ストロベリーフィールド: 第二十三幕 異形異種、過去をゆくもの

頭の中で、いろいろな疑問が浮かんでは消える。

けれど、ハンナはまともに何かを質問することもできなかった。
自分が《呪われた子》である、と言われた事に打ちのめされていたからだ。

ハンナのママは、キッチンから小さなスツールを持って戻って来ると、その上に浅く座った。そうしてハンナに語り始めた。

「ウエストエンドから逃げるようにこの中立国になったばかりの村に来て、すぐに図書館へ行ったのよ。もう覚えてないと思うけれど……。
ママは、そこで生まれて初めて《地図》というものを見たの。

グリーングラスでは、すべての国はグリーングラスの一部として書かれていたし、ウエストエンドにいた頃は学校に行っていなかったから、精霊の分布図は知っていても、それぞれの国の人達が勝手に線を引いた《国境》なんてものがあるという事さえ知らなかった」

「地図?」

「自分が今いる場所をね。知りたかったの。水晶の中で見たパパが最後にいた場所が何処なのかも知りたかったし、何があったのかも知りたかった。
パパがいなくなったことがどうしても信じられなくて。

だから、パトラばあ様のところへ行ったのよ。
ハンナは覚えていないかもしれないけど、ここへ来てしばらくは、ずっと宿に泊まっていたのよ。パトラばあ様に出会っていなければ、私たちは、まだ旅をしていたと思うわ。
ここのお家は、もともとパトラばあ様が、住んでいたお家よ」

三つ目のサンドイッチを皿に取り、ガレットを口に入れながら、パトラは頷いている。

「南の島で会った時から、ハンナは精霊と遊んでたっけねぇ。たまげたよ。ユラの血ってのは大したもんだってね。あたしゃ、あの子たちを見えるようになるだけで十年以上かかったからね」

「あ……あの時ね……龍を見たんだ」

長い間、口にできなかったことを口にしてから、ハンナはしまったと慌てて口を閉じたのだが、口から出てしまったものは引っ込めようが無かった。

パトラは食べていた手を止めて、じっとハンナを見つめている。

「ハンナ、あんた起きていたのかい? 本当に? 大人の話の邪魔になるからと思ってね、今この子にかけているのと同じように、妖術かけて眠らせていたはずなんだがね……」

ハンナは、つい先ほどパトラが男の子にしたことを思い出した。

男の子はすやすやと眠っているが、同じようなことが自分の身にもあったのかと、ハンナはその時のことを思い出そうとした。

あれは夢だったのかもしれないけど……。

「ううん。あの、起きていたっていうか、急に息ができなくなって、上を見たら七色蝶がいて、繋がって虹みたいになって、ちょうど伝説の歌みたいに。それからとっても高いところで何かが光って向かってきて……。
よく判んないけど、多分龍かな……って。でも、夢かもしれない。
だって、目が覚めたらベットに寝ていたから……」

「パトラばあ様……この子眠っている時でさえ、耳が聞こえているのかもしれません」

「半分起きてて……寝ぼけてるってことかい?」

「それに近いかもしれませんが……気配を聞いているのかもしれません。
とにかく聞いているのです。まるで目で見ているように。
あの時、私は夫に出会った時の話をしていたはずですから。

ハンナ、あなたが見たそれね、
ママがパパを初めて見た時に見た景色よ。

そのお話を、あなたが眠っている隣でパトラばあ様にしていたの。それとも、五歳の時に聞かせたお話が、頭の中でごちゃ混ぜになったのかしら」

パトラは険しい顔をして、食べる手を止めたままだ。

「いや、もしかしたら……そんなことは考えにくいのだけれど」

「何でしょう、パトラばあ様」

「ハンナ、他に同じようなことは無かったかい? 例えばだけどね、起きているのか眠っているのか判らないくらいの、身体で感じているけれど、後で目が覚めるようなことだよ」

ハンナのママは、はっと息をのんだ後、驚いた顔のままハンナを見つめている。

ハンナは、今日、ついさっき体験したことを思い出し、夢だと思うんだけど……と話し始めた。

今目の前で眠っている小さな子を、さっきストロベリーフィールドで見た話と、ルークとジャッキーの話だ。
馬に乗ったパパと、白い服のママも見たような気がする、と。

パパの頭の虫の王冠が可愛らしくて可笑しかったという話を聞いて、ハンナのママは椅子から突然立ち上がった。

喜んでいるのか悲しんでいるのか、判らない表情だ。

「間違いなさそうだね……」

パトラが頷きながら、ハンナのママに視線を送る。

「ええ……パトラばあ様」

「しかし、あんたと違うところがひとつ……」

「はい。この子は、過去を旅する者。黄色の水晶を受け継ぐ者です」

「やはりそうか。やっかいな匂いがプンプンするが、大きな希望の光だ……」

パトラは、秘密めいた笑いを浮かべ、ママは小さく頷いていた。

ハンナは、なぜか急に胸がドキドキするのを感じた。たった数日でどれほど自分の知らないことを一度に聞かされるのかと緊張していたが、今こんなに胸騒ぎがするのは何故なのなのか。

パトラはハンナの顔を見つめ、低い声で囁いた。

「ハンナ、あんたは、いつの間にか覚醒していたんだ。
ユラ神の血を引く者としてね。
この村に来たばかりの三歳の頃にはもう、覚醒し始めていたんだろう」

「か、く、せ、い……?」

「ああ、ユラ神の末裔として生き始めたのさ。けどね、あんたが見えるのは未来じゃない。過去だ……」

ハンナは頭が真っ白になった。

「過去……。ママみたいには、なれないの?」

「ハンナ、私たち一族には、過去を旅する者と、未来と今を行き来する者がいるの。
未来に行くものだけがユラ神になれる。けれど、あなたは……」

ハンナのママは、嬉しいのか悲しいのかわからない表情をして、言葉を止めた。その後の言葉がなかなか出てこない。

「そう、過去しか見えない。だから、ユラ神にはなれないってことだ」
最後の一文を、パトラが付け足した。

ハンナはユラ神になることなど考えたことはなかったが、ママのような能力が得られないことに自分に失望してしまった。

過去が見えて、どうなるって言うの?

ハンナのがっかりしている様子を見て、パトラはハンナの手を取り、微笑みかけた。

「いいかい、ハンナ、お前は過去が見える。それが、どれほど人の心を癒すことになるか、分かる日がいつか来るだろう。

もちろん辛い事もあるさ。忘れた方がいいこともある。けれどね、その過去があるから、未来の一歩を間違えずに踏み出せるってこともある。

何より、お前はこれで、この国で必要とされている、ということが分かったんだよ」

ハンナは、パトラの行っていることが理解できなかった。
隣では、小さな子が寝息を立てている。

「この子は……誰?」

「この子はね、この国でレオと呼ばれている子の、双子の兄だ。二卵性双生児ってわかるかい? 別々の卵が母親のお腹の中で別々の子供になって二つの命が育った、ってことだ。

この子の母親は、さっきも言ったが、恐らくグリーングラスの軍人さ。
産んだのは、軍人の母だ。
弟の方の母は、遺伝学的な母だがね、おそらく、ボバリー夫人だ。

これは五年前のお産に立ち会った者だけが知っている事実だろうね。あたしだって知らなかったことだよ。どういういきさつでこんなことになったのかは神のみぞ知るだ。

お産の場にいた者には、その事を話そうとすると、死の呪いが発動するように消え去るからね。レオが生まれた時にその場にいて、まだ生きているのは、今でも働いている執事のセバスチャンだけさ。
それ以外の者は、皆おかしな死に方をしている。ほれ、その子の右手、見てごらん」

ハンナはパトラに言われるがまま、男の子の右手を見た。そこには、古めかしい何百年と時を超えて来たかのような、美しい細工が施されたリングがはめられていた。

「実際はね、その子の名前の方が、レオだ。誕生会にいたのはレオの弟だ。だが、今レオと呼ばれているボバリー家の長男とされている子には生まれた時から名前が無い。だから本物のこっちのレオを隠して、もうひとりの弟の方をレオって呼んでるのさ」

「名前が無い?」

「ああ、グリーングラスの風習でね。異種には名前を与えられない。出生の儀式も行わない。
異形異種に名前を与えると、名前を与えたものが死神に取りつかれると信じられているんだよ」

「異形……異種?」

「混血のことさ。純血主義を目指す国らしい話さ。グリーングラスの血以外は認めたくないんだよ。グリーングラスの軍人でもあった母親は、生まれてきたもう一人を見て、さぞかし驚いたろうよ。
弟の方はね、耳がね、明らかにグリーングラスの者と違ったんだよ。
まっすぐで平べったい、あたしたちと同じ耳。つまり、グリーングラスからすれば異種異形だ。
一方で、こっちのレオはグリーングラスの耳を持って生まれた。
あの弟は命があるだけまだましさ。全くひどい迷信に基づいた風習だよ。

けれど、可哀そうなことに、この国で暮らすにはね、ハンナ、あんたのような耳を持つ方が普通じゃないと言われる。
しかも、憎むべき敵国の遺伝子だ。

だから、ボバリー家の狸親父は考えたんだよ。名無しの弟の方、自分たちと同じ容姿の、妻の遺伝子を持つ方のあの子の方をこの国で育てるために一計を案じた。
本物のレオ、グリーングラスの軍人の血を引く子供を地下深くに隠し、いなかったことにした。けれどやはり迷信を笑い飛ばす勇気はなかった。

だからグリーングラスから見れば異形異種の、あたしたちと同じ血を引く弟の方には名を付けないままにレオと通称で呼んでいる。
けれどあの子は、本当は誰でもない。

本物のこのレオはね、グリーングラスの人質みたいなもんだ。ずっと地下で暮らしてきた。可哀そうな話さ」

ハンナは、誕生会で見たレオの綺麗に撫でつけられた髪から出ていた平たい耳を思い出していた。ふと横を見ると、ママが真っ青な顔をしている。

「混血のハンナに名前を付けたせいで、あの人は死神に取りつかれたのでしょうか?」

「そんな迷信信じるんじゃないよ! 馬鹿ばかしい!」

「……レオの偽物」

ハンナはそう言うと、黙りこくってしまった。

指輪の偽物くらいなら、笑っていられるが、迷信を信じて人を偽物扱いするなんて。友達の偽物どころの話ではない。

忘れていた怒りの炎が再び心でうごめきだすのをハンナは感じ取っていた。

「あの子、弟の方はね、この国では名前が無いから指輪も無いんだよ。
だから最初からそれを知ってる父親が、大層な指輪を外国から取り寄せていたさ。

どうせ、自分と同じように「途中で石が割れて経験者になれませんでした」っていう顛末にするつもりなんだろうよ。精霊が作ったものでない宝石は、後で売ればいいだけの話だしね。

まったくあの狸親父は気に食わないね。この国で出回っている偽のリングの大半は、ボバリー家が国の外から買い集めた輸入品のトルマリンだ。
だから帯電する。あたしの目はごまかせないさ。
誕生会で幾つも風船が割れたのは自業自得だよ」

「パトラばあ様、レオのお母さんが軍人って……」

「ああ、こっからは子供のあんたにはちょっと刺激の強い話になるんだけどね。噂じゃボバリー伯爵の愛人だったという話でね。
この村じゃちょっと知れ渡っていた噂だ。

あんたの父親は、騙されて戦争に駆り出され、この国の北方のパンパスグラスの丘で死んだという話になってる。精霊の谷の隣にある丘だ。
グリーングラス連合軍の命令に従って、あんたの親父さんを呼びよせる手引きをしていたのは、ボバリー家と、そのレオの軍人の母さんだ。
ボバリー家は、その頃からグリーングラスに豊富な資金を送っていた。
グリーングラスからしたら大事な金づるさ。

この国は、今は何とか中立国になっているけれど、あんたらが来るちょっと前までまだこの辺はグリーングラスの領地だった。
あの丘は毎年精霊たちと秋の収穫を喜ぶ場所で、それは美しい場所だったんだ。けどね、そもそもあの丘で戦いがあった形跡なんかないんだよ。

けれど、グリーングラスが隠し通したい何かがあの丘には埋まっている。
どんなに探してもその物を見つけられなかった奴らは、とうとう、村に火を放ち、村のほとんどが燃え尽きた。

知っての通り、精霊と龍の水の力であたしたちは守られ、で、今もこうして生きている。
結局、奴らが見つけたかったモノは、いまだに見つかっていない。

この場所が今もこうして中立地帯でいられるのは、それが本当の理由さ。
あいつらにとっては、埋めたものは欲しくは無いが、何らかの理由で手放せない場所なんだよ。

《守り人》はね、本来、あの丘を守る者のことで、《経験者》たちは守り人と国のため、人々に知恵を与え、戦う者たちの総称だった。
けれど、今や形骸化しちまってるよ。
そして誰もあの場所に行こうとはしなくなった。それは何故か。あの場所に赴いたものたちは、何故か戻ってこられないからだ。唯一の帰還者がレオの母親さ。

今となっては何が埋まっていたかなんて分からないがね。
そのレオの本当の母親でさえこの子を産んですぐに亡くなっている。
自然死だったかどうかも怪しいもんだよ。

あの二卵性の双子はね、領地時代に、グリーングラスの医療技術でできた子だ。本来は、どちらの子も、苦難を乗り越えてこの世に奇跡的に生まれてきた喜ぶべき子供だったんだ。

ところが、生まれてみたら、うちひとりは、耳があたしらとは違うときた。そっからあの家の悲劇は始まったね。いや、貿易で成功して富を得るようになった頃から、あの家の悲劇はもう始まっていたのかもしれないね。

実際のところ本物のレオの母親は、その前から身ごもっていたのではないかという噂まであったんだがね。
隣国の王の飲み物に毒を入れる手引きをしたのはボバリー家で、そのおかげで小さな酒屋から大豪邸に住めるほどの貿易商になったって噂もある。

ともかく、生まれてからはこっちの兄の方、本物のレオは、誰にも知らされずにずっと地下の部屋でひとりきりで暮らしていたはずなんだ。
ボバリー夫人は、この兄の存在さえ知らないはずさ。グリーングラスの血の子が生れ落ちたと知れば、プライドの塊のようなあの夫人はきっと発狂して何をするかわからなかっただろうからね」

パトラは、そこまで一気に話すと、一息ついてお茶を啜った。

そしてすこし悲しそうに眉を寄せると、まだ眠っているレオの顔を見ながら言葉をつづけた。

「この前の誕生会は弟の方の儀式のはずだったんだけどね。その前日、弟の方から『お願いがある』と言われてね。

誕生日当日には、バースデーソングが聞こえたらすぐに玄関の前にいて欲しいって言うんだ。で、地下に連れて行かれて、この子に初めて会った。

大事に育てられた弟の方はね、直感的にこの子が身内だと分かっているようだったが、まさか兄だとは思っていないだろうね。

何せ、この子の方が、色も白く体も小さい。
ましてや、手引きして兄のもとへ連れて行った弟の方は自分に名前が無いなんて夢にも思っていない。
自分の名前が実は兄の名前で、自分に名前さえないなんて、夢にも思わないだろうさ。だから、この兄、本物のレオのために一生懸命だったよ。
この子に指輪を授けられないかと弟に言われた時は驚いたね。

まさかとは思ったがね。そのまさかだった。
その後に、弟の指輪の贈呈式もあるはずだったんだが。
知っての通り、あの騒ぎさ。

最初に部屋を真っ暗にしたのも、風船を割ったのも恐らくは姉の方だがね。あの子も弟に頼まれてやったことだろうし、あそこまでの騒ぎになるとは夢にも思わなかっただろうよ。

気の小さい娘が、今頃どんな気持ちでいるのか、可哀そうで考えたくないがね、あの子のやったことは、悪戯では済まされない。
多くの人がけがをした。過失とはいえ、れっきとした犯罪だ。

おそらく、もうあの娘の指輪に石はひとつも光ってやしないだろうよ。

騒ぎの後、誰もいなくなった屋敷でね、指輪の儀式をしようにも、指輪はもう兄のレオの指に光っちまった後さ。
そもそも弟には名前が無いってことなら、指輪は最初から光らないんだよ。

ボバリー男爵は、その事を予測して、最初っからずいぶんと立派な指輪を用意していたからね。
あたしは弟の方に、指輪は父親が持っている、とだけ伝えて帰って来た。
全く、可哀そうで見ていられなかったね。
その翌日には、あの弟はぴかぴかの指輪をしてるときた。幼い弟からすりゃあ、指輪は与えられたらオッケーくらいに思っているんだろうさ。

これから毎年あの指輪には、偽物のトリマリン石が光るんだろうよ。
あの家のすることは全く理解不能だ。
こっちは、翌日から新聞に《けが人を見捨てて儀式をした》って書かれるわ、追い掛け回されてえらい迷惑さ。

とにかくね、この兄の方は、感情というものに乏しい。ずっと微笑んでいてね。恨みや悲しみもない。純粋培養の見本みたいだよ。
けれど、初めて家族以外のものに出会った衝撃は大きかったのかもしれないね。外に対する関心を増幅させてしまったのかもしれない。

それにしても、この子、どうやってあの家を抜けだしたんだろうね……。
あの部屋のドアを開けられるのは、中にいる者以外、考えられないんだがね。あの家の全員が、誕生会の日から好奇の目で見張られているから、屋敷の外に出るのは相当難しかったはずなんだが……」

神妙な顔つきで聞いていたハンナの頭には、パトラがさらりと言った二つの事柄だけが重く残っていた。

パパは、この国の北側で死んだ。パンパスグラスの丘で。
パパを裏切った仲間が、このレオのお母さん……。

そして、もうひとつ大事なことがあった。あの風船を割ったのは、レオの姉、つまりニーナだ。
そうパトラは言った。

ハンナは今朝のことが頭に蘇り、苦々しい思いと、あのニーナの演技にまんまと騙された自分に腹が立ってしょうがなかった。

この子は、パパの仇の子だ。
そして、あの姉も嘘つきだ。

ハンナは、誕生会で出会った時のレオの両親や偽物のレオの態度や、今目の前ですやすやと眠っている目の前の本物のレオや、嘘で自分を傷つけた姉のニーナを含め、ボバリー家すべての人々に不快感が込み上げてきた。

「ハンナ、ひとつだけ言っておく。あんたは、何の罪もないのに、訳も分からず二つの国から疎まれている。その子も……あんたと同じだ」

パトラの言葉にはっとして、目線を移すと、心配そうに視線を投げかけているママの姿にハンナは気が付いた。
どうやら、ハンナは知らぬ間にレオのことを睨みつけていたようだ。

ニーナのことは許せない。
けれど、確かに、この子が何かをした訳ではない……。

分かっているのだけれど、この思いはどうすればいいのだろうと、ハンナは自分の中の怒りと折り合いをつけることがどうしてもできなかった。
その様子に鼻を鳴らしながら、パトラは話を続ける。

「それとね、さっきも言ったが、あんたの父親は、パンパスグラスの丘に《何か》を埋めている。
精霊たちの話では、何かとても不吉なものだと言っていた。それを埋めてからあの丘のパンパスグラスは色が変わってしまった。あの国の人々は、皆、消えてしまった。
五年程前からは、村人が血の色だと言って怖がって誰も近づかなくなって、祭りの舞台も村の時計台前に変わった。
あんたにここまで話をするのはね、あんたがその子と繋がっているからだ。
なんか理由があるはずだ。それが何かは分からないがね」

ハンナは、ずっと無言で俯いて話を聞いていたのだが、その言葉に顔をあげた。

「ママ、パトラばあ様……パパが戦った場所へ行きたい。どうしても、見てみたい……」

「ハンナ!」
ハンナのママが悲壮な声を上げた。

「パンパスグラスの丘へ行きたいというのかい? 精霊の谷へ? いったい何のために? 
一度足を踏み入れたらもう戻ってこれないっていうあたしの今の話、聞いてたのかい?」

パトラばあ様が、右側の眉毛だけを吊り上げ、上目遣いにぎろりとハンナを見つめている。

「やめて頂戴」
ハンナのママが小声で言ったようだった。

……何のために?

ハンナには、その答えは無かった。
けれど直感的に行かなければと、頭の中で何かが囁くように聞こえている。

多分、自分はその場所に立っていたはずだ。
あれが夢でなければ……。

ハンナは二人からの許可を待っていた。そもそも許可などあっても無くても行くつもりだった。パトラは思いふけるように一点を見つめている。
しばらくの沈黙の後、か細い声で、同じセリフがもう一度発せられた。

「パンパスグラス……に、行きたい」

その声は、ステンドグラスの窓の下からかすかに聞こえていた。
眠っていたはずの子が、ゆっくりとブランケットから頭をもたげ、上半身を持ち上げようとしている。

その小さな子、本物のレオは怯えるような、それでいて決意のこもった鋭い目をハンナの方へと真っ直ぐに向けていた。

パトラは、今度は驚きすぎて声を失っている。

こんなに早く目覚めたことに驚いているのか、その子がパンパスグラスの丘に関心を示していることに驚いているのか、はたまたその丘の名前を知っていたことに驚いているのか、ハンナには判らなかった。

(第二十四幕へつづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?