2020/12/30

書くことは、わたしにとって世界との関係性を確かめる行為だ。書かなければ、わたしは歩く地面を失ったようにふらついてしまう。悩んだことがあったり、泣きたくなったりしたら、まず書くことでその感情を確かめた。嬉しいことも忘れないように書き留めた。

感情の起伏よりも、今はどうでもいいこと、感情にもならない心の動きをいかに書くことで確かめるかを探っている。それは、嬉しいときに単純に嬉しいと書かないこと。泣きたいときに単純に泣きたいと書くことができないこと。

自分の心の動きなんて、保証がなく、人にそのまま伝えることができないと思っている。だから、代わりに信じられるものでそれを確かめる。人に見える形に表現する。それが書くことだ。

最近、夢を見るのが苦手になった。将来のことや、希望にあふれた未来を想像すること、都合のいいことを妄想することが苦手になった。想像しようとして、「これは間違っている」「こんなことがあるはずがない」と心のどこかで思っている。

そのぶん、ただ書いているだけなら、ずいぶん気楽だ。書かれた言葉が、たとえ間違っていたとしても、矛盾していたとしても、ここにあると信じることができる。だから、何もできない時にこそ書きたいと思う。

今日は、書くことに向き合いにくい日だった。朝起きてもぼーっとしていて、昼寝をしても書く気になれなかった。夜ご飯を食べてから、海を見にいった。冬の風に吹かれて、体を震わせながら、風呂に入った。

ようやくこれで書けるようになった。それでも二十分と時間を決めてかからないと、始める気にならない。際限なく、思い切り言葉に向き合える体力がない。朝早く起きて、規則正しいリズムで書く習慣を身につけたいけれど、疲れた体が、疲れたリズムで繰り返されている気がする。

書けば書くほど、後悔があり、もっとこうすればいいのに、と書き直したくなる。それでも足を引きずるように、書いた文章を残して進んでいく。言葉を引きずって、先に進む。そうやって、みじめな文章を書いて前に進んでいかなければいけない日もある。

みじめな文章だが、悪い文章ではない。だから、書かなければいけない。後悔するのなら、明日もまた書けばいい。今日もまだ書き続けるつもりだ。書き尽くすために書いているのではない。書いたあとに、書くべきことが増えているように書きたい。そうすれば永遠に書き続けられる。くだらないことでも、小さなことでも。より、くだらないこと、より小さな言葉をわたしは求める。世界に言葉で接近する。ふれる。

どこまでも近づいていく。数学の上ではそんな綺麗な表現がある。実際に書くことは、精神的な作業ではあるけれども、肉体的な作業でもある。どこまでも近づいていこうとすれば、何度もぶつかることになる。適切な距離を探ろうとすれば、論理だけではなく、泥臭く這って進まなければいけない時がある。

今日も一つ文章を書かせてもらう。文章を晒させてもらう。わたしが二十分間指を動かした記録。息をして、世界に近づこうとした記録。

なにかを説かない言葉がある。人に教えるのでもなく、何かを伝えるのでもなく、ただ息をするように吐き出される言葉がある。目的もない。そうした言葉が、言葉を解き放つ。あなたも書いていい。誰でも書いていい。わたしも書いていい。それぞれの胸の中にある言葉が、目を覚ます。その言葉を発見することが、書くこと。語り合うこと。

呼吸とともに、世界に溶け出したい。軽やかに。書こうと力むことなく、生きている言葉をここに残したい。落ち葉のように、吹いたら飛んでいく言葉の数々をそっと地面に置きたい。そして、残るのではなく飛んでいけばいい。わたしが書くためではなく、誰かが書くために。もっとたくさんの言葉が生まれ出るために。

疲れた日にこそ、くだらない文章を書こう。おおげさな詩を書こう。いつもは言えなかった言葉が、緩くなった口から躍り出てくる。プライドも、見えも捨て去って書こう。ただ、思いついたからという単純な理由だけで言葉を認めてあげよう。伝わるかどうかは知らない。けれど、本当に素直に生まれた言葉なら、伝わるよりも先に多分誰の心の奥にもある。


最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!