「わたしではないわたし」制作日記2021/01/05
「わたしではないわたし」は、もう書き方も決まってしまって、これからはただ文字数を重ねていく段階に入っている気がする。ここら辺で、まとめておこう。
「わたしではないわたし」とは、何か文章を書いたときの心の動きや、書いているときの感触をまとめた文章である。
多分、こんな感じで二行で済む。
始めたときには、いろいろ考えたけれども「書いているときの心の動きそのものを表した文章」という一つのジャンルを見つけることができて、それに落ち着いてしまった感がある。一ヶ月経ったとしても、制作日記は別で毎月出そうと思う。
普段書いている文章を書いているときに、何が頭の中で起こっているのか、自分で整理しておくのは有益だと思う。結局、「書きながら考える」ものだと思っていたのに、自分は書いていても考えていないことを発見した。なるべく考えない方がよくて、考えずにすらすらかけているときの方が文章がはかどる。それを発見すると、次の日からの自分の文章も変わる。そのスピード感と、変化の味わいが面白かった。
あとはひたすら書くだけ。だけど、ひたすら書く、の中に多くのものが含まれているのだろう。その「多くのもの」を拾うのが、「わたしではないわたし」の役割でもある。
「ひたすら書くだけ」としか、書きようがなくなってしまった。ということは、制作日記の役割ももう終わりに近いのかもしれない。「ひたすら書くだけ」と、今まで、何度も書いてきたのだけれども、今度は「ひたすら書くだけ」という言葉の実態を、さらに言葉にしていく作業が必要になっていくのだろう。そこに、書かれるべき心の空間のようなものが白紙で横たわっている。新しいノートを見つけた気分。冒険家が、新しい大陸を見つけたときのように、書く人は新しい書くべきテーマを見つけるとワクワクするのだろう。
書いているときの感情を記録する。ということは、これからも記事は二つセットで書かれるだろう。まず、毎日描かれる一つ一つの記事。それと、それを書いていたときの感覚を記録する「制作日記」。毎日投稿する、というルールにしているので、記事を毎日書きながら下書きにしておいた制作日記をひと月ごとに放出するという形でどうだろうか。今月ごとの、わたしの感情の揺れ動きがまとまって観察できるだろう。
ふと思う。文章、特にこうやって書かれる文体は生き物のようでわたしにとってはもしかしたら、ペットを飼っている感覚に近い。ペットというと、愛くるしい感じの犬とか、猫を思い描く方が多いと思うが、文章は愛くるしいものではなく、生々しい……うーん、粘菌とかエイリアンみたいな得体の知れない系のどうぶつ?である。こいつは、わたしの感情に呼応して生活しているらしいことがわかるけれども、わたしは完全にコントロールすることができない。コントロールしようとする力が強すぎると、わたしの心との接続が切れてしまって「わたしのもの」ではなくなってしまう気がする。
何が書けるのか、どんなものを作りたいのか、よりもただ心と、文章が接続している感覚が気持ちよくて、わたしは書き続けている。いかに、文章と仲良くなれるのか、それだけを考えている。友達関係と同じで、同じことばかりしていると飽きてくるからたまに本を読んだり、全然違う書き方をしてみたりして、うまく付き合う方法を試している。毎日違う感覚があって、同じことが起こることはない。同じものと言えるのは、やっぱりつながった感覚。それだけだ。
文章は、自己表現ではないように思えてくる。他己紹介、というものがあると教えてもらった。自分で自分を紹介するのではなく、他の人に、まるまるさんはこんな人です、と教えてもらうのだそう。としたら、言葉で自分を説明することは自分ではない言葉で自分を説明しているという点で、他己紹介といえる。自分で「こうだ!」と決めつける自分よりも、他のものを拠り所にして浮かび上がってくる自分の方が納得できる。
わたしにも癖があって、好き勝手好きなように書いていると、同じ言い回し、同じ考えが文章の中に凝り固まったように繰り返し現れてくる。そうしたものを、書きながら読んで、ああ、自分だな。と思う時がある。一方、前は書いていたものが、最近は書いていないと感じるとそうした自分がほぐされて、別のものになったのだと思う。noteを初めて半年以上過ぎたが、特に毎日記録するという書き方を始めると自分の細やかな変化に気づく。
「わたしではないわたし」というものが、いずれ変化していくわたしを指す言葉ならば、すんなりくる。いずれ違うわたしになるのならば、今のわたしだって、わたしでありながら、わたしではない何かを持っている。変わっていくことを確信する。最近そう思えるようになった。明日も書いているだろうことを、わたしは信じられるようになった。毎日続けることで得た、最も強い信念はそれだと思う。わたしは変わり続けるだろう。