旅の二つの力
いつもと違う電車に乗り、いつもと違う時間に、いつもと違う場所に行く。
電車から見えるあの塔はなんだろう。煙突のような高い塔の上に、家のような五角形の部屋がついている。
近くでも見たことがある。あのときは、自転車でどこか知らないところに行きたかった。地図を見ないで、家からつながっている道を行った。通学路でも、遊びに行く道でもない。こぎながら道を覚えて、行った道を引き返した。この間はここまで行けたから、今日はもっと遠くへ行こうと思って、もっと進んだ。知っている道が増えると、知らない道とのつながりが見えてくる。知っている道を見つけたら、来た道とは別の道で帰れるようになる。
どこに行っても、家があって町があった。住んでいる人がいた。河が流れていて、それにそった道があって、たどっていくと必ずどこかへはたどり着いた。
具体的な場所の名前があるわけではないのだが。たどり着いた場所は、名前のないまま私の思い出の中にある。
いつもとは違う電車で、いつもと違う場所に向かうと、見たことのある景色が、窓から見える。自転車で行ったことのある道は、電車のスピードと窓から見ると、手品の種を明かすように、するすると簡単に展開されていくのだ。だが、それを感じるためには実際に自転車の目線で道を一度自分で通ってみる必要があった。
自転車で進んでいるうちに、暗くなって、帰れるかどうか不安になるときがあった。新しい道を進んでいて、もっと先までいけるのか、引き返すべきか。進み続けたら帰りは暗く、難しくなる。けれども、新しい道がどんどん、自分を引き込むように見えてくる。二つの力の間に自分が置かれている。その不安定さが、旅をしている感覚なのだと分かる。
旅の始まりは新しい道の緩やかな引力に惹かれる。背中を押し出すような、わずかな風よりも密やかな力がある。そして帰り道には、帰りに向かわせる同じような力が、私を引っ張る。
二つの力が、ちょうど凪のように釣り合ったとき、旅の最中の、日常から離れたしずかな時間がある。このとき、私はどの力からも解放されて、自由になっている。旅で目指していた場所とは、そんな場所のことだったんだろう。
私がいつしか見た、不思議な形をした塔は、二つ力の狭間がちょうど釣り合う地点を示すように、ぽつんと立っていた。河の近くの工場のそばにあった。
自転車に乗ったまま、塔の頂上を見上げた。頂上にある小部屋は、コンクリートの材質とは違って、テントのような堅い繊維でできているようだった。入り口にあたる幕は開いていて、何かが空からやってくるのを待っている気がした。私はヘリコプターか何かがそこに帰ってくるのだと思った。けれども、幕屋の大きさがプロペラが回るのには少し狭い。結局何のための塔なのか分からなかった。
しばらく考えて、私はまた川沿いを自転車で走って帰った。昼下がりの空が何にも遮られずに、川の向こうまで広がっていた。しずかだった。