見出し画像

グランマ・エモ

 先日、スカーフ二枚からスカートを作った。急に古着っぽい感じのリメイク服を作りたくなったのだ。
 今年はアパレルブランドごっこを始めると決めていたので、その一号としてインスタグラムに写真をアップすることにした。
 ごっこというからには可能な限りアパレルブランドっぽい文面をつけて投稿したい。それなら、やはり商品名があると格好がよいだろう。
 ちょっと考えて、私はそのスカートを『グランマ・エモ スカート』と名付けることにした。

 エモはエモーショナルのエモではなくて、私の祖母の名前である。
 祖母は私が生まれるずっと前に他界しているので、私が彼女について知っていることはとても少ない。

 祖母は私の母を含めて七人の子供を育てたが、七人もいれば上と下ではそこそこ年の差があって、伯叔父母たちの語る祖母像には相応の乖離がある。一番下の子供だった叔母が祖母のことを語るのは聞いたことがない。
 代わりに祖母のことをよく覚えているのは一番上の子供だったキヨシ伯父である。祖母がエモという名前だったことや、母方にナミエモンさんという親類がおり、そこからもらって名付けられたものだと教えてくれたのも彼だ。

 伯父の祖母に関する思い出はセンチメンタルなものが多い。彼がぽつぽつ語ったところによると、祖母は癌になって病院で亡くなったらしいのだが、最後の言葉は『キヨシ、鳥を飼ってもよかね?』だった。
 込み入った事情があってなかなか家族みんなで会うことができなかったし、夫たる祖父はもっと前に亡くなっていたので、寂しさを紛らわすためにインコかオウムを飼いたかったのだろうと伯父は言った。

 これは伯父にとってはかなり悲しい思い出なのに違いなかった。何十年も経ってもその日のことを忘れられない彼の底抜けの喪失感は察するに余りある。
 けれども、私は祖母が飼い鳥を欲しがっていたと聞いて妙に納得した。長く会っていない友達に久しぶりに会ってみたら笑い方が全然変わっていなかったというような、そらそうね、という感覚だった。

 というのも、私は母から祖母の話を聞いていたのである。
 母の覚えている祖母は、そういう悲劇の人ではなかった。
 いや、子供だった母から見ても相当な苦労をしていたようではあるのだ。被爆経験から目立つ傷跡があったとか、貧乏極まった頃には『トノサマラーメン』という大きな缶に何個も入ったインスタントラーメンばかり食べていたとか、それでも財布には三十円しかなかったとか、そういう話もあった。
 ところが『おばあちゃんはそれでもいつもにこにこ笑ってた』のだという。
 母が語ったところによれば、祖母はおむすびを様々な形に握ることができ、古いセーターをほどいて新しいセーターを編むことができた。その他にも、母は祖母があまりに何でも作るので、祖母のことを魔法使いだと思っていたという。
 実際、私が趣味でレース編みなんかの手仕事をしていると、よく『おばあちゃんもそれやってたよ』と言われたものである。それも話を聞いてみると、私より相当熟練していたことがすぐに分かるのだった。
 祖母はとても善良な人でもあった。当時の日本ではおそらく今よりもずっと難しいことだったのだろうが、中国から来ていた隣人にかねてから親切にしていたので、いざ困ったというときに助けてもらえたという話もあった。カトリック教徒だったようなので、信仰がそういう生き方を手伝ったのかもしれない。

 ともかく私には、祖母は生活が好きだったように思われた。
 嫌になっちゃうという日がなかったとは思わない。けれど、困窮そのものという境遇にあってもにこにこと生活を投げ出さずにやっていくというのは、なかなかできないことだ。少なくとも、子供のためとかそういう義務感だけではとても間に合わない。そんな家庭は掃いて捨てるほどある。
 祖母はおそらく、状況に関係なく、生活行為そのものに夢を持っていたのだ。繰り返し食べるトノサマラーメンを、工夫に応えて形を変える糸や布を、毎日登る太陽とその光のなかに神様を見ようとすることを愛した。それが、食材をすこしばかり可愛らしく盛り付けてみたり、子どもたちと遊ぶようにして毛糸玉を作ったり、歌ったり微笑んだりしながら隣人と助け合ったり、神様を信じて暮らしていくという行為になった。
 そんな人が死の間際、朦朧としているとき何を考えるか。
 インコやオウムを飼ったら楽しいだろうな、と考えていたのだ!
 あっぱれとしか言いようがない。祖母は絶望とか恐怖とか、そういうものには捕まらなかったのである。

 グランマ・エモを作るとき、まるでお下がりから作ったかのような雰囲気にしたいと思った。おばあちゃんのタンスの中から出てきた古いスカーフで、工夫をこらして可愛いものを作ったらこんな風になるのではないか、というのがテーマだった。
 つまり限りのあるものから作品を作るという、祖母の得意分野である。そして、会ったこともない祖母から私に引き継がれたものだ。
 それに、オレンジが明るく、ぱっと楽しそうな雰囲気になったところも、祖母にお似合いだと思っている。
 それならやはり、祖母にちなんで名付けるのは妥当なところと言えよう。名前までお気に入りの一枚だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?