自傷行為について
自傷行為について、私なりの見解があるので書いていきます。
はじめに
自傷行為というのは読んで字のごとく、自らを傷つけることです。
リストカットや自殺未遂はもちろん、薬の過剰摂取や家出なども自傷行為に含まれると私は思いますが、今回は「物理的に自分の体を傷つけること」に焦点を当てて記事を書いていきます。
私はPMDD(月経前不快気分障害)を抱えており、月経前になるといわゆる抑うつ状態になり、自分自身を制御できなくなってしまいます。
PMDDの症状のひとつに自傷行為があり、私も度々自傷行為を繰り返しています。
この記事を読んでいる方の中には自傷行為に苦しむ方もいると思いますが、自傷行為自体をやめることによって必ずしも心が楽になれるわけではなく、きっと他の方法でまた自分を傷つけてしまいます。それは私も同じでした。
私は、自傷行為を肯定する立場でも否定する立場でもありません。
ただ同じような経験をした人たちに少しでも寄り添えたらな、という気持ちでこの記事を書いています。
周りにいる大切な人が自傷行為で苦しんでいる、という方のためにも、自傷行為の本質を理解する手助けになれたら嬉しいです。
なお、この記事はあくまでも私の症状や経験をもとにしているものなので、必ずしも自傷行為をするすべての人に当てはまるわけではありません。
なぜ自傷行為をするのか
私は数年前まで、劣等感を覚えるとカッターで腕を傷つける癖がありました。
劣等感というのは、誰かに悪口を言われた時だとか、親に叱られた時だとか…(あくまでも私の場合)
一番ひどかった時は、気持ちを落ち着けるためだけに腕を傷つけていたこともあります。
なぜ自傷行為をするのか。
私は、自分自身を罰するすべが欲しかったのだと思います。
希死念慮のようなものは若干抱いていたのですが、カッターで腕を傷つけて少し血が出たくらいで死ねると思っていたわけではないし、特に誰かに構って欲しかったわけでもありませんでした。
私は昔から自分を他人と比べる癖があり、「私はこの子よりも頭が悪い」だとか「この子ができることを私はできない」などと考えては強い劣等感に押し潰されそうになっていました。
初潮を迎え、ホルモンのバランスが乱れるようになったことがきっかけで、きっと昔から抱いていた劣等感が爆発してしまったのだと思います。
「私は何よりも劣った人間だ」と思い込み、罪の意識を感じるようになりました。
つまり、カルト集団の洗脳のようなことをセルフで行なっていたわけです。
カッターで腕を傷つけることは当然痛いわけですが、その痛みが当時の私にとっては「罰」だったので、いわば当然の報いという感覚でした。
私は母親との関係が良好とは言えないのですが、母親に関係する気持ちの乱れは特に大きく、母に小言を言われただけでこの世の終わりのような泣き方をして度々部屋でひとり過呼吸を起こしていました。
もはや自分を傷つけない方が苦しくて、刃物の痛みさえ麻痺していたのか、無我夢中でカッターを腕に当てていた時もあります。
夏場になると傷が目立ったので長袖しか着られず、「暑いし、もうこんなことをしていてはダメだ」と思い切ってカッターを折って捨てたこともあったのですが、発作のように劣等感を抱いては自傷の衝動に駆られ、針で少しずつ傷をつけることで落ち着かせていたほどです。
自傷行為の依存性
自分を傷つけることがだんだんと日常に溶け込んでいくと、ほんの些細なきっかけでも「またしたい」と思ってしまいます。
当時学生だった私は学校にまでカッターを持ち込み、気持ちが乱れた時にはトイレに篭って腕を傷つけていました。
ここまでくると、薬物やアルコールの依存症と同じくらい、「自分を傷つけること」が頭から離れられなくなります。
「やめよう」という意志だけでやめられるほど単純なことではないのです。
自傷行為をやめたきっかけ
カッターで腕を傷つけることをやめてから7,8年が経ちます。
その後今に至るまで、向精神薬やアルコールなど色々なものに依存してきました。
どうでもいい人とセックスをして、自分を精神的に傷つけていた時期もあります。
この記事では「物理的に自分の体を傷つけること」に焦点を当てているので上記のような依存症や精神的な自傷行為は省きますが、今はもう自分を傷つけたい衝動に駆られることはありません。
どうしてやめられたんだろう、と考えてみたのですが、相談できる友達ができたことが大きかったのだと思います。
当時なんとなく「この子なら共感してくれそう」という感覚を抱いた友達がいて、その子に母との確執や自傷行為について自分が悩んでいることをすべて打ち明けました。
相談した時の「分かる、私もそうだよ」という言葉にものすごく安心したことを覚えています。
その後完全にやめられたわけではないような気もしますが、共感してくれる人ができたことで、今まで抱いていた「自分は悪い人間だ」という意識がかなり薄れました。
やめようと思ってやめたわけではなく、特に自分を罰する理由がなくなったのだと思います。まあ今思えばですが。
自傷行為は決して悪いことではない
小学生の頃、道徳の教科書に「自分が一番大切なものを書く」みたいな欄があり、なぜか私の周りはみんな「命、家族」と書いていたので、特に何も考えずに私も同じことを書きました。
その教科書は先生に提出をして後日返却されたのですが、その「命、家族」のところに小さなはなまるが付いていて、子供ながらに「うーん…」と思ったことを覚えています。
多分、当時私が本当に一番大切にしていたものはリカちゃん人形のドレスとかだっただろうし、当時の私も、自分を大切にすることが必ずしも良いことだとは思っていませんでした。
もし「リカちゃん人形のドレス」と書いていたら絶対にはなまるは貰えなかったと思うので、「命と家族が大切」と書いたことを先生の感覚で「大変良い」と評価されたのはいささか不服です。
何も書かずに返却してくれたらよかったのに…!
話は逸れましたが、今の私も、命を大切にすることが必ずしも良いことだとは思っていません。
もちろん生きていく上で命を大切にすることは素晴らしいことだとは思いますが、それは良いとか悪いとか、そういう感覚では推し量れないような気がします。
その理論でいくと、自傷行為も決して悪いことではない。
少なからず体に傷をつけていた私からすると、心の痛みを忘れるために体を傷つけるのは仕方がないとさえ思います。
心の傷を癒して「自分を傷つける」という意識を持たなくなれば、自然と自傷行為からも遠のくはずです。
自傷行為を悪いことだと決めつけて自分をさらに追い込む必要は全くありません。
おわりに
今まで漠然と抱いてきたことを改めて文字に起こしてみると新たな気づきがたくさんあり、自分自身と向き合えたような気がして少し嬉しくなりました。
私の経験と考えをもとに書いた記事ですが、少しでも自傷行為に苦しむ方の支えになれたら幸いです。