黄色黒フチゴシック体

わたしは平場が超苦手だ。出るのもだけど、見るのも正直得意ではない。テレビのひな壇とかでさえかなり苦手だ。人がいっぱい舞台にいて注目がぱっぱっぱっと移り変わりながらもみんなが同時に話していると、普通についていけなくて、頭がごーっとなって目がチカチカしてくる。芸人さんの大声が空間に黄色い黒フチゴシック体になって蔓延してる感じがして、パチンコ屋のチラシのなかにいるみたいな気分になる。友達がたくさんいる舞台は情報が整理されるからまだ大丈夫だけど、それでもぜんぜん慣れない(一年生から始めて、もう4年生なのに!)

お笑いをするとき、特に平場に出るときには、私はキャラクターとしてキャプチャされて、みんなが予想できる範囲の「いわゆる」変わった女の子のスタンダードを求められる。みんながキャラを作り出そうとしてるなかで、なぜかわたしには漠然と求められる何かがすでにあるような気がして、でもわたしって別に結構ふつうなのでどうしたらいいか分からなくて、疲れちゃった。てゆかみんなが面白いって思う程度の「変」をやるのって普通の感覚がないとできないことだと思うが、単に自意識過剰すぎるので計算した「変」をするのすらも恥ずかしくてできない。計算した変をやって、他の芸人さんが予想できるイジリをする、という一連の流れをやったらゴシック体パチ屋チラシに自分が大きく載ってるような気分になり、なんか恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。恥ずかしすぎて帰りみち海賊くらいお酒飲んじゃう。ふつうに向いてなさすぎる。

舞台のためにわたしが他人からどう見られるかを考えたら、今まで見つけなくても良かった自分の変なところとか、自分の見た目のブスなところとかをまっすぐ直視しなきゃいけない。それはとても怖いことだ。アイデンティティーがブレブレの大学生の年代には特に、超超暴力的なことだと思う。今まであまり自分の変なところを意識しなかったから今、わたしはこういう人間になれてる気がするのに、舞台のためにわたしの変なところを探そうとすることで、逆にわたしの性格のいいところも全部を崩しちゃうんじゃないかなって思う。人の本当に変でおもしろいところは、その人の中では当たり前すぎて透明になっているところが、なんかの拍子にふっと出てくるときに見えるものだから、わざわざ探したら意味ないと思う。でも、舞台のうえでは、みんながわたしに興味あるわけじゃないし、時間も限られてるから、お客さんを笑わせるためにはとっかかりとして分かりやすい公式みたいなやりとりを使うことも多い(もちろんそれだけじゃないけど!)。そのうえで生まれるその時の空気感とかが面白さになっていくのは分かるけど、わたしってみんなより一歩手前でつまづいていて、それを飲み込んだうえで努力するのが、ぜんぜんできない。プロじゃないしそれでもいい気もするけど、でも、お客さんに見せるならみんなと同じ前提の上でやらなきゃ破綻してしまうから、つまづいてるのを必死で隠してる(つもり)。

わたしの変な声とか、わたしじゃなかったら、もっとお笑いの舞台のために面白く活かせると思う。プロの芸人さんにうらやましいって言われたことあるし、たぶんそういう人から見たらわたしってすごくもったいないことをしている。でも、余計なことを考えちゃうのがわたしで、わたしはわたしの声と、わたしの性格と、見た目とかその他ぜんぶ合わせてわたしなので、申し訳ない(←思ってない)けどうまくやれないまま、うじうじしたまま終わっちゃうと思う。それが、わたしのなかではいちばんいいと思う。

かいたの:にらせかんな



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