PNESってなにかと面倒なのよ
①診断がつくまでの道のりが長い。
②病気がマイナーで知らない医者が多い。
③詳しい医者が少なすぎる。
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いまは「長時間ビデオ脳波モニタリング」が当たり前のようにあるので、診断がつくのは早いと思いますが
ちょっと昔……私が診断ついたころは
「終夜脳波」とよんでいて、できる病院も限られていました。
そして診断される前後の私の心はズタボロ。
どんなものか、当時の心境も含めこちらをお読みいただければと思います。
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高校1年の15歳から、多発性海綿状血管奇形という病気で脳外科に通っていました。
それから10年ほど経って、終夜脳波を受けたほうが良いのでは?という話になり大学病院へ転院しました。
そこまで10年。
新薬が出るたびに試した抗てんかん薬とその界隈の薬はこれだけ試しました。
アレビアチン、デパケン、エクセグラン、リボトリール、テグレトール、フェノバール、セルシン、マイスタン、ガバペン、トピナ、イーケプラ、ラミクタール
副作用があって飲めない薬が3つありましたが
ずっと何かしら飲んでいます。
転院先の主治医になる医者と、子分みたいな医者たちが
「面倒見きれなくなって送ってきたんでしょw」とか
「もう心因性で間違いないと思うけどw」とか
話しているのが耳に入ってきて
言い方が悲しすぎて忘れられません。
そういう感じだったので、検査が終わって心因性と診断つけたら大学病院の脳外科からは ぽいっとされて……
脳波はこういうことがよみがえるから受けたくない。
トラウマです。。
どんな結果になるかもうわかってるじゃん!録る意味ある?と思って拒否するようになりました。
精神科のてんかん専門医が主治医に代わり、
それでもPNESなのかてんかんなのかグレーゾーンのままでした。
脳の病気があるせいで、はっきりしない。
あるとき、叫ばずにはいられない腹痛で地元の救急病院に行くことがあったのですが……
そんな状況でも強直のような発作がおきて、
(たぶん「痛い」というストレスが大きすぎたのだと思います。)
やって来た神経内科医という女性が「心因性?!誰がそんなこと言ったのよ!てんかん重積じゃないの!」と、てんかん発作を止める薬を大量に点滴し、絶対安静、絶食にされてしまいました。
母が、てんかんではないことを説明しても聞いてくれなかったみたいです。
PNESにはこれ、といった薬や治療はないので
てんかん重積発作の治療をしても全く効果はありません。だけど逆に、これでもまだ効果がない!と薬を増やされる。からだに負担がかかり続ける。
そういう状況になりました。
ついには、てんかん専門の病院を紹介します!と言われましたが(たぶん静岡にある専門病院)……
主治医はそこから出向している先生。
結局ドロドロに眠り続け、このままでは帰れなくなると、心配と怒りが最高潮に達した母が涙ながらに
娘を還してください!と嘆願してくれたおかげで
強制退院しました。
ICUから退院するなんてあり得ません!などと医者から言われてもめてるのは知っていました。
話し合っても埒があかなかったんだと思います。
間違っている治療を続けられても症状は回復しない。
知らないって怖いです。本当に怖い。
薬が合わないのと仕事が多忙すぎて体調崩して入院したときも、PNES知らない人多くて、終夜脳波も当時の精神科病棟では初めてらしく、てんやわんやでした。
そんなこんなで学病院に通い続けて13年。
やっと薬が定着して過ごせるようになりました。
PNESの症状はびっくりするほど、てんかん発作に似ています。
ですから、発作が苦しいのは同じと私は思っています。
いっそうのこと、意識が失くなってしまえばいいのに
と思うことがある。意識がばっちりあるのでずっと苦しいまま。
意識が戻ったら疲れて寝てしまう、なんていうのは羨ましいと思っちゃうのです。
こんなこと言うと反感かいそうですが。。
そんなで、PNESをわかっている希少な医者を求めて
通院生活をしています。
いなくなったら終わる🙂
もっと多くの医者がPNESに関心もってくれるといいんだけどな。。
そういう日がきてほしい🙏願うしかできない。。