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「私たち、根を張っている気がするよ」
僕が今一番長く一緒に時間を過ごしている人は、ナオさんで、そしてナオさんと子どもを授かって、ユウタを育てている。
端から見たら、夫婦に見えたり、結婚しているように見えるかもしれないけれど、僕たちはなんとなくお互いのことを「パートナー」と呼ぶようにしている。
ナオさんは、僕と同じく植物が好きだ。庭にある三本のメタセコを育てるのを手伝ってくれる。もとより、この三本のメタセコ「モク」と「キン」と「ドウ」を一緒に育てたいから、ナオさんは僕と一緒に暮らし始めたのだった。
僕がナオさんが好きな理由は、ナオさんが、僕には全く発想できない何かを、僕に与えてくれるから、だと思う。
例えば、あるとき雨が降って、ナオさんは不意に「明日は晴れるかもしれない」と言った。それは、全く僕には考えつかない言葉だった。
確かに明日は晴れるかもしれない。そんな言葉をどこかで読んだことがある。けれども、本当に口に出すなんて、ナオさんは不思議だ。
その日は、僕たちは自転車で公民館に向かう予定だった。
僕たちがまだユウタと出会う前だったから、一緒に暮らしてはいたけど僕はまだナオさんと出会ってすぐの頃だったと思う。
僕は、今日は自転車で出かけられない、と言うことばかりが気になっていて、そのときには、「明日晴れるかもしれない」なんて思えなかった。ただ、その言葉を聞いた瞬間に、夕方の暗い曇った空が、ぱっと明るくなったような気がしたのだった。
ナオさんの日課は朝にヨガをすることだ。ヨガをしているナオさんは、まるで光合成をするように、窓際で太陽の光を浴びている。寝間着姿のまま、裸足で床に立っている。
まるで自分自身を育てているみたいだ。だから、ヨガをしているナオさんを見るのが、僕の毎朝のたのしみになっている。
「とてもきれい。」とナオさんが窓の外を見た。雲が朝焼けの光に包まれてオレンジ色になった。「日本にも朝が来たね。」これも、僕が覚えているナオさんの名言だ。
ヨガをしているナオさんを見るためには早起きをしなければいけない。はじめは、僕がいつも寝ている時間に起きるのがつらかった。でも、だんだん慣れてきた。ヨガのポーズもいくつか教わった。
自分が気持ちいいと思える姿勢でいいみたいだ。柔らかくなくてもいい。かっこよくなくてもいい。すごくなくてもいい。だから、ゆっくり、自分を育てる時間だ。
庭に出て、メタセコたちを見に行く。
「モク」は、すらりと背が伸びて、ひょろりと伸びた身体をまっすぐ立てている。彼に会うと、僕も背筋を伸ばしたいと思う。
「キン」は、鮮やかな緑の葉がとても美しい。ナオさんがお気に入りの木だ。土が乾いていたから、じょうろで水をあげた。秋にかけて、とても鮮やかなグラデーションに紅葉する。
「ドウ」は、毎日手がかかる。メタセコイアの盆栽なのだ。盆栽の先生がやってくれたように、鉢の重さを確認する。僕が持って、ナオさんも持ってみる。お互いの感覚を照らし合わせて、「今日は昨日より水を吸ってる」みたいな感じで体調を聞いてみる。一番僕たちの声を聞いているのがドウかもしれない。
代わり映えしないけれども、毎朝そんなことを繰り返している。その中に、僕一人では絶対に作れないものがある。それは作るのではなくて、与えられること。
空気があって水がある、だから僕たちは日々、息ができる。それは与えられたもの。
ナオさんがふとしたときに、「私たち、根を張っている気がするよ」と言ってくれた。歩き回る僕たちも根を張っている。与えられたものに頼って生きている。その意味が少し分かったようなきがした。
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