狐憑きといたいのいたいのとんでいけ〜がある社会
最近はあまり聞かなくなりましたが、僕が子供の頃は「狐憑き」と言われる人がたまにいました。
今でいうゴミ屋敷に住んでる人とか、1人ブツブツ言ってる人達がそう言われていました。
大人たちはそういう人を遠巻きに見ながら「お狐さんかも」って噂してました。
子供の頃の僕は「ごんぎつね」とか「てぶくろを買いに」が好きだったので「キツネさんのせいにするな!」と憤ってたものです。
で、大人になって分かります。あれは精神疾患で治療が必要だったんだなと。
昭和の田舎の話です。メンタルクリニックなんて無く、鬱病とか統合失調症っていう概念さえない時代です。少し「普通じゃない」人はキチガイか狐憑きという言葉でカテゴライズする事でなんとか理解もしくは排除しようとしていたんでしょ。
あれから随分経ちます。
「狐憑き」って言葉も聞かなくなりました。けれどあの頃よりも壊れそうな人、壊れている人が増えた気もします。
もちろんSNSでそういうのが目に入りやすいってのもありますが、それを差し引いても変な人が増えた気がします。
時代が悪いのか社会が悪いのか、なにが悪いのかは分かりません。
けれど社会は急速にきゅーくつになっていってるのは確かです。
そんな事をぼんやり考えている時、ある本を読みました。「狐憑き」のお祓いの様子が記録されている本でした。
「狐憑き」とされた人に白装束をつけさせてある程度深さのある川に入ります。
その時その人の頭の上に油揚げの乗ったザルを乗せます。そして介助者の気合いを合図に一気に川に潜ります。そしてザルだけ流します。介助者は言います。「あなたに悪さしていたお狐さんは、びっくりしてあのザルに乗っかって流れて行ったからもう大丈夫」と。
これを読んだ時、なんか直感的にそれは凄くいい方法だと思いました。
不安を可視化してそれを退治する事で、楽になるという演劇的療法。
もちろん先天的な脳の疾患や、脳に損傷があるならそれは別の治療が必要です。けれど、純粋に精神的に衰弱して狂いが生じているなら、この方法はすごく効果的だったんだろうと思います。
弱って壊れそうになっている人を責めるでも追い詰めるでもなく、あなたが今しんどいのはこの世のものではないものが悪さしている。という誰も傷つけない責任転嫁。
「狐憑き」「お祓い」というのは人間を壊さないようにする優しいシステムだったんだな〜と思います。
けど残念ながら神様や、よく分からないモノを排除してきた僕たちにはもうその優しいシステムはありません。
目に見える世界だけで、自己責任と言われながら壊れないように立ち続ける事を求められます。
人間はそんな強いわけないのに。
ぼんやりと思います。
「いたいのいたいのとんでいけ〜」と言って、とんでいった方にいる大人が「イタッ」って言う演技をすると、痛がっていた子供は痛みを忘れて笑う。
そういう小さな演劇的社会作りが、今の人間が作れる最低限の優しいシステムな気がします。
痛がってる子供に、「我慢しろ」とか「痛みが飛んでいくわけがない」とか言う社会はやっぱりきゅーくつで嫌です。
しんどくてもイライラしても大人はちゃんと大人を演じる。それだけでなんか少し変わる気がするな〜と思う今日この頃の僕です。