Day 4 : バイク・バイク・バイク
「あああ、昼だ。」
石田があくびをする。サングラスの下に指を入れて、涙を拭く。顔は見えない。
「昼やな。」
舞が適当に相槌を打つ。片手には、小型のディスプレイを備えた情報端末。要は、スマホ。
「で、何すんの今日」
ソファーに寝転がりながら、石田は誰かに話しかける。
その声には誰も答えない。
昼の事務所。ただいま0:50。舞と石田しかいない。散らかった部屋に、昼の晴れた日差しが差し込む。ガラクタが太陽の光を浴びている。
「何すんの、今日。」
「あ、あたしに聞いとった?」
石田の二回目の声で、舞がスマホから顔を上げる。
「お前以外に誰がいんだよ。」
「ナレーターとか。いつもの通りにな。」
「お前、この小説なめてるだろ。」
「小説とか知らん。アタシ、今SNSでの情報発信に忙しいんや。」
「発信することあんのか。」
「あるで、今時SNSやっとらんと、ファン取れないで。芸能界はシビアや。」
「お前を見ても、全然シビアな感じしないけどな。」
「それは、書かれないからや。」
「じゃあ、お前がセリフで言えばいいだろ。シビアなところを。」
「…………」
「おい。」
「あ、すまんかった。今ファンからDMきてな。返事するから。」
「だから、スマホ見てる奴は嫌いなんだよ。」
「…………」
「どうすんの、これ?」
石田が、声色を変えて話す。
おそらくわたしに聞いているのであろう。
「腹たつな。なんで上から目線なんだよ。」
だって、ナレーターですから。神の目線ですから。
「開き直るな。」
石田はソファーに寝っ転がったまま会話を続ける。
舞は、石田の声をよそにスマホにより集中する。
「今日、何にもねえのかよ。四日目にして、ネタ切れか?」
いや、とりあえず今日は、アクション回にしようかと。
「アクション? 書けんのかお前に?」
知りません。
「ほんと開き直るよな。」
はい。
「で、どんなアクションなんだ?」
「おい、アンタさっきから何一人でぶつぶつ言ってんの?」
舞が口を挟む。
石田は顔をしかめて、起き上がる。
「お前、適当なところだけ反応するんだな。」
「は? なんのこっちゃ。」
「もういい。説明するのもめんどい。ああ〜〜〜」
また大あくびをして、石田はソファーに横になる。退屈すぎてなかなか安定する姿勢が見つからない。
そんなことをしていると、トントン、と階段を上がってくる足音が聞こえる。
石田は横になったまま耳をそばだてる。舞は、スマホから顔を上げる。
「ごめんください。」
女性の声。
「おい、誰か来たで。」
「お前が出ろ。」
「は、なんでや。アンタがここの責任者やろ。」
と言いつつも、舞は立ち上がってドアを開ける。
ドアの向こうにいたのは、スーツを着た女だった。黒い髪をまとめて、眼鏡をかけている。年は、舞よりかは上のように見える。そもそも、茶髪で黄色いジャージを着ている舞よりかは、大体の女性が落ち着いて見える。
「あの、三猿ってここですか。下の葵さんっていうかたに教えてもらったんですけど。」
声ははっきりしていている。
「あ、はい。そうやで、散らかってるけどお入り。」
舞は、愛嬌を発揮して笑顔で彼女を招き入れる。「散らかっているけど」というレベルの散らかりようではないことは、舞もわかっていた。
ローテーブルを囲むソファに座らせる。石田は上座にいたまま、ガラ悪くふんぞり返っている。舞は、同類に思われたくないので女と一緒に向かい側に座る。
「なんだこれ。『暇だ』っていったら依頼人が来やがった。」
石田が沈黙を破る。空気に自分の匂いをつけるように早速話を始めた。
「はは、すまんなぁ。この人ちょっと独特やねん。名前は?」
舞が聞くと、
「田中です。」
とだけ、女は言った。
「田中さん。下の名前はなんやの?」
「田中、めぐみです。」
「偽名。」
彼女が名前を言い終わるかどうかのところで、石田はそう断定した。
「は?」
「だから、それ、偽名。だろ?」
石田はふんぞりかえったまま、高圧的に言う。
「はぁ、なんやねんそれ! 失礼ちゃうの。お客さんやろ!」
舞が声を張って憤慨する。
「あ〜、うるさいうるさい。ちょっと落ち着け。」
石田は手のひらを下に振る。
「別にそれが悪いっていうわけじゃねえよ。偽名には偽名の意味がある。」
「なんやそれ。」
舞は腕を組んでそっぽを向く。
「で、でもどうして?」
田中と名乗った女は口を開く。
「言い方、それと、カバンに入っている会社用のID。言い慣れない名前を言う時の、声帯のぎこちない動き。以上。」
「は、声帯?」
女は喉を押さえて、目を見開く。
「そう、声帯。俺には見えている。」
女は言葉を失う。息を呑む音。
「変態野郎が。」
舞は女の代わりに、石田に物を投げつけたい衝動に襲われる。しかし、足元にあるのは電子回路とか、だるまの置物とか物騒な物ばかりだ。スリッパとかクッションとか、布製品ならいいのだが。
「まあ、ええで。なんか用があって来はったんやないの?」
女の気を逸らすために、舞は声をかけた。
「はい。私、復讐がしたいんです。」
女は言った。
「はぁ? フクシュウ? 何いうとるの?」
舞が声を上げると、今度は石田の方が余裕ありげに笑っている。
「ちょお待て、だめやで。うちは暴力団じゃあらへん。犯罪はごめんや!」
舞は女の肩を掴んで揺さぶる。女は俯いたまま黙っている。
「ちょっと待て、全ての復讐が犯罪とは限らないだろ。」
「いや、復讐っていう言葉がもうあかんねん。なあ、やめたろ。人に恨み持っててもなんもならんで。」
舞はさらに激しく女の肩を揺らす。
「まあ、待て。お前はやめさせたいならそう説得しても構わない。」
石田は猫背になってこちらに顔を近づける。
「どちらにしろ、話を聞かないと事情はわからないだろ。」
「はい。」
女は舞から目を逸らして、石田の方に頷いた。
舞も、仕方なく肩から手を離す。
女は、語り出した。彼女の話を、石田はソファーにもたれたまま聞いていた。サングラスの奥の目線がわからない。舞は代わりに真剣に聞いた。
話をしている人の話を、わざわざ文章に書くのも面倒なので、ここにわかりやすくまとめる。
1、彼女は会社で働いている。
2、彼女は、会社の上司に嫌がらせを受けた。
3、彼女は、それに対して不満を持っているが、周囲の理解を得られない。
4、上司は相変わらず会社で威張り散らしている。
5、彼女は恨みが積もり上司に復讐がしたいと考えた。
「うーん。田中さん、そら辛いなぁ。そんなクソ上司、蹴っ飛ばしたらええねん。」
舞は、話を打ち明けた女の肩をさする。
「お前、復讐に反対じゃなかったか?」
石田は舞の態度に冷やかしを入れる。
「いいや、話聞いたら別や。こんなん三猿いらへん。アタシがどつきにいったる。」
「おいおい。もうちょっと冷静になれよ。そんな単純なことだったら、わざわざこんなところに来るか?」
「いや、関係あれへんやろ。」
はあ、と石田はため息をついて言い直す。
「なんで、こんなにわかりやすく問題が起こっているのに身近な人や相談所じゃなくて、ここに頼みに来たんだ? 重要なのは、わざわざ『三猿』を選んで依頼に来たことなんだよ。それをまだ聞いてない。」
場面転換。
少々事務所のくだりを書いていて、飽きたので、別のことを書くことにする。ここまで一時間ほどかけてよちよちと書いていたが、この世界ではたった10分ほどの出来事である。
小説を書いていると、「書いている」自分の感覚と、そこで起こっている出来事の時間感覚が乖離してくる。差が激しすぎると、それがどう読まれるのか、文章の意味を掴めなくなる。
感覚を調整するために、別の場面でも書くことにする。登場人物にメタ的な発言をさせることで、いくらか感覚を取り戻している部分もあるのだが、ここは小説的な技法で調整してみる。
舞たちが話している三猿の事務所の階下。同じビルの一階は小物屋になっている。
そもそも、三猿の事務所のビルはどこにあるのか。どうにも収まりのつく場所が思い浮かばない。雑多な雰囲気があり、都会のどこかであることは間違いない。新宿とか、渋谷などの裏通りにありそうだ。しかし、彼らの具体的な業務内容はいまだに明らかではない。いまどき、そんな不安定で不明瞭な仕事が成立するとは思えない。彼らはおそらく、「仕事」以外の目的があってここに事務所を構えている。
収まりが悪いのは、一階にある小物屋のせいである。
和風のインテリアや雑貨を販売しているこの店は、事務所の雰囲気とあまりにもかけ離れている。アンバランスだ。しかし、店主の光乃と三猿のメンバーとの間に関係がないわけでない。奇妙とも言える間柄が成立している。
「そろそろ、話はついた頃かな?」
光乃はレジカウンターの奥に座っている二人の少年、少女に声をかける。ボクと、ハル。三猿の団員。ボクは手に持っていた携帯ゲーム機から顔を上げる。ハルは相変わらず姿勢良く座ったまま、虚空を眺めている。今日は、光乃と同じく和装である。髪は紫色で上に高く渦を巻くようにまとめている。着物は、派手に模様を散らした現代風の物だ。
『いってらっしゃい。』
ハルは、壁に立てかけられたPパッド……巨大なスマートフォンのようなものに文字を表示する。
「うん。じゃあ、二人とも店番頼むよ。」
光乃は出かける準備をして、店を後にする。ボクは、またゲーム機に視線を戻して、軽く手を振る。ハルは、『バイト代に期待。』とPパッドに表示する。
それを見届けて、光乃はもう一つの職場に向かう。
さらに場面転換。
思わせぶりに、階下の様子を描写してみたが、この後の展開は、筆者にも全く見えていない。とりあえず、適当に彼らを取り巻く出来事を描写してみるしかない。
舞と、石田は、田中と名乗る女といまだに話し続けていた。話の展開を初めから追うのもめんどくさいので、適当に彼らに話してもらう。
「で、話は聞いたんやけど、結局、三猿ってなんやねん。」
舞が、頭を掻きむしってソファーにもたれる。
石田は、
「だから、実力事務所って言ってるだろ。」
とこれまた気怠げにソファーにもたれたまま答える。
「その『実力事務所』っつうのがわからへん。」
「だから、依頼人の仕事を俺らが手伝うだけ。社会のルールに則って。だから、『実力』。暴力でも、権力でもなくな。」
「やりたいことをやるのは、暴力ちゃうんか? アタシらがすることによって、誰かに迷惑かけることもあんで。というか、これからしようとしとることは復讐やで。」
「それは手段による。だが、やれることは絶対ある。」
「なんやその自信は。」
「さあな。」
彼らの話は依頼人を置き去りにし進んでいく。
田中と名乗る女は、テニスの試合の観客のように、右に左に首を振り、石田と舞の応酬を眺めている。
「で、結局、わたしはどうすれば……」
耐えかねた田中は手を挙げて、話に割り込む。
「そろそろ、会社に戻る時間なんですけど。」
「そうだな、また来い。力にはなる。」
石田はそう言って、話をやめた。
「え、料金とかは。」
「出来高制だ。仕事が完遂したら、あんたに払ってもらう。」
「相場は。」
「要相談。安心しろ、これで食ってるわけじゃないから、金は意味合い程度だ。」
「意味合いって、どんな意味や。」
「とりあえず、行方をくらましたり、死んだりしたら金は払えないからな。仕事が終わっても、依頼人が存在していることを保証してもらう。」
「じゃあ、連絡先……。」
「必要ない。こっちから声をかけることはない。どうしても依頼したかったら、また来たらいい。」
「はい……。じゃあ。」
それでも何か、心残りがあるのか、依頼人は席を立って石田の顔を見る。それから、舞の表情もうかがう。舞も、笑いかけるしかない。
「じゃあな。」
舞は立ち上がって、彼女を見送る。
ドアを閉めずに、ビルの外付けの階段を降りていく後ろ姿を見送った。
つづく。