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いとしのビーフシチュー

 コメダ珈琲店をご存じだろうか。
 名古屋発祥のフルサービス型の喫茶店チェーンであり、気前のいいサイズの料理を提供していることで有名である。私が高校生だった頃には東海地方を中心にかなり限定的な地域にのみ存在したように思うのだが、先ほど確認してみたら既に全国展開していた。私の記憶が正しければ、相当立派な成長ぶりである。すげーぜ。

 さて、私は生まれも育ちも愛知県だが、実を言うと幼少の頃にはコメダ珈琲店をそれほど身近には感じていなかった。
 まず、住まいが愛知県の中でも辺境にあり、気軽に利用するほど近くには店舗がなかった。加えて、母親は食品にこだわりがあるタイプだった。更に、彼女に教育された期間が私よりもいくらか長かった姉は、当時、料理に何が入っているか当てられるほど味覚が鋭くなっていた。その為、彼女の口に合わない食べ物は世の中にすこぶる多く、中でもファミリーレストランでは化学調味料の味がすると言って食べるのを嫌がった。そういう訳で、私たちは外食自体をそれほどしなかったのだ。

 一方、私は外食が大好きだった。同じ環境で育っていてよくそんな違いが生じるものだと今でも不思議に思うが、私は獣臭いもの以外は殆どなんでも食べた。化学調味料を舌で感知することも出来なかったし、母の作る健康的でちょっと変わった料理よりも世間一般で親しまれている『普通の』食べ物が食べたかったのだ。
 そんな私は愛知県の中心部、名古屋市内にある高校に進学した。その上バイトも始めたとなれば、下校時の寄り道が捗らない筈がない。内向的な性格なりに何人かの友人を得た私は、ミスタードーナツだのサイゼリヤだのを度々利用するようになった。
 その日も友人たちと帰りにどこかに寄ろうという話になった。その時一緒にいた一人が道中でこう言ったのである――「私、行くお店で何食べるか決めてあるんだ。デニーズならオニオングラタンスープで、コメダならビーフシチュー」。

 私の通学路にはコメダ珈琲店は存在しなかった。その為、実際にビーフシチューを試すのには暫く時間が掛かった。
 短大生だった頃、何かの拍子にコメダ珈琲店を見かけたのだったと思う。就活はうまく行かないし、休みは全部バイトで埋まってしまうので実質無休の毎日が続いていて、その辺のことで意見が合わない親の待つ家には帰りたくないし、お腹も空いていた。私は引き寄せられるように中へ入り、そして彼女の言葉を思い出した。コメダならビーフシチュー。
 メニューを捲ると、すぐにビーフシチューは見つかった。リーズナブルさに定評があるコメダ珈琲店のメニューにしてはやや高価だったが、その日の私はとにかく元気を取り戻したかった。半ばやけっぱちと言ってもいい気持ちで、シロップ入りのアイスコーヒーとビーフシチューを注文したのである。

 提供されたビーフシチューは一風変わった見た目をしていた。
 ぽってりした陶の皿に入った、塊の牛肉が三つほど浮いたシチューの中央は、こんがりと焦げ目のついたチーズに覆われている。恐らく炙るかオーブンで焼いているのだろう。そこへ振りかけてあるのは切り海苔である。パセリではない。
 海苔? 私は奇妙に思って、まず海苔の乗っている部分から食べてみようと思った。スプーンでずぶっと刺してみると、なんとチーズの下からポテトサラダが出てきたではないか!
 私は恐れ戦いた。こんなことがあるか? 確かにビーフシチューにジャガイモやニンジンが入っていることは何ら珍しくないが、それらから作られたポテトサラダが入っているのは聞いたことがない。美味しいのかこれ?
 しかし私は貧乏な学生であったから、自分の金を払って頼んだものを残したくはなかった。胸をドキドキさせながら、ビーフシチューとチーズとポテトサラダの混じりあった部分をひと掬い、一思いに口に入れたのである。

 それは素晴らしい経験だった。
 旨味をたっぷり含んだドミグラス味のビーフシチューと、濃厚なチーズ、これだけだとくどくなる所へ、まろやかなポテトサラダが加わる。更に添えられた海苔によって香ばしさが補完されていた。つまり、そこでは、すべてが完璧に調和していたのだ。あまりのことに、私は呻くしかなかった。
 その驚きの去らない内に、私はウエイトレスが愛想よく運んできてくれたパンを手に取った。シチューがやや多めになるようにもうひと掬い取って、パンの上に乗せ、がぶりと食べた。その旨さたるや!
 パンがなくなってしまうと、丁度ポテトサラダもなくなり、後にはいくらかのチーズと肉の塊が残った。私はすぐに、肉が十分に柔らかく、スプーンで切れるほど煮込んであると発見することになった。大きめに切り取って口へ運ぶと、ゼラチン質の部分は蕩け、赤味は繊維状にほぐれて口の中へ広がる。何もかもが旨かった。熱々だったので上顎を火傷したことすら、これらの前では喜びであった。
 私は結局、一気にビーフシチューを食べ終え、アイスコーヒーもぐびぐび飲んだ。そうして全ての食器が空になることには、すっかりコメダ珈琲店のファンになっていたのである。

 それ以来、私はコメダ珈琲店に行くとビーフシチューを食べる。最早ビーフシチュー屋だと思っていると言っても差し支えない(勿論他のメニューも美味しいですよ)。
 私が内定がないまま卒業した日も、勤務先のコールセンターで顧客に怒鳴られた日も、腹痛で電車に乗れず、かといって家には帰れなくて途方に暮れた日も、とにかくビーフシチューは旨かった。旨いからと言って私の人生がどうにかなる訳ではないが、それはそれとして、旨いものは良い。それも『そこへ行けば食べられる』と判っている旨いものは特に良い。それは私の血肉だけでなく、食べられる足跡にもなってくれるからである。
 私はビーフシチューに舌鼓を打ちながら、もう会うことはないけれどどこかで生きているだろう友人のことや、結局仕事を辞めたら治った腹痛のことや、その他様々な、当時は乗り越えられないように見えたけれども過ぎ去って行って、今はここにはないものごとを思い返したりすることもできるのである。
 まあ、そんなこと思い返さないで『あちっ』ってなりながら真剣に食べてる方が旨いので、実際には大体そうしているけど。

 そういった訳で、恐らく私は、年を取って皴皴になり、こってりしたチーズやドミグラスソースを受け付けなくなるまで、コメダ珈琲店ではビーフシチューを食べ続けるだろう。
 できれば私が死ぬまで、或いは死んだ後も、ずっと変わらずコメダ珈琲店とそのビーフシチューが存在し続けていてくれたら嬉しい。応援してます。

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