金曜 #8 小説

魚編の漢字って多すぎません?これ普通に魚より種類多い可能性ありますよね。
どうも金曜担当です。日曜の担当が小説書いてるんですよね、知ってました?実は楽しみにしているんですけれど、最近更新がなくて寂しいですね。
ということで今週は小説を書きます。もともと趣味で小説を書いていたので、彼のを読んで自分の創作欲が刺激されました。久々なので多少の不出来はご容赦を。

途中下車

チンッ、と小気味の良い到着音が7階で鳴った。
午前十時の社ビルのエレベーターの往来は比較的落ち着いており、重役出勤をした私を乗せるのみだった。私の行き先である47階の専務室に到着したにしては早すぎる停車に私は身だしなみを整えた。この階から乗り込むような社員の立場が私より高いはずもないが、手本となる立場の私がだらしのない立ち居振る舞いや服装はできない。そう思い、背広のしわを伸ばす。
乗り込んできたのは、私と同じ年齢の男性社員だった。彼のスーツは私の物よりも生地が薄く、袖にはしわが寄っていた。
「おはようございます、大林専務。」
そう言った上田の顔には笑みが浮かんでいた。整った台詞とは相反するその表情に私は少しおかしさを感じ、彼に言う。
「かしこまるのはやめてくれよ。今じゃ数の少ない同期なんだから。」
「そうもいかないですよ、他の社員が見てるかもしれないですし。」
上田は出会ったときよりも少し肥えているようにみえた。私の記憶の中の一番新しい彼はもう少しやせていた気がした、しかし10年の空白にしては変化の少ない方だろうと同時に思った。
「何階に行くんだ?」
「38階です、野暮用がありまして。」
上田が目的の階のボタンを押したのと同時にエレベーターの扉が閉まった。
「勘弁してくれ、エレベーターの中じゃ社員の目なんてあるはずもない。」
私はそう言った。
「ため口を使うように強制する。そんなハラスメントで訴えられても知りませんよ?」
「ハラスメントか。時代だな。」
「そうさ、もうあの頃と同じじゃあない。偉くなったな大林。」
横に並んだ上田は私の脇腹を肘で小突いた。10年ぶりの彼の肘打ちに懐かしさと寂しさを感じた。
入社から30年弱、私の周りからは人が減っていた。もちろん社内で孤立しているであるとか、小さなプロジェクトに参加しているために人員が少ないというわけではない。同期や先輩のほとんどは転職や退職をし、出世レースを勝ち抜くにつれて対等な立場の同僚は減っていった。転機になったのは10年前の子会社への出向だった。子会社の立て直しを命じられた私は、出向前に在籍していた経営戦略課から社長としてその会社に赴き、その会社での働きぶりを評価されて今の立場に昇進した。当時の経営戦略課で私とともに働いていたのが上田だった。
「偉く、か。」
そう言われることが増えた。そう言われたかった訳ではなかったのに。
「なんだ、嫌味か?」
「いいや、違うさ。確かに私は偉くなったと思ってさ。」
「やっぱり嫌味じゃないか。」
上田はそう言ったが、気分を害した様子はなかった。続けて彼が言う。
「まあ、そっちにはそっちの苦労があるんだろうけどさ。お互い大変だな。」
扉のほうを向きながら彼は肩をすくめた。彼の横顔には複雑な表情が浮かんでいた。あのとき経営戦略課で見ていた、はつらつとした未来を見据えた表情ではなく、後ろ向きな表情だった。
「俺さ、今日でこの会社辞めるんだ。」
「そうか。」
自分の口から飛び出た冷たい反応に、もはや驚きはない。別れなんて社会人には付き物だ。
「止めないんだな。」
寂しそうに言う彼に私は少しだけ俯きながら言う。
「そんな資格、もうないさ。」
失くしたのだ、10年前のあの日。
「10年前のこと覚えてるか?」
「さあ、忘れたよ。」
そう言った、忘れるはずもないのに。
「あの日、あの辞令が俺宛だったらどうなっていたかな?」
10年前の子会社への出向命令は当時中堅社員として名が知れていた私と上田のどちらかに下されるだろうと噂されていた。私と上田のどちらに辞令を出すかを決めたのは当時の上司だった。
私はあの上司に選ばれたわけではない。上田が選ばれなかったのだ。
「その場合はきっと、今から私たちが降りる階が逆になっていただけだよ。」
10年前の私と上田には既に妻がいた。そして上田には6歳の娘もいた。そしてそれが上田が子会社に出向させられなかった理由だった。激務になると予想される仕事に娘を持つ父親を向かわせることはできない。そう判断されたのだ。
「そうなのかもな。」
上田は小さくつぶやいた。
私は彼の左手に指輪がはめられていることを確認し、右手で自分の左手の薬指を撫でた。そこにかつてあった指輪はもうない。
失ったものと得られた立場は釣り合っていなかった。
しかし、それに気づいた時には既に手遅れだった。
「でもさ、俺はお前にそう言ってほしくないんだ。」
上田はこちらを向いてそう言った。その目はまっすぐにこちらを見つめていた。
「わかるだろう?頼むよ、もう時間がない。」
既にエレベーターは30階に差し掛かろうとしている。
「わかった。」
私には彼が欲しがっている言葉がわかっていた。
「あの時、辞令を受け取ったのが上田だったら、」
彼は私の目を見つめている。
「私みたいにはなれていないさ。お前に家族がいなかったとしても、私のような成功はできていない。あの仕事は私だからできたんだ。」
嘘だった。はっきりと口にした言葉には真実など一つもなかった。けれど上田は晴れやかな顔をして微笑んだ。
「そっか。そうだよな。俺も、そう思う。」
彼は扉に向きなおった。
私には彼が羨ましかった。あの日選べなかった選択肢のその先とその結果を享受した彼が羨ましくて妬ましくて、心底憎かった。
「ごめんな、そんなこと言わせて。」
謝るなよ、勝手に楽になった癖に。
静寂に満たされたエレベーターに到着音が響いた。開く扉に向かって踏み出しながら上田は言う。
「俺はここで降りるよ。」
私は黙って彼を見つめた。
「本当はさ、俺はお前みたいに」
扉は閉まり、続く彼の声は聞こえなかった。私はその先に続いたであろう台詞を想像した。彼はもういないけれど、一人残されたエレベーターの内側で返事をした。
「俺もそう思ってる。」

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