父の法要で思うこと

一週間前に妹と話したとき、来週が父の13回忌だと教えられた。
すっかり忘れていたのだが、行くからと返事をしておいた。

13年前、警察から父の事故の知らせを受けたのは、映画館だった。その足で実家近くの病院に駆け付けたが、すでに父は亡くなっていた。警察によると車を運転中に発症し、対向車線のガードレールにぶつかり停車したとのこと。幸い、徐行スピードだったため、周囲の車も父の車を避けてくれたようで、他の人まきこむ事故にはならなかった。

医者からは「大動脈解離」という病名を伝えられ、発症から数秒後には意識は無く、痛みを感じることもなかっただろうと伝えられた。

父は口数がすくなく、普段それほど話しをすることもなかった。
私に子供ができてからもそれは変わらず、若いころの反発は薄れたが、やはり話すことは少なかった。話したいとは思うのだが、話しが成り立たないという風になってしまうことが多いのだ。ただ、自分自身が子育てをしていく中で、父の愛情の深さを感じることが多くなっていった。

昔、父の本棚にはスパルタ教育の本があり、私はスパルタ式で育てられた。
具体的には、父の意見に反することを主張すると、殴られるのだ。こちらの意見を聞いた上で、如何に自分の意見の方が正しいのだと主張するのなら、こちらも納得しようがあるのだが、なんの主張もなくただ意見の相違をもって殴られるのだ。本来のスパルタ教育がどういうものかは知らないが、子供としては、「こちらの意見も聞いてくれよ」という言い分だけが残る。

そういった自分の体験があったので、自分の子供だけにはそうするまいと決めていた。なので、我が子の子育てには一切口を出させなかった。

もう子育ての次期は終わり、子供も自立していった今、振り返ると。
子育てには、優しさと厳しさが必要だが、親としての優しさというのは本能的に与えられるものだと思うが、厳しさというのは難しいものだと思う。
嫌われないためには、優しくだけしていればいいわけだが、時には厳しさも必要となる。

子育てお終わった今、父の厳しさを振り返ると、愛情なくしてあの厳しさはなかったのだなと、つくづく思われる。
そして、自分の子供にどこまで愛情を注げていたのかを振り返ると共に、武骨な父の愛情に、感謝である。


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