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女性の目線で日本を元気に!―私が決意すれば地域が変わる(「日本の息吹」令和6年5月号より)

日本会議地方議員連盟女性局   幹事
宮坂奈緒  千葉県議会議員
日本会議地方議員連盟女性局 局長代理
槙尾絢子  高知県議会議員
日本会議地方議員連盟女性局 局長代理
岩重あや 鹿児島県議会議員

日本会議地方議員連盟では、各地で女性議員が活躍されています。政治を志したきっかけ、そしてこれからの思いを伺いました。


■私が政治を志したきっかけ

宮坂 私は、短大卒業後20歳で衆議院議員・森田健作さん(元千葉県知事)の事務所に秘書として就職しました。その後、事務所が解散して、省庁の非常勤職員として週3回ほど勤務していましたが、その頃、同居していた祖父母に連れられて老人クラブの旅行会に頻繁に参加していました。そこで色々お話を聞いて、高齢者の方が困っていることがたくさんあるのに、なんで実現しないんだろうと強く疑問が湧いてきました。そういえば私の地区には市議会議員がいない、声を受け止める人がいないことに気がつきました。私は国会議員事務所で多くの選挙経験をしたのでノウハウはわかる、だったら私がと思い挑戦したのが28歳のときの市議会議員の選挙でした。おじいちゃん、おばあちゃんたちが本当一生懸命応援して下さり、3期当選を果たすことができました。その後、やはり県や国との連携が必要だと思い、県議に手を挙げ、これまで千葉県自民党ではI人もいなかった女性県議として、女性の意見がもたらす効果が必ずあると思いながら、県議2期目を勤めています。

横尾 私は、祖父が長らく村議を勤め、選挙区の五か町村が合併後、父が市議会議員に出て、子供の頃から政治や選挙が身近にある環境で育ちました。まさか自分が出るとは思っていませんでした。10年前に父から会社を継ぎ、中小企業の経営をしていますが、本社が海岸部にあり、東日本大震災の後、人口がどんどん減り、海岸部が衰退していくのを目にしてきました。また私自身、会社経営をしながら妊娠・出産を経験し、中小企業で女性が正社員として働きながら妊娠・出産することの大変さを痛感し、企業への行政支援の必要性を感じました。そんな時、選挙区で補欠選挙が発生して父や周りの方々から、これからは若い世代や女性が出る時代、と背中を押して頂きました。海岸の声を届けたい、そして進んでいない海岸堤防の耐震化などを進め、海岸部の暮らしを守って、女性がしっかり活躍できる社会をつくりたいと思って今、県議会議員として立っています。

岩重 お二人が決意した思い、大変共感します。私は早くからシングルマザーとして子育てをしていて、働きながらの子育はすごく難しいと感じて、このままサラリーマンとして働くのか、それともなるべく子供と一緒にいる時間を作るのか、大変悩みました。子供には、親が士業として独立開業して頑張っている姿を見て育って欲しいと思い、社会保険労務士の資格を取得しました。その後、市議会議員や国会議員の選挙のお手伝いに入る機会を頂き、また社労士の政治連盟で私達が上げた声を、議員の方々が聞いて下さり、制度を変えていくのを目の当たりにしました。地元では人間関係が希薄になっていたり、社労士として中小企業が困っている姿を見てきました。やはり議員として皆の声を届ける存在になりたい、自分が70、80歳になった時に後悔はしたくないという思いで県議会議員への挑戦を決めました。まもなく2年になります。

■これからの日本と私たちの思い

宮坂 市議会議員の時、日本青年会議所に入ったのですが、憲法についてよくわからない中で、憲法の委員会に配属をされ、副委員長になり憲法セミナーの講師として全国を回る立場になってしまったのです。そこから、憲法は国の形で根幹であること、今の憲法が一度も変わっていないことや、北朝鮮のミサイル発射、他国から領空・領海侵犯を受けていることなど知って、自分の中でストンと落ちて、憲法を変えないといけないと思うようになりました。専門家でない私か憲法に関心を持つ姿を示すからこそ、全国の若い人たちの憲法改正に向けての気持ちが変わると実感しました。一時期私は、日章旗のネイルをしていたのですが、ネイルサロンで憲法のお話をしてみると、「憲法って大事なんだね」と言ってくれたり、そういう経験もしました。

 そのJC体験を経て、県議会の先輩から日本会議のお話を聞き、いま入会をさせて頂いています。憲法改正は早くしなければいけないと思います。県議会の中で意識啓発、そして県民の方々にも憲法改正の意識を高めていけるように橋渡しとなる活動をしたいと思っています。

横尾 素晴らしいですね。私も今現役でJCをしています。私は議員の仕事は、南海トラフ地震対策や女性活躍の推進、周産期医療を守るといったことだと思い県議会に入りましたが、先輩議員から横軸の仕事をしっがりすることも大事だけれども、縦軸、日本の歴史やいまの日本の状況を学ぶことも大切だと教えて頂きました。地域で活動されている方々と話していく中で、私も日本の現状と他国の関係性など胸に落ちるところがあり、日本会議に入らせて頂きました。

 私自身、中学高校は国旗を掲げない、国歌を歌わないという学校でしたが、長らく柔道をしていて、オリンピックで柔道選手が日の丸を掲げるシーンは本当に日本を誇らしく感じる瞬間でした。日本に生まれて、自分の国が好きだ誇れると、若い世代、子供の世代が普通に思えるようになるよう頑張っていきたいと思います。

岩重 鹿児島県は、南北600キロあり、多くの島嶼部を抱えています。周辺諸国に緊迫した状況がある中、中国船が入ってきたという情報が耳に入ってきたり、鹿屋では緊迫している時期に夜中でも自衛隊の哨戒機が飛び立つ音が聞こえたり、ニュース等では出てこないけれども、危機の存在を身近にひしひしと感じるのが私の住んでいる地域です。日本を守っていくために、どうすればいいのか、もっと考えなければいけないと思い、憲法改正をはじめ、いろんな方から学び、状況を把握していきたいという思いで日本会議に加入させて頂きました。

 日本には誰かのためにという土壌があって、お互いが助け合い、補い合うところが私たち良いところだと思います。日本会議は、こういった日本古来の考え方を大事にしているところです。正しい国のあり方や国の成り立ちについて、私も勉強しながら周りにも広めていきたいと思います。

(令和6年3月30日インタビュー)

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