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掌編小説 爆ぜる神々

割引あり

 2004年の10月、アメリカのある地方で八十五歳の老婆が亡くなった。彼女の名前はベティ・ヒル。ソーシャルワーカーだった。
 
ベティが四十三歳だった秋の出来事だ。
 彼女は、休暇で訪れたカナダからアメリカへの帰宅途中、夫とともに異星人に拉致される。異星人の肌の色はグレイだった。しかしその彼女の証言は、その時代としては珍しかった異人種婚から、無意識のうちにそのことがストレスとなったための幻覚なのではないかという噂にまで発展する。しかし時代が過ぎてみれば、それまで白人の姿をしているとされた異星人の姿はなりを潜め、グレイであることが大前提になった。オレたちは異星人と言えば、白でも黒でも褐色の肌をしているわけでもない知的生命体を想像している。UFOが地球に飛来してきているのか、異星人が人攫いをするのか、そんなことはオレにはわからない。しかし、時の濾過を通ってより本質的な「なにか」は、たしかに次世代に引き継がれていくのではないかと思う。
彼女は生前、こうも語っている。
異星人たちは、神が宇宙に遍在していることを証明してくれた――と。

 オレはベティの言葉を信じている。洞窟の風が頬に触れた。湿気はあるが、不快ではない。これまでに、この場所を訪れた島の人々はいったいどれだけいただろうか。足もとの岩は滑らかに磨かれており、座って目を閉じると、まるで未知の生物の内部に身を置いているかのようだ。風はその生命力と、オレの肌を一体化させる。耳の奥にあった呪文と怒号も静まり、オレはますます深く、洞窟から発せられる波長に心を調和させていく。遠くから漂ってくるくすんだ線香の香りの向こうに、甘い木の実の芳香が迫ってくる。オレの意識は風に乗り、洞窟から解放されていく。
「アメリカ―ね?」
 背後から老婆の声がした。闇のなかで老婆は心なしか震えている。オレはスペイン人と日本人の間に生まれた。外国人とみればアメリカ人だと思い込むのはこの島ならではの習慣なのだろう。
「いえ、日本人です」
 オレは老婆を見上げながら、努めて笑顔で答えた。
「何でこんなところにいる」
 いいところだなあ、と思ってと答え終わるよりも先に老婆は手に持っていた線香の束をオレに投げつけた。
「ここはお前の来るようなところではない!」
 たぶんそんなことを叫んでいたのだと思う。島の言葉で聞き取れなかったが、オレにはそう聞こえた。老婆が震えていたのは、恐怖もあったのだろうが、怒りが先に立っていたようだ。いわゆるここが聖地だということは薄々感じていた。だがこのような仕打ちを受けるとは思ってもみなかった。オレは立ち上がり、無言で頭を下げて、洞窟から出た。
あたりはすっかり暗くなり、果実を求めてコウモリが低く飛んでいた。鬱蒼とした木々の間から、月が大きく見えた。大阪で見る月は、コーヒーにミルクをひとしずく落としただけのようで弱々しく、主張もしてこない。それがここではどうだろう。この夜を支配するような強さをもって照っている。煙草をふかすとその紫煙の行方まで浮き出させる。ここは「出る」らしかったが、むしろ出てきてほしいと願っていた。こっちとあっちが曖昧な境界線上にいることが心地よかったのだ。紫煙は異界へと向かうように立ち上っていく。

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