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ドラッカー学会糸島大会の広報をどうすべきか?

今、ドラッカー学会糸島大会の実行委員長をしている。

そこで、広報の難しさ、あるいは広報の本質に直面しているので、「広報」というものについて考えてみたい。

まず、ものごとは何か利害関係のある人が言っても伝わらない。メッシ選手本人が「ぼくのプレーは素晴らしい」と言っても全員無視する。メッシの奥さんが言っても無視するが、サッカーにくわしくないそこらのおばちゃんが「メッシが好きだ」と言った瞬間、80%くらいの人がおばちゃんにそう言わせたメッシに興味を持つ。これが広報の本質である。本人が発してはダメだ。関係者が発してもダメだ。おばちゃんが発信しなければならない。

この「利害関係のないおばちゃんに発信させる現象」のことを「転ばす」という。どれだけの人を転ばせられるか。それが広報の勝負だ。その意味で、営業と広報は少し違う。

営業は、相手を助けるのが仕事である。キーエンスは、困っている社長さんの問題を解決する。「御社の問題を解決するソリューションを提供できますよ」と言う。だから案件を取れる。けっして「助けてください」とは言わない。「助けてあげますよ」と言う。「助けてください」と言う営業は最低である。「ありがとうございます」も言わない方がいい。相手に「助かりました」「ありがとうございます」と言わせるのが営業の仕事である。

一方広報は、そもそも興味のない人を惹きつけるのが目的である。サッカーに無関係のおばちゃんがメッシを激賞すると、通りすがりの人も「ん?」と感心を示す。ここが広報のゴールと言ってもいい。通りすがりの関心を引きさえすれば、あとは営業が客の困りごとを助ける。そういうリレーが肝要である。

ところで、なぜメッシはおばちゃんを転ばすことができるのか? それはプレーが「変態」だからだ。その変態さはおばちゃんでも分かる。なぜならセクシーだからである。メッシのプレーには変態的なセクシーさがある。これがだいじなのだ。

人を転ばせられるものには必ずセクシーさがある。逆にいうと、人はセクシーに転ぶ。おばちゃんも、メッシがセクシーだから転んだのだ。

だから広報は、広報したいもののセクシーさを伝えなければならない。それで人々を転ばせなければならない。そしてくり返しになるが、セクシーさとは変態のことである。それはメッシ自身が変態ということではなく、そのプレーが変態的なのだ。メッシと同様に、クリスティアーノ・ロナウドも羽生結弦もプレーが変態的だ。大谷翔平などは大変態だ。

そのため、広報は広報したいものの変態さを伝えなければならない。それで人を転ばせなければならない。ドラッカー学会糸島大会でも、その変態性を伝えなければならない。

では、ドラッカー学会糸島大会の変態性とは何か?
それは、これこそ自分で言うのもなんだが、ぼくが独裁で運営しているということだ。全てのことはぼくが決め、実行している。これはドラッカーやドラッカー学会の一般的なイメージからはほど遠い。このことを、知らない人は多い。

だから、ドラッカー学会糸島大会の広報において重要なのは、「岩崎さんがいかに気が狂っているか」「岩崎さんがいかに異常か」ということを伝えることにある。そういう結論が出てしまった。ぼくの変態をアピールするのである。これで転ぶ人は少なからずいるだろう。

すぐれた広報は、おばちゃんに「メッシはすごい」とは言わせない。おばちゃんに「メッシは変態である」と言わせる。同様に「大谷翔平はすごい」とは言わせない。「大谷翔平は変態である」と言わせる。

これが答えなのだが、正直、このニュアンスを理解するのはすごく難しい。ただ単に「岩崎さんは狂っている」と言ってもダメなのだ。自分の言葉で、心から「岩崎さんがいかに変な人か」を言うことがだいじなのである。

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