ファストワーズ・スローラヴ
ファスト、早く書く。感情が支配的になる。指の躍るままに書く。飛躍によって進む。私の場合は、駆けるようにように。論理をはしょる。察させる。ただ早く早く、早くなければ捕らえられない。捕まえない。追い抜いて、振り返る。それがファスト。
スロー。ゆっくり書く事は、すでに自分の中にあるものを疑う事である。多分そうである。自分の中にある「当たり前」をもう一度手にとる事である。マインドフルネス。一つの呼吸を、筋肉の動き、心臓の鼓動、胸の上下、鼻を通る空気、腹を満たすエネルギーに分解する。言葉も、そう。光にかざし、見つめる。何日も何日も同じことを書く。同じに見えるものも日によって変わるから。
ファストとスローが混在する世界。デジタルなモンタージュ。その断裂を空白部分に隠して、バグりそうな脳を騙して、ページを駆け巡る。人類はついに、飛ぶことに成功した。平面に束縛された「活字」は、今や本当に生き生きと、動的なかけがえのある電子的な実体に開放された! もう、あのゴツゴツした歩きにくい繊維の上を歩く必要はない。抵抗のない、理想的なディスプレイの上を走れ走れ!
紙は死んだ!
私たちはもう、偉大な文章を書く必要はない。偉大な言葉を放つ必要はない。だだ、自分の思うままに、今その場で生まれたままに、言葉を放ち、他者の視界を犯すことができる。言葉は、ついについに自由になった。
たぶん…。
私たちは、そうはいっても変わらない。
目の前にあるのは、どこにでもあるパソコンで、誰が書いても同じような日常。自分の言葉の鈍い解像度に絶望する。自由と高速なサイクルは、何か都合の悪い現実を量産しているようにも見える。
そう、この世界はどこまで行っても続いちゃっていて、どこまで行ってもおんなじような、つまらない宇宙の景色が無限に広がっている。
かけがえのある世界の中で、かけがえがある何かを探している。
誰かが無視したものを、誰かが無価値だと通り過ぎたものを、この私だけが私の基準で愛そうとしている。
自分の目の前にあるものの前で、立ち止まること、立ち尽くすこと。ゆっくり、ゆっくりと目を離さずに見つめ続けること。イエスと言えなくてもいい。ノーと言えなくてもいい。納得するまで、けして自分に嘘をつかないこと。
中心がなくなってしまった世界で、愛を叫ぶ。
いや、愛を叫んだその場所が、世界の中心なのだ。
私は私を誇りに思う。
間も無く宇宙の日が暮れる。
その一瞬の輝きが、それでも何かを愛しなさいと私に言う。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!