いじめられる方が悪いのか問題
ケンカじゃ負け知らずのミドラーNIREです。
殴り合いのケンカしたことないですからね!
よく、「いじめられるほうにも問題がある」って言う人いますよね。
これ、個人的に理解出来るんですよ。
理解は出来るんだけど、共感は出来ない、という感じ。
ただ正確に言うと、問題があるという表現は違うんですよね。
今日はこの辺りを深堀りしたいと思います。
なぜいじめが発生するのか
あいつなんかムカつく、から始まるいじめ。
なぜムカつくのかというと、多い理由の一つが自分には無い何かを持っていて嫉妬をしているから。
嫉妬という気持ちは、人間誰しもがもっている感情です。
承認欲求も基本的に誰しもが持っている感情ですが、承認してもらう為には努力して自分が本当の意味で成長するか、相手が落ちぶれて相対的に成長しているようにみえるかのどちらかが基本だと思います。
嫉妬からいじめをしちゃう人は、後者の相対的に成長しているほうを選択して承認欲求を満たそうとしているんだと思います。
相手を落とすことで自分を上げるので、何もやり返さない人がターゲットになりやすいんだと思います。
やり返されて自分が一番になれなければ意味ないですからね。
ブス、デブ、オタク、臭いとか誹謗から始まるいじめ。
「いじめられるほうにも問題がある」と言ってくるのは、このパターンかもしれません。
「お前デブなんだから学校に来るなよ!」と言われたとして、いじめっ子からしたら「デブなのが問題」なんですよね。
ブスは、いじめっ子から見たらブスに見えている⇒汚いものが嫌いだから見ていたくない⇒いじめるとか?
デブも近いかもしれません。
オタクは理解が出来ない⇒一般的に理解が出来ないことは否定されやすい⇒だからいじめるとか?
臭い⇒自分が嫌なだけでなく、周りにも迷惑をかけている⇒いじめるとか?
こうやって考えると、完全にいじめっ子側の主観であって、相手のことを全く考えてなさそうですね。
いじめっ子だからそりゃそうだろ、と言ってしまえばそれまでですが、こうやっていじめっ子側のマインドを深堀することで、いじめの真の原因を突き止められるものだと思います。
いじめは無くならない?
あいつなんかムカつくから始まるいじめは、嫉妬や承認欲求から始まることが多そうなので、何か熱中できることを見つけてあげるのが一番ですかね。
その熱中できることでそれなりの成果が出るようになれば、承認欲求が満たされるわけで。
問題なのは、一度挫折した時でしょうか。
今まで必死に頑張ってきたのに挫折してしまった、もう駄目だ、と自暴自棄になってグレちゃう人もいますよね。
挫折を挫折と思わず成長だと思えればいいんですが、なかなか難しいですよね・・・。
力になってあげられる知人がいれば違うのかもしれませんが、そうじゃなければ自暴自棄から発生するいじめを止めるのは、一定期間は難しいのかもしれません。
後者の誹謗から入るいじめは・・・どうすればいいのでしょう?
結局のところ、相手のことを考えることが苦手で、自分本位になりがちな子どもだからこそ起こりうるいじめで、子どもにすぐに理解してもらおうと思っても難しいのかもしれません。
成長と共に理解していくことでもあるし。
大人になってもいじめみたいなことが発生しているところを見ると、多分ヒトの世界でいじめを無くすことは不可能なんだと思います。
ただこれは、いじめを容認するとか現実に背を向けるとかそういう話ではなく、いじめを無くすのは不可能である前提でなるべくいじめが少なくなるような仕組みを作るのが一番現実的なのかな、と思った次第です。
嫉妬がいじめを発生させているのであれば、嫉妬から生産性を生み出せる何かを作ってあげる。
人の事を考えるのが苦手なことがいじめを発生させているのであれば、自分本位であることで成果を上げられる何かを作ってあげる。
具体的にそれがなんなのかについては多分一律の答えが無いのでそれぞれ考えたほうがいいと思います。
こうやって深堀していって、不変的なこととそうでないものをよく考えることで、問題解決の糸口が見つかったりするものですね。
結論として、いじめられるほうに問題があるのではなく、いじめる側が問題があると勝手に決めつけている、が正解だと思いました。
いじめ、カッコ悪い!
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