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住処を得よ、足を得よ、自由は自分で掴み取れ
以前自分が投稿したツイート、140文字気にして区切るとモヤモヤが残るのでnoteで改めて整理しようと思う(見れる人はツイート本体のツリーを見てね)。
会社の人間見てて色々思ったけど、実家住まいの人はどこかで一人暮らしするか、或いは自分で車を買って維持する経験をしたほうがいいと感じた。当然したくても出来ないそれぞれの事情はあるかもしれないが。
— 日暮里 (@nippori_3654) September 17, 2020
まずは(誰得な)自分の話からしていこう。
今住んでいるアパートは実家最寄り駅を挟んでちょうど反対側、距離も車で10分程度だ。別に実家近くに住みたいと思ったことは無く、利用したい店への利便性や諸々の条件で探したら、結果的にこうなってしまった。「一人暮らしする意味無くね?」とはよく言われるが、ごもっとも。言葉に出来ない。ラーラーラー(来いよJ○SRAC)。
それに加えて普通車を所有している。新卒で地方移住したときに買い、転職で実家(車あり)に戻ったときも別に駐車場を借り、今も所有し続けている。趣味という面も多少あるが、カーシェアも普及している今、利便性とか考えて必要かと問われたら正直必要ではない。毎年かかる維持費で年2回海外旅行したほうが楽しいんじゃないかと思ったことは何回もある。
家と車、即物的に見たら多分無駄なんだろう。それでも実家を出て、車を持つ理由は、雑に言えば「自由のため」だ。
#私の思う自由
noteをめぐると度々「自由」という言葉について語る記事を見かける。まあ、そういうのが丁度いいサービスだもんね。
「星川銀座四丁目」という(平たくいえば百合)マンガの中にあった言葉、自分はこの言葉を忘れない。(※女同士の年の差同棲恋愛モノです)
「乙女 自由ってなんだかわかる?」「...思い通りにしていいこと」「ブー 自分で落とし前をつけるってこと」
星川銀座四丁目 上 (MFC) Kindle版https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06XDG63GK?storeType=ebooks&ref_=msw_c_B06XDC1WPX_rwt_hgbx_mbtp_sr_1_1_img
湊が「乙女がキスをするのは自由にしていい」と決める。誰かに見られた場合、乙女は未成年なので"落とし前をつける"として湊は教員を辞め、それを落とし前として受け入れる、それが自由だと。
実家を出て、昼に起きて夜まで酒呑みながらAmazonプライムで映画マラソンする自由、同居人を気にせず恋人を連れ込んで「まうまう」するような自由を得た。その代わりに生活費を考える経済的な落とし前、そのための行動を改めたり節制するのも落とし前だ。
車を持つことにより、何事にも縛られず思い立ったときに銭湯やちょっと遠い国道沿いの店に飯を食いに行ける自由を得た。その代わりに多額の維持費と、運転一つで大量殺戮できてしまうリスクに対して落とし前(保険)をつける。
そういった"自由"と"落とし前"からなる方程式、因果応報の逆?等価交換?って言って正しいのか分からないが、こればかりは実家に居座っている限り理解することが出来ないと感じた。一度移住で離れて理解はしているつもりだが、実家の気楽さに溺れたらきっと忘れてしまいそうだったから家を出た。
その家とその車、親は金を出しただけだと思うなよ
さて、ここからは他人に対してのお話。人により実家を出れない事情はあると思うので、それは理解する。そうじゃない人からよく聞くのは
「家賃や食費としては○万入れている」「家事は自分でやってる」「ガソリン代は自分で払ってるよ」
こういった発言の中に潜んでくるまずい思考は
「少しばかりの金や労力を出しただけで全てを手に入れたような思い込み」
だいぶ前に別れた元彼女(実家住み)が、同棲の話になった途端に「私は通勤で車使うんだから新車でミニバン買ってよね!(新車がいくらすると思ってるんだ(# ゚Д゚))」「私の部屋は2つあって当然でしょ!私は働いて疲れてるのに!(俺だって働いてるYO!)」といった具合で喧嘩になりましてね。そこで色々と確信したわけですよ、「ああ、金出せば全て自分の支配下にあると思っているんだな」と。
まず住んでいる家について、家主は支払い以外の様々なことに頭を悩ましたはずだ(以下はあくまで想像です)。
「今の給料ならローンor家賃は幾らまで大丈夫か」「この土地なら家賃相場もよさそうだが、家族の通勤と通学との兼ね合いは大丈夫か」「災害が起きても家族は守れる場所か」「スーパーが遠いが生活に不便を感じないだろうか、そこから家族にストレスが生まれないだろうか」
他にも色々あるかもしれないが、一人暮らしで家を探すとなってもそれなりに悩んで、不動産屋を回って、先人に聞きまわったりすると思う。それだけの苦労と苦悩があった故に今の暮らしが出来ているわけで、それは食費4万を財布からポンと出して得られるものではないことを忘れてはならない。
家と同じく車も一緒だ。よほど金が余っている人や専ら趣味で選んでいるとかでない限り車の購入だって色々考えているはずだ。維持費にせよ駐車場にせよ、考えるべき事項は多い。
家や車にしろ親は口に出さないし言語化して意識しているわけでもないかもしれないけど、自由にしていいのは両親の許容範囲という鳥かごの中だけだ。自由に使っていいからと車で崖からダイブする007ごっこや、ホームアローンごっこを認める親はおらんやろ。実家に寄生するジェームズ・ボンドなんて見たくねえよ(そこじゃねえ)。
#自由は自分で掴み取れ
実家に対する文句を言う人へ
まずは家を出よう。家の何に対して文句があるのか知らないが、"which"は2つの比較対象が揃って初めて成立するものだ。まずは比較対象を知る義務を果たして権利を主張するべきだ。
自由が欲しいと思った貴方へ
最低限落とし前をしっかり自分でつけられるなら、何もやっても自由だ。貴方の人生は貴方だけのものだ。誰にも邪魔されず、好きな時間に起きて、好きな音楽をかけて、好きな人と話をすればいい(別れ話にならないことを祈る)。
空がキレイな日は、中古だけど頑張って買った車に乗って、Spotifyで好きなプレイリストをかけて、眺めの良い展望台へ行こう。甘いものが欲しくなったら、近くの牧場にジェラートを食べに行こう。