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映画「コレット・モン・アムール」を見て #ColetteForever

1997年にパリのサントノーレ通りにオープンしたセレクトショップで2017年に閉店した「コレット(colette)」のドキュメンタリー映画を見て以来、毎日coletteのことを考えてる。

多くのアーティストやファッション関係者に愛され、ストリートからラグジュアリーまで広いセレクトを取り揃えた、パリ初のコンセプトストア。

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なんて一行だけ読むと「どうせファッションオタクや、パリのオシャレな人たちが行くだけの、ハイブランドを買わない人はお断りみたいな、立ち寄りにくい高級でスカした店でしょ」という印象。を持たれることが大半だと思うし、自分自身、そう思う。

でも、60分間のドキュメンタリー映画を見終わったあとの感想は、まるで真逆の印象になった。

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coletteは、全体は3フロア構成で、地下はフランス中のスイーツがセレクトされて食べられるレストラン。1階は書籍、雑貨、アート、音楽関係が展開され、2階がファッションというレイアウト。

ファレルカニエウエストから愛されていたこともあり、頻繁に店舗内でもライブが行われていたとのこと。

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まず、この3フロア構成を、百貨店じゃなくて「セレクトショップ」として個人がスタートしたお店で作り上げてることが魅力的すぎる。

「coletteで大事にしてることは4つ、スタイル、デザイン、アート、フード。異なるものをミックスしていくこと」と創業者サラは語る。

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本も食もアートも、服だけじゃなく、ここに来れば常に新しいものに出会えるようにと。

何より素敵だなと思った点は、あらゆる方面に対して、民主的でフラットに、対象そのものを見定めている姿勢。

ブランドの「格」や価格帯に関係なく、デザイン性や「今らしさ」を優先してセレクトして作られた店内には、スケート少年から、全身ファーコートのおばあちゃんまでが夢中になって足を運ぶ。お客を絞らず、フィルターをかけず、誰でも夢中にさせられる仕組み。よくある「ハイファッション」や「高級ブティック」には絶対に作れない空気感。

バレンシアガ、エルメス、シャネル、まだ無名な若手インディーズブランド、そんな服が同じ列に並びながらも、決して世界観が崩れず、気軽に見られる場所は、日本にはあるだろうか。

5000円のTシャツの横に10万のヘッドホンがある。刺激的なセレクトの本やレコードもあれば、世界中のミネラルウォーターもなんでも取り扱う。ミックスだけど、乱雑じゃない。二週間ごとに商品の陳列を入れ替える。「飽きさせないことが大事でしょう」と創業者は話す。

民主的でフラットなのは雇用体制にも一貫されていた。

coletteのあったサントノーレ通りはハイブランドのお店が並ぶ通りだったけれど、coletteは他のお店とは異なり、スタッフの採用に人種や外見の条件を設けず、人柄や才能を重視。フランス語が話せないファッションのことは何も知らなかったという青年も雇用して、一年後には話せるようになるという、器の広さと人の才能を見抜く能力のすごさ...

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そこまで仕組みを作ってるだけでものすごいのに「毎日常に店頭にいる」という創業者のおばあちゃん。そしてこのおばあちゃんが、ごく普通の見た目なのに、スタッフに任せればいいような雑務までコツコツやっているような、どこにでもいそうな普通のおばあちゃん。

この人は、百人はいるだろうスタッフ全員と個人個人での人間関係を持っている。皆が彼女と店を尊敬しながら、それでも自分自身の個性を潰さずに働き、生きていた。


少し、映画の話から逸れる。


ファッション業界は、とかく効率重視で成立する面が多い。近年問題視されている「無理のあるやり方」つまり大量生産に大量廃棄。なんでそんなことすんのかって言ったら、そっちの方が効率が良いからだ。

たくさん並んでる方がレイアウトの見栄えが良い。売れない前提のストックがなければたくさん並べられない。

売りきれず捨てる・返品すること前提の、大量陳列+ワンシーズン入れ替え。工場へ発注する工賃は、安くすればするほど効率が良い。一気に契約を解消したって、工場側は困っても、企業側にリスクはない。そんな、販売側の効率優先。誰かの犠牲、大量の死に素材ありきで「成り立ってしまっていた」業界。

得をするのはトップの人間たちだけ、輝かしいのは氷山の一角だけ。ザ・ブラック的で、それを許容しなきゃトップに上がれないファッションのダークサイドとは真逆の魅力をもったお店が、本場フランスの中心地で20年続いていた「事実」がある。

かたや日本でも同じような話を聞く。インターンとは名ばかりで、交通費のみでタダ働きさせたスタッフたちに服作りや運営の殆どを任せ、「死に素材に価値を与える」ことが本質だったデザイナーの創作性やテーマ性は、もはや誰かの犠牲と搾取のみで成立して、死に素材を生む側に。それでも未だに人気だったりする。

そういった問題に対する近年よく使われる問題解決のキーワードとして「サスティナブル」という概念がある。それは長期的、広い視野で見て、持続可能か?死に素材によって成立してないか?という問いかけと取組の総称だ。

coletteは、誰かの犠牲の元に成立させていない。全ての方面に対して民主的でフラットだからだ。そして、スタッフたちに労働酷使する以前に、まず創業者が毎日店頭に立っていて、毎日朝から晩まで仕事をしてる。


それを20年間。

これを尊敬せずに誰を尊敬するべきだろうか。


「coletteは誰にも真似出来ない。あの二人が創業者で常に働き続けているから出来たことだ」という解説が映画内であったけれど、60分の映画にまとめてくれたのだから、体系化されていることは沢山ある。真似できるところを、少しでもいいから真似していくべきだ、と思った。

こんなに素晴らしい、理想の店の一例があるのに、ただ尊敬して、崇めて遠ざけるなんてもったいない。いくつもの奇跡が重なって偶然できたんじゃなくて、個人個人が身の回りのことを細部までこだわって出来上がったものだ。1ミリだって、近付くことくらいは出来るはずだ。

変わってしまったなとかもう憧れられないなと思う何かがあるのなら、その理想は自分自身に追求すればいい。いつかや遠くの誰かには押し付けられない。自分から一番近い自分自身から世界を変えていく。そしてそれが結果的に世界を変える最短距離になる。

それを、20年前から証明していた例がこの映画だった。フラットなんかとは程遠いはずの、一番難しいはずの、どこよりもファッションとはかくあるべきってムードに満たされてるはずの、フランスパリで。


coletteが閉店したのはもう3年前のこと。
どうしてこのタイミングで上映されたのか。

coletteのオリジナルアイテムとして
「internet before internet(インターネットの前のインターネット)」
とプリントされたTシャツがある。

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映画内にて「まだインターネットがない頃から、この店はインターネット的だった」という解説があった。ここに来れば新しい刺激に出会える。ここに来れば誰かに出会える。人種差別や選民思想とは無縁の場所で、世界的に一流・本物なアイテムや芸術品に気軽に出会うことが出来る。

オフラインの価値が高まっている今。個人個人との関係の重要性が高まっている今の時代に生きる人々にこそ、価値となるようなメッセージが詰まったお店だったから、今、上映されたんじゃないだろうか。尊重し敬愛し合う個人同士のつながりに勝るインターネットはない。

行ったこともない
もう閉店してしまったセレクトショップが
一番好きで理想で目標とする服屋の指針になった。


coletteは、渋谷PARCO8階で、10月8日まで上映中。

この映画は、ファッション関係の人にはもちろん。そうじゃない人にも、この時代を生きる全ての人に見る価値があると思います。


『COLETTE, MON AMOUR』
作品: ドキュメンタリー 60 分
言語: フランス語 、英語 、日本語
製作: HLB, La Pac Film , Highsnobiety
監督: Hugues and Eliane Lawson Body
編集: Thibaut Sève
会場: ホワイト シネクイント WHITE CINE QUINTO
東京都渋谷区宇田川町 15-1 渋谷 PARCO 8 階
日時: 2020 年 9 月 26 日 (土) ~ 2020 年 10 月 8 日 (木) 2週間限定公開https://www.cinequinto.com/white/movie/detail.php?id=192

(特設サイト)


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