「成長の実感」は本当にモチベーション維持に役立つのか
一般的なモチベーション論では成長や成果を定期的に確認することが、物事の継続に有効であるように言われています。
目標が理想の体型にせよ資格の取得にせよ、自分は以前よりも目標の状態に近づいているという感覚は、確かに継続的行動を持続させるモチベーションとなるでしょう。
しかし、そもそも成長の実感を得ることは意外と難しかったりするのです。
そのため、成長の実感によるモチベーションの維持という方法は、いつでも誰にでも効果のある方法ではないと思うのです。
筆者は「成長の実感で頑張る」法には重大な欠陥があると思っています。
それは「誰もが期待通りに成長できる」「誰もが成長を自分で観測できる」という二つの楽観的すぎる前提に基づいていることです。
ここからは、以下の三つのありがちな失敗から「成長の実感によるモチベーションの維持」が割と挫折しやすいのではないか、という話を書いていきたいと思います。
1. 成長に対する期待が過剰である
2. 成長の指標が間違っている
3. 成長の精確な観測ができない
1. 成長に対する期待が過剰である
基本的に、成長に対する期待は過剰になりがちです。
理由はいくつかあります。
まず先日の記事にも書いたように、自分の素養の無さに気づいていないということが考えられます。凡人にはありがちですね。
またこちらも以前触れましたが、楽観的でないとそもそも行動を起こせなくなってしまう、という理由から過度な楽観視に陥っている場合もあります。
しかし個人的には、一番問題になりやすいのは、成果が現れるまでの機序に「人体」という非常に厄介な要素が挟まっていることだと思います。
努力によって成果を得ようとする時、人は自分自身が何らかの形で変わることを期待しています。
例えば筋肉質な体が欲しい、楽器の演奏がうまくなりたい、といった目標を考えてみましょう。
この場合、ある部位の筋肉を増強する、所定の動作が上手になる、といった何らかの身体的な変化を必要とするでしょう。
知的技能についても同様です。脳はあくまで身体の一部ですから。
こういった身体的な変化は、「これだけやればこれだけ変わる」というものが安定して現れるものではありません。
先人たちの経験談や統計は参考になるでしょうが、あくまで参考です。
誰もがその通りの道筋を辿るとは限らないのです。
同じことをしても全く成果が現れないことだって、無いとは言えません。
(こういう「同じことをやれば同じ成果が出る」という思い込みについても、いずれ書きたいと思います)
また、成果が上がるとしても期待したほど早くない、ということも非常によくあることです。
「才能のない固有の存在」である凡人は、統計の中でも成長がかなり遅い部類に入るのが当たり前だと思っておいたほうが良いでしょう。
そもそも人体の反応は基本的に遅いのです。
あまりにレスポンスの良い機械に慣れてしまった私達は、自分の体の成長に必要な時間の感覚から大きくズレてしまっているのかもしれません。
しかし筋肉の超回復は一時間では終わりませんし、何らかの情報や身体動作に関する記憶が整理されるには睡眠が必要です。
人間の体が変化するのに必要な時間を意識しなければ、期待した成果がなかなか現れないことにイライラする羽目になります。
見つめる鍋は煮えません。
直接的な成果を今か今かと待ち続けるのは、疲れる割にあまり実入りがないのかもしれません。
ここからは更に「そもそも間違った鍋を覗いているかもしれない」ということについて触れていきましょう。
2. 成長の指標が間違っている
これは目標に近づいているかを調べるための指標の設定が適切でない場合のことを指します。
マラソンでゴールに近づいているか知りたい時に、現在の自分の海抜高度や心拍数を調べてもあまり意味がありません。
当たり前だと思うかもしれませんが、こういうことも無いとは言えないのです。
例えば体型を良くしたい場合、「体重が減少しているかどうか」という指標は途中までしか役に立たないと思います。
食事制限と運動によってある程度筋肉量が増えた場合、体型が良くなっても体重が減らない、ということがあり得るからです。
このような「最初は」割と有効な指標にだけ注目していると、その指標だけがずっと有効だと思いこんだりしてしまうので、簡単に停滞期に陥ります。
(実際には停滞していなかったりするのですが)
絵が描けるようになりたい、文章が書けるようになりたい、といった目標の場合でも同様です。
最初は例えば「一定時間でどれだけアウトプットできるか」という指標を設定することがあるかもしれませんが、ある程度のところで頭打ちになるでしょう。
最初は使えても最後まで使える指標というのはあまりありませんし、逆にある程度成長してからでないと使えない指標もあるでしょう。
適切な時に適切な指標を設定していなければ、成長の実感はなかなか得られません。
そして仮に指標の設定が適切であったとしても、自分の成長を精確に観測できるとは限らないのです。
3. 成長の精確な観測ができない
自分がどれだけ成長しているかを実感するには、定期的に何らかの効果測定を行う必要があります。
例えば毎日同じ時間に体重や体脂肪率を測ったり、問題集の模擬試験をやったり、英文を読む速度を測ってみたり、といった感じですね。
こういった「効果測定」が、常に指標としている対象を精確に観測できるとは限らないのではないか、という話です。
例えば私の知る限りですが、家庭用の体組成計ではあまり精確な体脂肪の測定はできないと思っています。
(高価なものはできるのかもしれませんが)
他にも模擬試験は問題の難易度や傾向が常に完全に均一であるとは限りませんし、英文も読解力には関係ない内容による影響が否定できません。
英文や試験問題が上手に選別できるのであれば大丈夫なのかもしれませんが、それはそれ自体が非常に高度なことです。
効果測定だけでも、精確に行うには技能が必要だと思うのです。
このように常に精確な効果測定ができるとは限らない以上、常に「成長している!」という実感が得られるとは限りません。
それどころか、測定したい指標とは関係無いものの影響によって測定結果が悪かった場合、逆にモチベーションの低下をもたらす可能性すらあります。
「あんなに頑張ったのに無駄だった」となってしまうわけです。
効果測定は自分の継続的行動の方針が間違っていないか知るには有用ですし、全くやるべきではない、というわけではありません。
ですがモチベーションの唯一の拠り所、といった使い方はすべきではないと思います。
効果測定の結果に毎回一喜一憂するのではなく、複数回の測定結果から「今のやり方は筋がよさそうか」を読み取るのが良さそうな気がします。
では何を見ればよいのか
ここまで「成長の実感を安定的に得るのは意外と難しい」ということについて述べてきました。
では何を日々の頑張りの支えとすればよいのでしょうか。
なにか一つのものを支えとするのはリスクが高いのでおすすめしませんが、ここでは成長の「手前の部分」に焦点を当てることを提案してみます。
つまり、「行動による成長」ではなく「行動そのもの」を見ることを考えるのです。
多少慣れてくると忘れがちですが、継続的行動はそれが続いているだけで成果と見なしても良いことだと思うのです。
それだけでも習慣として定着するまでは、かなり大変なことですし。
そして、この「行動そのものを成果扱いする」という方法には大きなメリットがあります。
それは「成果」が圧倒的に安定しやすいということです。
「行動による成長」を期待する場合、「行動」によって自分自身に何らかの変化が起こり、その結果として「成長」が表れる必要があります。
そして先程述べたように、「人体」が「行動」と「成長」の間に挟まっているために最終結果の「成長」が現れるかどうかは非常に不安定です。
しかし「行動」を成果とみなすのであれば、行動した時点で「成功」です。
つまり「成功」という努力に対する報酬が、よりコントロールしやすいということです。
これはモチベーション維持も安定させやすい、ということを意味します。
先日の記事にも書いたように、筆者は目標達成には継続が非常に重要(というかそれしかない)だと考えています。
そのためには、モチベーション維持のための「成果」を安定させることが非常に有効だと思うのです。
まとめ
新しいことを始めたばかりのころは、割と成長が実感しやすいものです。
ダイエットの初期は体重が落ちやすいですし、何事も初心者であれば練習による上達は短期間で起こります。
しかしそのせいで「成長」ばかりに注目して、それだけをモチベーションの支えとしていると、前述のような原因によって「成長」が実感できなくなった時、簡単に挫折してしまいます。
努力とは種を植えて水をまくことです。
しばらく芽が出ず、変化が目に見えないこともあるでしょう。
しかしだからといって、水やりをやめてしまえば芽は出ません。
そういう時は、「自分はきちんと水やりをしている」ということを認識し、それ自体を成果として考えてみましょう。
自分自身に対する約束を果たすだけでも、喜びは感じられるものです。
では、またいずれ。