凡人は短距離走に向いてない
まず最初に言っておきますが、この文章は陸上競技の話ではありません。
短距離走というのはあくまでも比喩で、短期間に高負荷な努力を実行して何らかの成果を上げることを指しています。
そして凡人というのも世間の人々を指しているというよりは、「凡人たる筆者」の話です。
似たような人がいくらかは世の中にいるだろうと思って書いていますが、自分は違うと思ったら「そういう人もいるんだな」くらいの気持ちでお読みください。
ここで言う短距離走というのは、例えば三週間猛勉強してTOEICの点数を上げるとか、三ヶ月で体重を十キロ落とすとか、そういう感じの取り組みのことです。
凡人が短距離走に不向きだと考えている理由はいくつかありますが、今回は目標達成に失敗してそのまま諦めてしまうということについて述べていきたいと思います。
短距離走が向かない理由
一言で言えば、ゴールに到達する前に息切れして走れなくなるからです。
根拠についてはこの後にも色々と認識すべき凡人の特性について述べますが、凡人は見積もりが壊滅的に下手くそだからです。
そのため、「このくらいの期間で、このくらいのことを頑張れば、このくらいのことができる(あるいはできるようになる)」という目論見が大体外れます。
見積もりが外れた時に気にせずまたチャレンジできるのであれば問題ないのですが、凡人は見積もりがいい加減なくせにダメージに弱いので、そこで挫折して終わってしまったりするわけです(そしてダメージをモロに受けるのは、自分の下手くそな見積もりが当たることを期待してしまうからです)。
そして、凡人の地に足のついた努力は、こういった自分の残念な特性を認めることから始まるのです。
ではここからは、短距離走が向いてないということに納得するために認識しておくとよい、凡人の特性について述べていきたいと思います。
ただ最初にも書きましたが、ここで言う凡人とは基本的に筆者のことです。
凡人と言う表現を使うのは、この表現が正確な自己認識に有効だと思っているからです。
世の中の人が皆こうであるとは全く思っていませんのであしからず。
さて本題ですが、凡人が自覚すべき下手くそアビリティは以下の三つだと考えています。(もちろん凡人が下手なことは他にもたくさんあります)
・適切なゴールの設定
・負荷の設定
・自己観測
内容的にやや重複している部分もありますが、順に具体例を交えながら見ていきましょう。
ゴールポストが上手に立てられない
何らかの成果を上げたいと考えた時、それがどのくらいの期間で達成できるかを考えると思います。
目標設定ではこの「いつまでに」と「どのくらいの成果」という二つの要因をバランス良く設定する必要があるわけですが、凡人はそのバランス感覚が絶望的にありません。ガッタガタです。
まあ「一日で英単語10000個覚える」が無理だということが分かる程度のバランス感覚はあるでしょうが、「このくらいはできるだろう」と思ったことが八割くらい外れる程度にはバランス感覚が悪いです。
また、凡人は成果に対する期待値が不合理に大きくなりがちです。
ある程度楽観的でないと目標計画を実行に移せないからかもしれません。
「このくらいの時間をかけるなら、このくらいの成果が上がらないとやってられない」というわけですね。
しかし、人間の体や頭はそんな凡人の勝手な都合など配慮してくれるわけがありません。
思った通りの成果が出るようにいい感じの速度で成長してくれたりなんてしません。他人の評価が必要な目標ならなおさらですね。
つまり、「計画を実行に移すために必要な楽観性」を持つと、今度は楽観的すぎて現実的な目標を立てることができなくなるということです。
程よい楽観性を持てば良い?凡人にそんな器用なことはできません。
そもそもその「程よい」がわからないのです。
そんなわけで、凡人は現実的な目標設定が下手くそなのです。
また、これに関連して「適切な負荷の設定」も下手だという話もしておきましょう。
凡人は思っているほど頑張れない
何らかの目標を立てて達成しようとする場合、普通は以下のような順序を踏むと思います。
1. 目標を設定
2. その目標を達成するために計画を立てる
3. 計画を実行に移す
この計画を実行する段階では、日々何らかのタスクをこなしていくことになるでしょう。
ダイエットであれば運動や食事・体重の記録、勉強であればテキストや単語帳を一定量こなす、などのタスクが考えられます。
ここで注意すべきなのは、「はたして自分は一日にどれだけ頑張れるか」ということです。
どれだけの負荷の運動を何分できるか、テキストを何ページこなせるか、単語をいくつ覚えられるか、ということですね。
この一日あたりの負荷を適切に設定するのが凡人は『ど下手』です。
思ってるより三倍ぐらいは下手くそです。
「このくらいなら頑張れそう」という自分の忍耐力に対する評価が過大評価になりがちということもありますが、そもそも設定のやり方がまずい場合も多いです。
よくやってしまうのが、一日もやってないくせに目標達成の具体的基準と期日を決めて、そこから逆算して一日あたりのタスクを決めてしまうことです。
これは実際にやっていると理にかなっているような気がしてしまいますが、そもそもその目標設定が妥当であるかもわからないのですから、それを根拠に日々のタスク量を設定するのはほとんど当てずっぽうと言ってもよいくらいにテキトーです。
この場合、自分の成長率を見誤った目標設定から導かれた、自分の忍耐力を見誤ったタスク設定を実行しようとする、という二重にどうしようもない計画に取り組むことになるわけです。地獄。
「理想の姿」とやらをもとに、具体的なタスクをブレイクダウンで導き出す、という計画の立て方は王道のように思えますが、この方法は凡人の「頑張れなさ」を一切考慮していないのです。
なるほど、完璧な作戦っスねーーっ
不可能だという点に目をつぶればよぉ~~
(ジョジョの奇妙な冒険 Part4 ダイヤモンドは砕けない)
人が一日にできること、というか人間の体力には当然限界があります。
その事実から日々のタスクを考えて、その結果としていつまでにどのくらいの成果が上げられそうか考えるほうが、実行可能性を考えるとより理にかなっているのではないでしょうか。
つまり、トップダウンではなくボトムアップに考えた計画のほうがマシではないかということです。
とはいえ、このやり方をしたとしても先程述べたように「このくらいの期間かければこのくらいの成果が上がるだろう」という見積もりが下手なのは変わりないので、結果的には目標が達成できる可能性はあまり高くないかもしれません。
いずれにせよ「自分は自分の理想に基づいて立てた計画に耐えられる程の忍耐を持っていない」ということは割とよくある、ということは覚えておいて良いと思います。
更に自分の忍耐力を見誤りやすいことと関連して、自己観測の下手さについても触れておきたいと思います。
自分のことが正確に見られない
自分を過大評価したり、過小評価したり、過小評価するふりをして過大評価したりするなんてことが凡人にはよくあります。
つまり、ちょうどよい自己評価が苦手なのです。
ダニング=クルーガー効果などが有名ですが、自身に対する評価と実力が近い位置にある人は少数派です。
それも、ある程度の実力を身に着けた人がほとんどのように思われます。
なので、まだ何かを始めようと思っているだけの凡人が、自身の実力を正確に観測することなどまず無理、ということが予想されます。
モチベーション維持に自己の成長や成果の途中経過を用いようとする場合、これは問題になります。
例えば一ヶ月英語を勉強した時、このくらいの文章が読めるようになるだろう、という予想はたいてい外れます。
目標を高く設定しすぎることが原因の一つですが、もう一つの原因として「自分はこれだけやればこのくらいはできるようになるはず」という自分の成長率に対する見立てが間違っているのです。
凡人とは才能のない固有の存在です。
やりたいことがすぐにできるようになる才能を持っていない凡夫です。
その上で、一般的に知られているテクニックをそのままやってもその人と同じ効果が得られない、なんてことも割とあります。
なので、たとえ他人に効果があったとしても、自分も同じ成長率で成長していけると信じ込むべきではありません。
更に、仮にある程度の成長や成果があったとしても、それを正しく観測することができるとは限りません。
例えばダイエットをしているときのことを考えてみましょう。
腰の上にある浮き輪型のぜい肉が気になっていたとして、食事制限や運動によって多少体の脂肪が落とせたとします。
しかしその時、脂肪が体のラインを変化させないように均一に減っていた場合、腰の上の出っ張りは一切変化していないように見えたりするのです。
そしてこういう時に腰上の出っ張りぜい肉だけを見てしまうのが凡人なのです。
体重や体脂肪率、あるいはへそ上の腹囲は変化しているかもしれませんが、自分が望む直接的な成果が目に見えないからもう無理、なんてことになりがちなのです。
(本当はただしんどいからやめたいだけで、それを「成果が実感できないから」という理由にすり替えているだけ、なんてこともよくありますが)
体脂肪だけでなく、目に見えない外国語やら数学やらの能力についても同様に、短期間の変化を正しく観測することができる保証などないのです。
なので、自分の成長や成果を観測してモチベーションを維持しようとしてもうまくいかないことはよくあります。
高負荷のタスクを日々こなして短期間で成果を上げるためには、細やかで正確な進捗の管理が必要かと思われますが、それが凡人には難しいのです。
当たり前といえば当たり前ですね。
凡人は練習したことしか出来ませんから。
練習したことがない以上、凡人は自分を正確に観測できないのです。
以上の三つの下手くそスキルがあるために、凡人に短距離走は難しいのではないかと思われます。
(まあ実際は短距離走が下手くそであるという事実からこれらの原因を考えたのですが)
では何なら向いているのか
才能ある人間と比べて、凡人が他人に誇れるような「これが向いてる」「これが得意だ」と言えるものはないと思っていたほうが良いでしょう。
当然ですね、凡人ですから。
なので、「別に才能ある人間もやろうと思えばできる方法だけど、凡人にはこれしかできないのでこれをやる」みたな方法をとることになります。
できることをするしかない、という身も蓋もない結論です。
選択の余地とは強者の特権であり、凡人には無縁な話です。つらい。
とはいえ、できることが何もないと思い込むよりはよほど建設的でしょう。
ここでは先程軽く触れた、ボトムアップ的なアプローチを試みることについて述べていきます。
つまり「目標計画からやるべきタスクを作るのではなく、できるタスクから計画を積み上げる」という方法です。
この方法の最大の特徴は始めるときに計画の終わりが見えないことです。
トップダウン的な方法は最初に成功の定義・日程などの具体的な目標が決まっているわけですが、ボトムアップ的な方法では最終的にいつまでにどのくらいの成果を上げられるかはっきり決まっていません。
最初に見えるのは「とりあえずこれだけの期間、自分に続けられそうなことを続けてみよう」くらいの行動目標くらいです。
最初の段階では、成果目標は基本的に設定しません。
なぜなら、これまでに述べた理由から分かるように、自分がいつまでにどのくらいのことができるようになるかを見積もるのが凡人は下手なことがわかっているからです。
当たる目算の低い期待は害になることのほうが多いです。
「予測はしても期待はしない」ということができればよいのですが、凡人にそんな器用なことはなかなかできません。
なので、一番最初にいつどのように計画を終わらせるかはっきりさせないまま始めてしまいましょう。
また、「成果が実感できないと続かないのでは?」と思うかもしれませんが、私の考えは逆です。
成果の実感がないと続かないような負荷のタスクなど、凡人には継続できないのです。
凡人が自分で実感できるほどの成長を維持できるわけがないのですから。
「成長の実感」というブーストがなくても、平常心で続けられることこそが凡人に継続できることなのです。
じれったく感じるかもしれませんが、それは自己評価が不当に高いせいだと肝に銘じておきましょう。
というわけで凡人に何ができそうかというと、「いつ終わるかわからない状態でも続けられる程度のペースで、落とし所に到達するまで長距離走をやる」ということになるかと思います。
終わりが見えないって地獄では?
確かにそうかも知れません。
終わりの見えない仕事というのは辛いものです。
しかし凡人が(もしかしたら才能ある人間も)目標を達成しようとした時、計画通りに事をすすめるというのが非常に難しいというのは割と間違いのないことだと思うのです。
これは先程も述べたように、実現可能性が高そうな長期的計画は実行する気力がわきにくく、実行する気が多少起きるであろう短期集中型の目標計画は頓挫する可能性が高いという、「あちらを立てればこちらが立たず」的な問題があるからです。
目標計画はしっかり立てるがその目標が達成されなくても気にしない、なんてことができればよいのでしょうが、それもまた難しいと思います。
凡人は手間をかけるとどうしても期待してしまうので。
であれば、最初に決めるのは大まかな方向性だけにしておいて、具体的な目標達成計画は実際にやってみながら立てていくというのが、割と現実的なのではないでしょうか。
大きな方向性さえ見失わないようにして、やめない程度に自分をなだめすかして行動を継続していれば、いつかは自分の落とし所が見えてくるのではないかと思うのです。
まとめ
長々と書きましたが、要するに「凡人は短距離走向いてないから、落とし所に到達するまで時間をかけてゆっくり走ろう」ということです。
時間的制限が外的要因によって設けられている場合はもう頑張るしかないのかもしれませんが、自分が自発的に立てた目標に向かって行動しようと思った時は、こういうやり方がかえって早く目標に近づけるのではないかと。
より具体的な方法として習慣を作ろうとか、長距離走という考え方の様々な利点とか、そういうことについてもいずれ書きたいと思っています。
では、またいずれ。