Day5:遊(you)
「ところでさ。」
小説は、セリフで始まることもある。昨日もそうだった。
なんとなく、動いている感じがする。セリフの主は誰か、どこで、どんな状況で発された言葉なのか、想像が膨らむ。この時点で私はこのセリフを誰が発したのか、見当をつけていない。将棋盤を睨む棋士のように、思考の標的を、今まさに探している。
「なんで光乃さんは、俺らなんかに店を任せるんだろうね。」
ボクはゲームから飽きたのか、そばにいるハルに話しかける。
小物屋のレジカウンターは、いつもとは違う様相を呈していた。ヘッドホンをつけた小柄な少年と、巨大なスマートホンのようなものを携えた着物姿のコスプレ少女。
和風のグッズが売っているのだが、彼らの出立ちのせいで別の店のようにも感じられる。実際、光乃の店にボクやハルが趣味で作った商品が並べられることもある。基本的には、ゼンマイで動くダルマの置き物など和風のテイストが守られているが、時には全くそれらを無視した「発明品」が置かれることもある。
例えば……(今思いつきで考える。)
トランシーバー付き、箸とか。
かんざし型ライターとか。
ローラースケート草履とか。
LEDライトを仕込んだ髪飾りや、着物の襟飾りなど、実用的なものも、ハルがコスプレ服を作るついでに作ることもある。
三猿の事務所は暇なのだ。石田は常にナレーターと会話したり、舞とどつきあったりしているが、ボクやハルはそういうことに興味がない。
彼らが、内職して作ったものを事務所から階下の店に持っていくと、光乃は「わあ〜すごい」と反応する。ハルが『店に置いていい?』と聞くと、「いいよ〜、どうせ売れないと思うけど。」と光乃が言って、彼らの好きな場所にそれを陳列させる。
『座っているだけの、簡単なお仕事』
と冒頭のボクの質問に、ハルが答える。答えると言っても、一切口は動かさない。彼女はその携えたPパッドに文字を表示するだけである。ただ、静かにディスプレイが切り替わり、文字が表示される。
彼らが店番をしている間にも、客が来ないわけではない。
「わあ〜、ハルちゃんだ。え、今日は和装なの? かわいい〜」
という感じで、光乃が情報発信しているSNSを頼りに女性客が訪れることもある。
よぼよぼとした感じの足取りで、おばあちゃんが箸と箸置きを一セット買っていくこともある。スーツを着た男性が、「あれ、今日は葵さんいないの?」と、意味もなく猫だるま(ダルマに猫耳と尻尾をつけた置物)を買っていくこともある。
『葵なら、そこら辺を走ってると思うよ。』
ハルがPパッドに文字を表示する。ボクはゲームをする手を止めて、お釣りを手渡す。店のドアが閉まると、また、目をゲーム機に戻す。
小物屋の店主、徳川光乃改め「葵」は、東京のどこかの道路を疾走していた。
心を揺さぶる音、速度。流れる景色。
もしかしたら、彼女の体に流れる武士の血が、鉄の馬、すなわちバイクを求めているのかもしれない。そして、警察官を「現代の侍」と言い換えると、彼女が制服を着て白バイに乗り、街を駆け回っていてもあながち突飛ではない。
「そこのレクサス! 速度違反!」
彼女は、スピード違反の車を追いかけるのが好きだった。
(レクサスがスピード違反をしているのは、車に詳しくない私が独断と偏見で選んだもので、レクサスに一切罪はない。)
レクサスも何故か、闘争本能が目覚めてしまうのか、白バイに追いかけられて、一瞬スピードを上げる。
「止まりなさい! 危ないでしょ!」
葵のバイクがサイレンを鳴らす。赤い光と鉄馬のいななきが響き渡る。
街中で繰り広げられる、デッドヒートに人々は騒然とする。
警察官の方が、どのようにスピード違反を逃れる車を捕まえているのか、よくわからない。追いかけても逃げられるし、追いかければ追いかけるほど危ない気がするのだが、どうするのだろう。車だから、目の前に立ち塞がるわけにもいかない。
よくわからないが、猛スピードでいつまでも逃げられるわけがないのだし、事故になる前に諦めた方がいいのだろう。
というわけで、レクサスは徐々に大人しくスピードを緩め、葵の白バイに追いつかれる。
「はい、免許証見せてね。罰金ね! もう二度としないでね!」
「はい……」
捕まった運転手は、大人しくそう返事をして、走り去った。本当はこんなところまで逃げるつもりはなかったのだろう。Uターンして、元来た道を戻っていった。
「ふう……」
葵は、その姿を見届けると、また別のスピード違反車を探し始める。彼女が、店の外でバイクに乗っている間「葵」という名前になるのには、色々な事情がある。それも、この後の物語の展開と筆者の気分次第でいつか語られるだろう。
ところ変わって、三猿の事務所。
「じゃあな……。」
依頼人を見送った舞は、静かにドアを閉める。
日が傾いてきて、窓から入ってくる日差しは鈍い。
ソファーには、三猿の団長の石田が寝そべっている。
「あの人、もう一度来るやろうか。」
「さあな。」
「……あのなぁ。」
舞は、石田の答えに反射的に反応する。が、しかし自分もそれ以上の言葉を言い得ないことに気がつく。
「なんだよ。」
「知らん。」
沈黙が、事務所に流れる。舞は、仕方なくスマホを取り出して画面を眺める。午前中はSNSで時間を潰してしまったので、メモ帳を開いて、ネタでも作ることにする。
黄色いアプリのアイコンを押す。
『無限に伸びるネクタイに気づかずに、話し続ける人。』
『靴下の片方だけ穴が空いている人と普通の人の歩き方の違い。』
『愛という字が好きすぎて、身の回りのものに全て愛と刻印する人。』
筆者がこの場で思いついた程度の面白さのネタのタイトルが下書きにストックされている。
舞は、ため息をついてスマホから顔をあげる。
「あのなぁ。お前、本当にアタシをお笑い芸人にしてくれんの?」
石田は本気で退屈しているのか、上を向いたまま「ファアアア」とあくびをする。
「まあ、一応。三猿は仕事を選ばないしな。というか、お前はもう芸人だろ。売れてないけどな。」
「いや、アタシのいう芸人はもっとシビアや。『芸の人』や、テレビに二、三回出ただけやないで。グレート岩村みたいな人や。」
「知らん。なんだそのガッツ何とかみたいなやつは。だったら、ここでボケっとしてないで芸でも磨いてろ。」
「ちっ、だから今、ネタ作っとるやんけ!」
舞は目を見開いてスマホの画面を石田に向けて突き出す。石田は見向きもせずに、腕を枕に寝っ転がっている。
その姿を見て、舞が一言余計なことを言い、石田もそれに油を注ぐような適当なセリフを言う。(口汚い言い合いなので、詳しくは書かない。)
「チッ、まあええわ。あんたといてもしゃあないし、下を手伝っとるから。」
舞は、立ち上がると、事務所から出て行った。残された石田は、乱暴に打ち付けられるドアの音を聞き流す。上を向いたまま、思わせぶりに何かを考えている。サングラスの奥の目は、見えない。
「よお、二人ともお疲れさん。」
舞は、二人でゲームをしているボクとハルに声をかける。ゲームの効果音が響く。夢中になりすぎて舞の声に気づかない。
ハルは気づいているのだが、「乙。」とだけPパッドいっぱいに表示すると、またゲームの画面に目を戻した。
舞は、ゲームとすれば、たまごっちぐらいしかしたことがない。なので、ハルとボクが対戦している指の激しい動きを見て、近寄り難い雰囲気を感じる。画面の中では、二人の操作するキャラクターが激しく撃ち合う。ボタンとスティックが鳴る音が店に響いている。
(しゃあないな。)
と、舞はなぜか温かい気持ちになって、レジカウンターに座る。
客はいない。しかし、店に並ぶ立ち並ぶ猫だるまや、たぬき風船や、キツネ扇子などを眺めていると心が落ち着く。
田中めぐみ、と偽名を名乗る女。
舞は彼女と自分を重ねていた。
彼女もこの店を通って、三猿の事務所に来た。舞は初めて、自分がこの店を訪れた時のことを思い出す。そうすると、自然と体がじっとしていられなくなる。席を立って、店の中をおもむろに歩く。
猫だるまを一つ手に取って、綺麗に並べ直す。
気がつけば、その作業に没頭していた。
つづく。