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靖國神社の英霊に感謝の誠を捧げて30年(「日本の息吹」令和4年11月号より)
日本会議地方議員連盟 会長代行
小礒 明 東京都議会議員
日本会議地方議員連盟 副会長
小島 健一 神奈川県議会議員
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日本会議地方議員連盟は、 毎年8月15日に靖國神社に参拝をしている。参拝し続けて30年、靖國神社参拝に込められた思いとは
先輩議員から受け継いで来た靖國参拝
― 日本会議地方議員連盟では、毎年8月15日に靖國神社への参拝を行っており、今年で30年目の節目を迎えられました。
小礒 東京都議会の有志メンバーが集まって、8月15日の靖國神社参拝を始めたのが、平成6年のことです。私はまだ議員になる前で、野村有信先生や古賀俊昭先生などが呼びかけられて、有志での参拝が始まったんですね。その後平成10年に、東京都の日本会議地方議員連盟が、全国で最初に結成されましたので、以後は、議連のメンバーに呼びかけ、参拝しています。
私が都議会議員になったのが平成9年です。当時は青島幸男都知事でしたが、その後に石原慎太郎さんが東京都知事になりました。石原さんは、終戦記念日に毎年靖國神社に参拝するのは当然だ、というお考えでしたから、参拝の度に、私たち都議は神社でお迎えして、いつも言葉を交わしながら、参拝していました。
― 有志での参拝から議連での参拝へと発展していったのですね。
小礒 東京都の地方議員連盟の初代会長は熊本哲之先生が務められるなど、大先輩たちが多くいらっしゃったのですが、その先輩方から、当時一年生議員だった私に事務局長をやってくれと頼まれました。参拝の後には直会(なおらい)をするのですが、そこで一人一人、参拝の感想や思いなどを述べるんですね。そこで先輩たちが語られる国家観や英霊への思いなどを聞いて、とても勉強させてもらいました。
小島 私は今年で議員になって20年目ですが、終戦の日の靖國神社への参拝は今年で18年目です。
私は、もともとはノンポリだったのですが、外資系の会社に勤める中で、日本人だという自覚が生まれ、愛国心が芽生えました。その後、縁あって神奈川県議会議員になりました。
神奈川県は日教組の組織率も全国トップクラスで、私が政治家になった当時、県立学校の卒業式もかなり荒れていました。そこで私が最初に取り組んだのが、歴史認識の問題や国旗国歌、式典での不起立教員の問題でした。そのような活動の中で、鎌倉の伊藤玲子先生とご縁をいただき、靖國神社に参拝するようになりました。
日教組や左翼系団体など私が議会で戦ってきた人たちは、先の大戦は侵略戦争だったと主張します。私は靖國神社に来る度に「自衛のための戦いであり、まして白人国家と戦った英霊に対して、その死を侮辱することは決して許されない」という思いで参拝しています。
歴史を顕彰し、英霊に感謝
― 都議会の先生方が参拝を始められた頃は、村山内閣でしたね。終戦50年を迎えるにあたり、侵略戦争史観が広まり、平成7年には謝罪決議や村山談話などが発表されました。
小島 まさに私が議会で戦い続けてきたのが学校教育における歴史認識に関わる問題です。教科書問題や不起立教員のことなども、私以外の議員が議会で取り上げることはほとんど無かったと思います。しかし、サポートしてくださる民間の方々の協力もあり、その活動を続けることで、神奈川県の状況はある程度是正されてきました。
小礒 戦争について描かれた日本のドラマや映画は、日本軍は卑劣で卑怯というような印象を与えるようなものが多いように感じています。私はこのことにとても耐えられない。
大東亜戦争では、わずか15歳の少年飛行兵をはじめとして若い方々が国の行く末を案じながら、出陣していかれました。特攻隊のご遺書を読みましたが、いろいろな思いを抱えながらも、最後には国の為に命を投げ出すわけです。まず私たちは、英霊の方々が尊い命を公に捧げたという事実をきちんと受け止めなければならないと思っています。
沖縄に行きました時に、沖縄戦の戦跡を巡ったことがあるんですね。現地に行くと、よく戦ったなあと。沖縄県民もそうですが、日本の軍隊も良く戦ったと、ひしひしと感じました。大物量の米軍を相手にして撃退に次ぐ撃退を展開したわけです。もちろん司令部の作戦の失敗などもあり、それによって混乱が生じて、多くの民間人が亡くなったという側面もあるでしょう。でも若い青年将校たちは最期の最期まで勇敢に戦っているんです。そのことを思うと、涙が止まりませんでした。
そういう勇敢な姿にたいして敬意を表して、ハリウッドでは「硫黄島からの手紙」や「ウルフと呼ばれた男」などの映画が作られています。
私一人がスピーカーとして、そういうことを発信していくことには限界がありますが、多くの仲間やメディア、心ある人々との連携によって、英霊への感謝の心を起こしたり、大東亜戦争を理解してもらったりできるのではないかと考えています。
小島 国旗国歌に反対する不起立教員など日教組の人たちは、村山首相の言う侵略戦争史観ですから靖國神社を嫌うわけです。そういう人たちと戦う中で、私の中には、 英霊の方々はアジア諸国を植民地から解放するために大東亜戦争を戦っていたという認識がどんどん強くなっていきました。
しかしその侵略戦争史観も、突き詰めていけばGHQの占領政策によるものです。何としても、GHQに刷り込まれた自虐史観を正さなければならない、それが英霊に対する我々の義務だと思います。
安倍元総理は「戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げられましたが、私の活動もまさにこれだったと思っています。今年の参拝の時には安倍元総理のことも思いながら参拝しましたが、その意志をしっかり継いでいかなければならないと強く思いました。
小礒 石原元都知事、安倍元総理、お二人とも、その訴えはいつも心に響いてきました。そして非常に思いやりがあって気配りなさる方々なんですね。指導者とはこういうものである、ということを私はお二人から学びました。
8月15日の議連としての靖國神社参拝をこれからも続けていきたいと思いますし、歴史認識や国家のことなどを共に考えて行ける仲間にも、ぜひ参加してもらえたらと思っています。
(令和4年8月15日インタビュー)