず客観的に周りを見れると思います(僕はこれに気付いた時とても衝撃を受けました)。
ENFPであれば第二機能のFiにより感情や価値観の話になると譲れない点が出てくるでしょうから、ひとまず冷静な目で周りを見渡してみましょう。すんなり周りの状況が頭に入ってくると思います。
そこで、周りにどうすれば自分の話を聞いてもらえるのか考えてみましょう。そうすれば割とすんなりと答えは出てくるはずです。
「僕らはまだ未完成」というエール
ここまで見てきた通り、ENXPタイプと言うか、Neユーザーは「未成熟な機能をいかに伸ばしていくか」がカギであるように感じます。
Neの爆発的な想像力は外部世界と接続すること(自らを相対化すること)で初めて社会的な意義を持ちますが、P型の宿命として自分がこだわりの強い領域ばかりを見ていると外部と自己世界がうまくつながりません。
そこで、自分が苦手な領域に積極的に踏み込むことで、謙虚な立場から自分を見つめなおしてみることをお勧めします。
例えばENTPである僕であれば、論理の世界だけだと「どうしても俺が絶対に正しい」という考えになりがちです。これが比較的苦手な感情・価値観の世界の話であれば、苦手な世界である以上謙虚な気持ちを持たざるを得ず、「相手の意見も尊重してみよう」となるのです。いうまでもありませんが、「論理と感情どちらを重視すべきか」という話では断じてなくて、内面的な価値判断を重んじるP型にとっては、自らを相対化する糸口をつかむことが何よりも大事なのです。特にNP型だと、上記の通り「いかに外部世界と自分を接続するか」は、社会で自らの居場所を得る上では至上命題となります。
ENFPであれば、日頃堅苦しい事は苦手だと感じているかもしれませんが、隠し持っている冷めた目線を通じて「自らのキャラをどう周りに受け入れてもらえるか」と考えてみてほしいです。少し客観的な目線を意識することで、驚くほど周りが自分のアイデアを受け入れてくれるようになると思います。
一般に、第三機能の成長は早くても30代そこらであると言われていて、40代、50代になっても苦手な領域をうまく使えていない人がたくさんいることは皆さんよくわかることだと思います。
苦手な機能を使いこなせるようになるというのはNeユーザーに限らず半ばMBTIのテーマですが、Neユーザーにとってこれは自らの強みを社会で活かすためには必要不可欠ですから、特に早くから取り組んでいかねばならない課題なのです。
そういうことで、Neユーザーの方は20代でも30代でも大抵の場合社会的にはまだまだ未完成だと言えるでしょう。他の機能と比べても、Neユーザーはバランスが取れていなければそもそも社会で評価されようがないのです。
こういうタイプが20代そこらで「大人になれない」ことなど当たり前の話で、「25歳で人格が完成する」など大嘘です。50代になってもまともに人格が出来ていない人などいくらでもいるなんて、多少会社勤めをしていれば分かることだと思います。Neユーザーは社会に適応するのが多少遅れてしまうかもしれませんが、そんな俗説に惑わされずに、日々学びながら成長していくことが大切です。