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絵に描いた餅を破り捨てる
目標に向かって進むなら、できるだけ最短距離を進みたいものです。
そのために本を読み、ネットの記事を漁り、ツイッターの有識者っぽいアカウントをフォローして、効率の良い方法を探すわけです。
しかし、効率の良いやり方がいつも実行できるとは限りません。
特に筆者のような凡人は体力も忍耐力もないので、一番効率の良い方法を継続的にできることは非常に稀です。
それでも「最短距離で攻略したい」という考えはなかなか消えてくれないものです。
というわけで今回は、できもしない方法に執着するのはやめようという話について書いていこうと思います。
「一番良い方法で頼む」「無理です」
筆者は、世に知られている効率の良い方法というものは、八割くらいは実行できないと思っておいたほうが良いと考えています。
なぜなら、その効率の良い方法を書いた人は、あなたが実行できるかどうかなんて気にしてないからです。
これは自分で思いついた方法に関しても割とそうだったります。
根拠があるにせよ無いにせよ、効率が良い方法というものは「効率が良いこと」を追求した結果得られた方法なので、基本的にしんどいです。
(全くしんどくなさそうな場合は根拠を疑ったほうが良いです)
そして、そのしんどさにあなたが耐えられるとは限りません。
というか割と多数の人が耐えられないと思います。
「これならできる!」みたいに銘打った比較的楽そうな方法があったとしても、「あなたができる」ことは誰も保証してくれません。
当然ですね。それを書いた人は、あなたのことなんて知りもしませんから。
そして、「効率が良い」とは「成果が出るのが早い」ということなので、成果が出るまで継続するからこそ意味のあるものなのです。
継続的に実行できないのであれば、そんな「最善の策」に執着する意味はあまり無いのではないでしょうか。
そもそも、それがあなたにとって本当に効率が良いかなんてことも、実際のところはやってみるまでわかりません。
できもしない効率が良いと「言われている」方法に執着しても、何も進まないのです。
というわけで、絵に描いた餅はさっさと破り捨てましょう。
どれだけ美味しそうに見えても、そんなもので腹はふくれません。
できない最善よりできる次善
では何をすべきか。
できるかどうかを基準にやることを考えましょう。
効率は二の次、三の次で良いです。(否応なしにそうなると思いますが)
重要なのは継続的に実行できることです。
『独学大全』の「英語(外国語)独学の骨法」にロンブ・カトーという多数の外国語を独学で身につけた女性の話があるのですが、そこにあるように「最善」であることよりも「持続可能」であることを重視すべきなのです。
ロンブから学ぶべき最初の点は、彼女のとった方法が第二言語の学習法として必ずしも最善なものでないことだ。
[中略]
それでも、結果として通訳者として食えるだけの実力を身に付け成果を上げたのは、彼女の方法が最善であったというより、彼女にとって持続可能であったためだ。
(独学大全 P697)
ちなみに章題には「次善」と書きましたが、実際は次々々々々々善の策くらいから着手することになると思います。
「知っている」と「できる」の間には越えられない壁が五枚くらい立っていますし、自分の「できる」範囲も大抵正確に把握できてないからです。
とりあえず「このくらいならできるかな」と考えていることの二歩くらい手前から始めてみましょう。
最初の「このくらいなら」という見積もりは大体外れるからです。
毎朝のジョギング三キロならいけそうと思ったら、毎朝一キロ散歩するところから始めましょう。
一日三十分勉強ならできるかな、と思ったら一日五分テキストを眺めるところから始めましょう。
このようにして、まず自分の「できる」を実際にやりながら確認します。
できたらそれを習慣になるまで続けましょう。
できなかったら、もう二歩手前にいってみましょう。
最初は効果がありそうかどうかではなく、自分ができることを知るのが大事です。
そこからじわじわと「当たり前」レベルを上げていくことを目指しましょう。
まとめ
人間、できないことはできません。
どれだけ魅力的に見えたとしても、継続的にできないのであれば、少なくとも今のあなたにとってはあまり意味がないのです。
まあいつかできるようになった時には役立つかもしれませんが、とりあえず今は一旦置いときましょう。
成果に近づくにはたいていの場合、継続的行動が必要です。
そして継続的行動の計画は、実行者である自分自身の「できること」に基づいて作られるべきです。
じゃないと計画が遂行できないからです。
最初は自分の「できること」のショボさにがっかりしたり、効果があまり上がらないことにじれったく感じるかもしれません。
ですが、そこで焦って負荷を上げて継続できなくなっては本末転倒です。
この辺の焦りに対する気の持ちようとか、より詳細な習慣の作り方については、また別の機会に書きたいと思います。
では、またいずれ。