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「モチモチの木」のなぞ(1) 問題編
● 「モチモチの木」について
「モチモチの木」というお話を知っていますか? 「モチモチの木」は斎藤隆介(1917~1985)が1963年に発表した文学作品です。1971年には滝平二郎(1921~2009)のさし絵で絵本にもなりました。1977年からは小学校の国語の教科書にも載るようになり,2021年度採用の国語教科書ではすべての教科書会社が小学3年生の教材として採用しています。
著作権の関係上,あらすじのみの紹介です。
「モチモチの木」は五つになる豆太が主人公のお話です。豆太は爺さまと二人で,峠のりょうし小屋に住んでいます。家の表にはモチモチの木と呼んでいる大きなトチノキがあります。夜はモチモチの木が怖くて,豆太は表にあるセッチン(トイレ)に一人では行けません。爺さまを起こして,いつも一緒に行ってもらっていました。
ある晩,爺さまは「今夜は山の神様の祭りでモチモチの木に灯がともる」と言います。そして,「それを見ることができるのは勇気のあるたった一人の子供だけだ」と言うのです。豆太は自分には無理だとあきらめました。
ところがその夜,爺さまが腹イタを起こし,それを助けるために豆太はふともの医者様を呼びに駆け出します。医者様におぶわれて家にむかう途中,豆太は〈モチモチの木に灯がついた光景〉を見ました。翌朝,爺さまは「おまえは山の神様の祭りを見たんだ」と豆太に告げます。
国語科の指導としては〈読んで自分なりの感想を持つ〉ことが目標となっています。だから,どんな感想を持っても間違いにはなりません。しかし,現実には教科書会社の指導書があり,業者テストがあって一定の読み方が指導されます。また,近年の国語教科書では物語教材が少なくなったため,先生方の研究授業として取り扱われることも多いようです。全授業の全発問・全板書例の本も出版されているほどです。
この本を初めて知ったのはいつのことだか覚えていません。しかし,他の人の研究授業で初めて見たときのことは覚えています。私はスッキリしませんでした。いろいろと疑問に思ったことがひとつも解決されずに終わったからです。
普通の読解は書かれたことをもとに考えます。しかし,すべてのお話がそうなっているわけではありません。例えば推理小説です。物語の展開上,作者がわざと伏せていることを想像して納得のいくストーリーを考える楽しみが推理小説にはあります。推理小説の読み方は仮説を立てて,その証拠を探していく読み方です。わたしにはこの「モチモチの木」がまるで推理小説と同じに思えたのです。
私なりに読解をしていくと教科書指導書とまるでちがう解釈になります。どうやって授業をするかでずっと悩んでいました。サークル等で話をする中で,いろいろと知恵をもらい,無理なく展開できるようになったので紹介します。
また,個人の勝手な解釈で終わらないように別の角度からも検証してみました。その中で「モチモチの木」に関してはさまざまな教材研究もしたので合わせて紹介したいと思います。
● 授業の流れ
業者テスト等もあるので,さっさと普通に指導してください。その方が子どもたちに混乱を与えないと思います。さっさと指導することで2時間ほど指導時間を生み出してください。
そして最後に次のようなプリントを用意してください。
「モチモチの木」にはまだ明らかにされていないナゾがあります。〈「モチモチの木」のナゾ〉とはどういうことでしょうか? 次の文を読んでから,みんなの意見を出しあいましょう。
なぞ1 豆太はおくびょうか
語り手は、豆太のことを「おくびょう」と言っているのがひとつめの「なぞ」です。豆太は「五つ」です。昔の数え方で「五つ」と言えば,現在の「3~4歳」になります。幼稚園・保育園の年中にあたる歳です。そんな小さな子が「夜中に一人で外に出ておしっこをする」なんて、できなくてふつうではないでしょうか。
「どうして豆太だけがこんなにおくびょうなんだろうか」というのも、比べる相手が「熊と組み打ちしたおとう」と「岩から岩へのとびうつりをやってのけるじさま」です。この二人と豆太をくらべて「おくびょう」というのは、不公平というものでしょう。
それなら、どうして語り手は豆太のことを「おくびょう」と言うのでしょうか。そして、この語り手はいったい誰なのでしょうか。
なぞ2 じさまはどうして豆太の頭の上でうなったのか
真夜中に「クマのうなり声」で目をさました豆太は、じさまにしがみつこうとしました。しかし、となりでねているはずのじさまはそこにはいませんでした。これは不思議ではありませんか。
ふとんの中ではらいたをおこしたら、ふつうはその場でじっとこらえるものではないでしょうか。じさまはどこにいってしまったのでしょう。豆太は「あたまの上でクマのうなり声がきこえた」と書いてあります。つまり,はらいたをおこしたじさまは、豆太の頭の上でうなっていたのです。
どうしてじさまはふとんから出て,豆太の頭の上でうなっていたのでしょう。
なぞ3 医者様が落ち着いているのはなぜか
豆太が医者様のところへ着いたのは真夜中です。夜中に小さな子が泣きながら転がり込んできたら、びっくりするのがふつうだと思います。ところが、医者様は「オゥオゥ……」と言って、落ち着いています。
豆太をおぶって,とうげ道をのぼってくるときも,豆太は医者様の腰を,足でドンドンけとばすほど急がせています。どうして医者様はこんなに落ち着いていられたのでしょうか。
なぞ4 豆太が「山の神様の祭り」を見たのを、じさまが知っていたのはなぜか。
よく朝、元気になったじさまは、豆太に「お前は山の神さまの祭りを見たんだ」と話します。医者様と豆太がりょうし小屋についてからは、じさまははらいたでねていましたし、豆太はいそがしくはたらいていました。だから、豆太がじさまに「モチモチの木に灯がついているのを見た」と話すひまはなかったはずです。それなのに、どうしてじさまは、「豆太がモチモチの木に灯がついたところを見た」と確信をもって語ることができたのでしょうか。
みなさんはこのなぞをどう考えますか?
自分の考え
(以下,次回へ)