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「できない」との付き合い方

当然のことですが、人にはできることとできないことがあります。
そして普段はあまり自覚しませんが、凡人はできないことが多いです。
それ自体は普通なのですが、「できない」に正面から出くわした時、自分にがっかりしてしまうことが結構あります。
そしてその「がっかり」によって挫折する、なんてこともよくあるのです。

筆者の記事をいくつか読んでくださった方はわかるかもしれませんが、何かを成し遂げるために筆者が最も重視しているのは「やめないこと」です。
というわけで今回は、「できない」とうまく付き合うことで挫折を防ぐ方法について考えてみたいと思います。

なぜがっかりしてしまうのか

まず「がっかり」とは何かという話ですが、思ったよりもできなかった、ということにショックを受けることだと思います。
つまり、「がっかり」は「期待と現実のギャップ」によって起こるのです。

最初から「このくらいだよね」と思ってその通りであれば、できることが、あるいはできないことが何であれ、さほどダメージは受けないでしょう。
「このくらいできるだろう」が裏切られるからダメージを受けるのです。

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なので、自分はこのくらいできるはず、あるいはできて欲しいと言う期待があるということになります。
そしてこの「期待」がどこから来るのかですが、同じことや似たようなことができる人間が既にいる、というパターンが多いです。
似たジャンルの何か既にできるから、という場合もありますね。
(まあ完全に無根拠な場合もありますが)

つまり、自分以外のできる人がいる、あるいは似たようなことができるのだから「これくらいできるだろう」という期待を持っているわけです。
自分と同じくらいの体格の人がスポーツを楽しんでいるから、同じ学校を出た誰かが資格をとったから、自分と同じ年齢から新しいことを始めて結果を残した人がいるから。
そういった理由で「自分でもいけるのでは?」とか考えるわけです。
これは無意識的にもよく起こる流れの思考だと思います。
(逆に「同年齢なのに自分は何もできない」と落ち込む場合もありますが)

凡人は期待が下手

ではなぜ「できない」と出くわした瞬間に「がっかり」によるダメージが発生してしまうのか。
一言で言えば「期待」が下手くそだからです。
「がっかり」は「期待」と「現実」のギャップによるものだと先程述べましたが、この「期待」が現実と乖離しすぎているのです。

この乖離の原因は色々とありますが、まず先程触れたような根拠が根拠になってない、ということが原因としてあります。
前述の「できる人がいるから私もできるだろう」といった考え方は、根拠として成立しているような気がするが実は全く成立していません。

鳥ならみんな飛べるはずである、と考えるようなものです。
ペンギンとかキウイとかダチョウに謝ったほうがいいです。
生物学上の分類が同じだからといって、あるいは民族が同じだからといって、あるいは性別が同じだからといって、あるいは年齢が同じだからといって、同じことができると言うことの根拠にはなりません。

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こんな当たり前のことも、筆者のような凡人は簡単に忘れてしまいます。
そして「自分にもできるはず」という見当違いな期待を持ち、そしてそれが大きく裏切られることによってショックを受けるのです。

期待を持つことで、ネガティブではなくポジティブなモチベーションを得ることができるのであれば別に持っていても良いと思います。
多少失敗しても「自分にもできるはず!」と信じ続けることで持続的な努力ができるなら、それはそれで良いことです。

ですが、「できるはず」という期待を持って失敗した瞬間は、どうしても期待が裏切られたことになるわけです。
何の対策もしていないと、凡人はそういう時「できるはず」という期待を早々に投げ捨ててしまうのです。
また期待が裏切られることを恐れるからです。

大いなる使命感とか信念とか情熱とか、そういうものを持って取り組めるのであればそんなことは無いのでしょうが、凡人にはそんなものありません。
挫折せずに何かを続けるためには、「がっかり」の最大ダメージを真正面から全て受け止めずにやり過ごす方法を考える必要があります。

期待の下手さを自覚する

ではどのように「がっかり」のダメージをやり過ごせば良いでしょう。
「期待」と「現実」のギャップをどうにか縮めてダメージ量を減らしたいところですが、凡人に「現実」はそう簡単に変えられません。
なので「期待」の方をなんとかしよう、ということになります。

まずは、自分の期待がそもそも的外れなものであると言うことを自覚することが一歩目だと思います。
「がっかり」した時には「そもそもこれができるという見積もりが誤りだった」ということを認めるのです。

世の中に同じことができる人間がいる、ということは自分ができることの根拠にはなりません。
基本的に実際にやるまでは「自分ができるかどうか」は分からないと思っておいたほうが良いと思います。

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また、以前の記事にも書きましたが、凡人は見積もりや自己観測が壊滅的に下手くそです。
このくらいはできるだろう、と思ったことが大体できません。
その自覚をもつことが「期待」を妥当なものに近づける第一歩であり、  「がっかり」のダメージを軽減する助けにもなるのです。

そして、何事も取り組み続ければ次の「このくらいはできるだろう」がより妥当なものになっていくはずです。
最初の「できない」ショックを乗り越えて焦らず続けていけば、いつかできないことに出くわしても大きなダメージを受けずに済むようになるかもしれません。

期待の使い方

期待が下手なら、私たちは自分自身に対して何も期待しないでいるべきなのでしょうか。
そうではありません。

自分に何も期待できないのであれば、私たちは何もできなくなります。
勉強も練習もできません。
期待とは、大事な行動の原動力の一つなのです。

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重要なのは、今と未来の期待を一緒にしないことです。
『今』やりたいことが『今』全てできることは期待すべきではありません。
『今』できると思ったことができなかったとしても、『永久に』できないと勘違いしてはいけません。
『今』できないことがあったとしても、それは『いつか』できるようになるかもしれないという希望を持つべきなのです。

何かを目指して行動を続けるためには、『いつか』という期待を諦めないことがどうしても必要だと思います。

まとめ

今回は「できない」に出くわした時の「がっかり」に対応する方法について書いてみました。
基本的には「がっかり」は「期待」と「現実」のギャップによるものなので、期待が妥当でないことを自覚して、ダメージの軽減と期待の妥当化を図ろう、という感じです。

凡人は「できない」が非常に多いので、なにかに挑戦すれば当然のように「できない」に出くわします。
これはもう、どうしようもない位にどうしようもないです。

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しかし、「できない」に出くわしたということは、「何かやろうとした」ということです。
そして「できない」を知ることは、自分の「できる」を見つけるためにどうしても必要なことです。

凡人が何かを目指して行動するのであれば、「できない」との付き合い方を考えておく、ということは有用なことではないでしょうか。
なにせ、長い付き合いになりますからね。

では、またいずれ。

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