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天皇皇后両陛下、沖縄県行幸啓 ―両陛下の御心と沖縄県民の心(「日本の息吹」令和5年5月号より)

日本会議地方議員連盟  幹事
呉屋ごや ひとし 宜野湾ぎのわん市議会議長
日本会議地方議員連盟  幹事
外間ほかま つよし 豊見城とみぐすく市議会議長

御即位後、初めてとなる沖縄行幸啓。お迎えした沖縄の人々が語る、両陛下の御心とお姿

鳴り止まない宜野湾(ぎのわん)市民の拍手

― 昨年10月22日、23日、天皇皇后両陛下には、ご即位後初めて沖縄をご訪問になられました。今回は、沖縄県で両陛下をお迎えされた先生方に当日の様子などのお話を伺います。

呉屋ごや この度のご訪問は、国民文化祭と全国障害者芸術・文化祭の開会式にご臨席のため、沖縄県をご訪問されました。また沖縄は復帰50年を迎えたこともあり、そうした節目にご訪問いただくことができました。

 私は現在宜野湾(ぎのわん)市議会議長を務めているのですが、今回の開会式が宜野湾市での開催でしたので現地でお迎えさせていただきました。

 宜野湾市にご到着後、ラグナガーデンホテルでご休憩いただきました。私はロビーの入り口で厚労大臣や文科大臣、県知事らと一緒に待機しておりました。ロビーで簡単に自己紹介などをした後、両陛下はエレベーターに乗られました。このホテルのエレベーターは、背面がガラス張りになっていて、中から外の景色が見える仕様になっているんですね。私たちは両陛下が乗られたエレベーターが上がっていくのを下から見ていたんですが、すぐに陛下がガラス越しに私たちがお見送りしているのにお気づきになりまして、笑顔で手を振って下さいました。わずかな時間でしたが、いつでもいろんな人への気遣いをお持ちなんだと、そのときにしみじみと感じました。

― ご即位後初めての沖縄ご訪問。また普段なかなかお越しにならない宜野湾に来ていただけたことを、市民はどのように受け止めていたのでしょうか。

呉屋 やはり嬉しいことですね。市民からも、大変ありがたい、という声を聞いています。開会式の時、陛下はおそらくウージ染(さとうきびを利用した染め物・織物)のネクタイをしていらっしゃったようにお見受けしました。そういった心遣いにも、親しみが湧いてきます。会場に集まった人たちも同じような気持ちだったのでしょうが、両陛下のご退席の際には、大きな拍手が湧き起こり、ずっと鳴りやみませんでした。

 昨今の新型コロナウイルスの影響でイベントなどの開催にはいろいろな制約があります。その中で、両陛下のご臨席も賜りながら文化祭が開催でき、ほっとしています。帰り際に陛下からも「ご苦労さまでした。開会式の準備など大変だったのではないですか?」とにっこり微笑んでお声かけを戴けたことは、私の中で宝物となっています。天皇陛下の優しいお人柄が、体全体からにじみ出ていたと、肌感覚ですが、そのように感じました。

沖縄県に寄り添われる両陛下

― 翌23日は、豊見城(とみぐすく)市にある工芸の杜(もり)で、陶芸品や織物などのご視察と、子供たちの物づくりの様子をご覧になりました。

外間ほかま 私も豊見城(とみぐすく)市議会議長を務めていますので、工芸の杜で両陛下をお迎えしました。

 最初、入り口でお迎えし、ご挨拶したのですが、その際陛下から野球の話が出て、驚きました。

― 野球ですか?

外間 昭和50年、私が小学2年生の時に、豊見城高校(とみしろこうこう)が初めて甲子園に出場し、準々決勝まで進んだんですね。それ以降、豊見城高校は全国的にも有名になりました。陛下は私より少し年上ですが、おそらくこの時のことが記憶にあったのだと思います。当時、大変な活躍をした赤嶺賢勇(あかみね・けんゆう)選手について陛下の方から話題に出されました。赤嶺選手はその後巨人に入団したのですが、そのことについても「練習をよく見に行きました」とおっしゃっていました。私もずっと野球をしてきましたし、現在も少年野球に携わっていますから、陛下が沖縄の野球にご関心をお持ちだ、ということを知り、とても嬉しかったです。

 それから皇后陛下からは、「豊見城市に来るのは二度目です」とお声かけいただきました。

― 皇后陛下は妃殿下時代以来、26年ぶりの沖縄ご訪問だったようです。

外間 陛下が沖縄のことにご関心をお持ちだということや、皇后陛下が前回のご訪問のことも覚えていただいていた、ということに、ただただ感動した、というのが感想です。

 工芸の杜では、私たちは少し離れたところから同行していたため、職人や子供たちとのやり取りは、ほとんど聞こえませんでした。ですが、作業したりお待ちしている人、一人一人に丁寧にお声かけをされている様子を見ることはでき、また声を掛けられた人たちも、嬉しそうにお応えしているのが印象的でした。子供たちも、数名にお声かけをされる予定でしたが、両陛下は全員にお話をされました。時間はオーバーしましたが、そうやって沖縄の人たちに寄り添おうとしてくださる姿が、ありがたかったですね。

 それから私が驚いたのは、沿道でお迎えしている市民の姿です。工芸の杜からバイパスに続く道が、約2.4キロあるのですが、隙間なく人が並んでお見送りしていたんですね。当日は、10月といえどもまだまだ暑い時期でしたが、2時間くらい前から人が集まり始めて、並んでいる様子を見ると、豊見城市民も両陛下のご訪問を大変喜んでいるということが伝わってきました。

― それはすごいですね。

沖縄戦、慰霊の御心

外間 私自身は、実は昭和50年、上皇陛下が皇太子として初めて沖縄県をご訪問されたときに、同じく豊見城の沿道でお迎えしました。市内にある旧海軍司令部壕跡に慰霊のために向かわれる両殿下を、日の丸の小旗を振りながらお見送りしました。今回もまた豊見城で両陛下をお迎えし、そして沿道で小旗を振る市民の姿を見ながら、当時のことを鮮明に思い出しました。

呉屋 両陛下の慰霊のお気持ちの強さも改めて感じましたね。那覇空港から文化祭の開会式を行った宜野湾市は、沖縄戦の慰霊碑が立ち並ぶ摩文仁(まぶに・糸満市)とは逆方向になります。しかし両陛下は沖縄到着後、まず摩文仁をご訪問されました。会場とは逆方向なのに、わざわざ慰霊のために摩文仁に行かれたのです。 沖縄戦の慰霊の御心をお持ちだった上皇陛下の御心をお継ぎになって、今上陛下も慰霊をしてくださっていることを強く感じ、沖縄県民として感謝の気持ちでいっぱいになりました。

(令和4年12月11日インタビュー)

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