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2月になったら何かを始める。
真夜中、布団の中。わたしは、妄想を始める。
妄想の上では、布団の中はバーだった。
バーって、あのバーだ。お酒が飲める、おしゃれなばしょである。あまり行ったことはない。しかし、言葉とは不思議なもので、ここに「バー」と書けばとにかくここは、バーになる。
この文章を読むものは、各々好きなバーを想像すればいい。わたしが布団の中で、想像したものと同じように。
「2月になったら、何かを始めたいんだ。」
わたしは、カウンターに白湯を置いて、バーテンダーに話しかける。メニューに「白湯」はなかったが、無理を言って沸かせてもらった。注文したら、おしゃれな温度になって、テーブルに置かれた。白い陶器に入っていた。焼き物の名前はしらないが、奥にしまってあって、長い間使われなかったものだろう。
バーテンダーはあの、何かを振る仕草をして酒を作っている。しかし、わたしの他には客は見られない。わたしは、思考の矛盾にきがついて、バーテンダーの動きを修正する。
客がいないので、バーテンダーは振っていたコップのようなものを流しに置いて、静かに手もとを掃除し始めた。
「なぜ、2月からなのですか。」
バーテンダーの渋い声を想像すると、聴覚が刺激され、おしゃれな音楽が流れ始めた。楽器の種類が少なめで、伸びやかな女性ボーカルが上品に響く。しかし、わたしには即興で作曲する才能はない。どこかで音楽を聞いた記憶を呼び起こして、その感情に浸る。
話し慣れていないわたしは、バーテンダーの質問にうまくこたえられなかった。それに、このバーという環境にも慣れていないはずだった。
これが、たぶん答えだ。答えられないことの答えである。
まだ1月なのに、「2月から」と言いたくなる。新しい月になれば、新しい自分になれるのではないかと期待するから。
しかし、新しい自分になるためには、なれ切った自分を捨てなければならない。わたしはそれが怖いのだ。だから、躊躇している。
「本当は、今日から始めたっていいんでしょうね。」
わたしは、自分を卑下するように笑って、白湯の表面を見つめた。白湯については、最近noteに文章を書いた。宇宙はホワイトマターに満ちている。「白」という名の無。その無に、わたしは躊躇している。なれない文章を書くことに、躊躇している。
バーテンダーは軽く笑い返すと、
「慎重なことも大事ですよ。」
と言った。
わたしが、正直に自分のためらいを認める人間だと安心したのだろうか。バーテンダーは正論を言ったというよりも、わたしがどんな人間かを試すために、「なぜ、2月からなのか」と聞いただけなのかもしれない。
「徳川家康はとても慎重だったと言います。」
バーテンダーは、わたしが大学のサークルで先輩に聞いた話をした。
「馬で川を越えるときに、落馬して怪我をするのを恐れた家康は、わざわざ馬を降りて川を渡ったといいます。」
わたしがサークルでこの話を聞いたのは昔のことなので、家康がどんな状況だったのかをよく覚えていない。バーテンダーは、わかっているのだろうか。しかし、その話が「慎重さ」の肯定をしめすことをわたしも知っていたので、何もいわなかった。
そもそも、このバーテンダーがわたしの過去の記憶をもとに話しているということを示すために、「家康の話」について書こうと思っただけである。
このバーはメタ的な空間なのであるから、書いているわたしがバーテンダーの話すことに影響する。しかし、バーにいるわたしはそれでいながらもバーの雰囲気を味わいながら、バーテンダーに愚痴を吐く。
つまりは、間接的に自分に愚痴を言っているだけなのである。
「なるほど。」
家康の話は、わたしの適当な相槌で終わってしまった。あまり正確に先輩の話を聞いていなかったからだろう。おそらくその時も、そんな適当な相槌で返したのだろう。
「それにしても、慎重な割には随分、実験的な小説をお書きになる。」
バーテンダーは、もう掃除するものがなくなったのか、磨き終わったグラスを掲げて汚れを確認する。書いているわたしが、バーの道具をよく知らないのだから暇になったのだろう。所詮、雰囲気だけの存在であるが、わたしのことをこうして褒めてくれるとうれしい。バーの薄明かりに照らされて、グラスが鋭く光る。空間自体は明るいわけではないが、電球の明かりを直接反射すると眩しいぐらいの光になる。
「そもそも、これは小説なんだろうか。随筆なんじゃないだろうか。」
わたしは、何遍も頭の中で繰り返した問いを話す。しかし、答えはもう出ている。
わけわからないものを書くことに、わたしは快感を覚えるのだ。
定義されないもの、評価不能なもの、一見して見捨てられるものを書くことに、快感を覚える。そうした、卑しい性癖を持っているのは、心のどこかで自分の弱さをわかっているからだろう。自分の偏屈なところを、自分でわかっているからだろう。
だから、バーテンダーに聞いた問いの答えには、もう興味がない。ただ、話を続かせるためだけにそう聞いた。
考えてみると、大抵の会話はそうしたうわべだけのものかもしれない。最初にバーテンダーがわたしに聞いたのもそうだ。誰も、本当のことをこの場で追求できないことをわかっている。それよりも、お互いに傷を舐め合うように、うわべを話している方が心地よい。
「でも、あなたはこれから、小説を書くつもりでしょう。この文章も、あなたがこれから書く小説の文体を試すために書いている。」
それこそ、本当のことだ。
バーテンダーに返事をしようと思ったが、いちいち律儀に頷かなくてもいい。わたしは、肯定の代わりに目の前の白湯を持ち上げて一口含んだ。温かい水は、柔らかい。わたしが好きな物理法則だ。そのおかげで、人間は風呂も白湯も楽しめる。
「試すと言っても、もう分かってるんだ。こういう風にしか書けない。」
わたしは、白湯を飲み込んでそう答えた。やはり、バーの白湯はいい。ポットで沸かした熱い湯だと、喉がヒリヒリすることがある。しかし、水もいいものを使っているからか、飲み込んでも抵抗がない。
ネガティブな答えを出すのも、わたしの癖だ。「ない」、「しかない」、「できない」、「ねばならない」。それを言い訳に何かをしている気がする。
根拠なく何かをするのが怖いのだ。だからといって、主義主張を立てて何かをする気にもなれない。信念に基づいて何かをする方が、もっと怖い。どうして、それが正しいとしんじられる? だとしたら、いったんどうしようもないところまで行き着くしかない。ギリギリまで腹が減ってから、食べる。死んではいけないから、食べる。
書くことは? 書いたところで満たされない。書かなくても生きていける。じゃあ、書いているわたしは何の根拠もなく、なにかをしなければならない。怖い。
単純に、知的好奇心があるから、とか、こうとしか書けないから、とか言っていれば、楽かもしれない。体裁もいい。もしかしたら、面白いと言ってくれる人もいるかもしれない。
「でも、こうも言い換えられます。あなたは書くことができる。」
バーテンダーは、うつむいてコップを磨き続けている。
「自分で下手だと思っても、変だと思っても、根拠がないと思っても、あなたは書くことができる。あなたは弱い、けれども書くことができる。」
「そうだね。」
わたしはまた、白湯を口に含む。心地よい温度が冷めていく。そろそろキーボードを叩く指が疲れてきた。椅子に座る姿勢も安定しない。集中が切れてきた。もうすぐ、文章が終わる。
わたしがにやけながら、返事をするのを確認すると、バーテンダーは笑いかえさずに、また手元に視線を戻した。
わたしは、どうやらこの世界を終わらせる方法を考えている。この想像を終わらせる方法を考えている。
しかし、方法などない。休日の朝。制限時間も決めていないから、いつまでも書き続けている。物理的にではなく、意味的に終わらせる方法を。わたしは考え始めるが、思いつかない。わたし自身も動かないし、バーテンダーも動かない。
ただ、待っているしかない。
沈黙。
気づけば、音楽も止まっている。他の客は最初からいなかった。
「もうすぐ閉店です。」
「設定で終わらす気ですか。」
「はい? 設定って何ですか?」
バーテンダーは、終わらしにかかっている。
「いやでも、白湯が。」
「冷めてしまったら、下げますよ。」
「渡さない。」
「渡さない、なんて物騒な。」
バーテンダーは落ち着きなく、わたしに笑いかける。
わたしは、深呼吸して一度キーボードから手を離す。考える。何が書きたかったのか、考える。終わりは見えている。2月から始めたいと思っている小説のタイトルを、わたしは言うのだ。しかし、それにつながるためのレールがない。
それこそが、たぶん、わたしの書き方が「ない」から始まっているせいだろう。「これを書きたい」という白い無に飛び込むための体力と勇気がない。ダラダラと、思考を垂れ流して出来上がった文章しか、人に見せられない。
別の登場人物をバーに登場させることも考えた。カウンターを振り返って、バーの扉をみる。しかし、固く閉ざされて人が入ってくる気配もない。というか、ここでバーによくいる美女を登場させたりしても興醒めにしかならないだろう。今までの記述でもうすでに冷め切っているかもしれないが。
もう開き直っているから、これ以上開き直っても駄々にしかならない。開き直りで書いているから、もう開き直れない。こんな時なのに、わたしは自分の文章の行き詰まりに納得している。これで、「書くこと」がすこし分かったことに喜んでいる。
「バーテンダーさん。明日も来ていいかい?」
わたしはそう言った。この手は、今まで使ったことがない。いつもnoteに投稿する文章は、今日の日のうちにオチをつけているつもりだった。
バーテンダーは、一瞬驚いたが、しかし、すぐに納得した。
「ええ、いいですとも。」
「まだ2月じゃない。わたしは、2月になったら何かを始めようとおもってるんだ。それまで、ここに来ていいだろう?」
「ええ、いいですとも。」
「よし、決まりだ。今日はここまで。」
「では、白湯は下げさせてもらいます。」
「いや、最後まで飲みます。」
わたしは白い陶器を持ち上げて、一気にあおる。ぬるい。冷め切っている。しかし、その温度がわたしを現実に覚ます。正確に言えば、現実と虚構で分離したわたしをまた一つのわたしに戻そうとする。
飲み干すと、陶器の底に模様が書いてあることに気がついた。猿の絵が書いてあった。わたしは何もひらめかないことにする。
「ごちそうさま。」
と言って、立ち上がった。
つづく。
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