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地方議員の活動を生み出した首都圏地方議員懇談会(令和5年2月号掲載)

日本会議首都圏地方議員懇談会
第2代会長
松原成文  川崎市議会議員
第3代会長
吉村辰明 元豊島区議会議員
第4代会長
島村和成 江戸川区議会議員

地方議員連盟の源流となる首都圏の運動・組織を構想された初代会長・藤崎よしのり先生。その思いを偲び、首都圏では歴代会長が毎年墓参を行い志を新たにしている。


地方議員連盟の先駆けとして

― 日本会議地方議員連盟が設立してから15年を迎えました。地方議員連盟では、台湾や対馬への研修などの現地研修を行い、そこでの視察を基に、全国的な署名活動や集会を行ってまいりました。実はそうした活動が生み出された背景には、平成17年に設立した首都圏地方議員懇談会がありました。現在、地方議員連盟にかかわっていただいている先生方の中でも、そうした経緯をご存じない方もいらっしゃるかと思いますので、今回は、首都圏地方議員懇談会の歴代会長を務められた先生方にお話を伺います。

松原 首都圏地方議員懇談会は、平成17年3月8日に設立しました。その1年くらい前から当時墨田区議会議員だった藤崎よしのり先生を中心に約8名の首都圏の議員が集まり、準備をしてきました。藤崎先生が会長を務められることとなり、私は事務局長となりました。

 設立に向けた会議を12回ほど行ったのですが、その中で印象的だったのは藤崎先生が、組織として活動していくためには、各地区の議長など、地域のまとめ役の方にも参加してもらいたい、とご提案されたことです。藤崎先生は広い人脈をお持ちでしたから、各地の 地方議員に声をかけ、賛同者を集められました。その結果、設立大会には200名を超える地方議員が集まったのです。その中には、議長や自民党の幹事長経験者の議員もたくさんいました。このことが大きな後押しとなり、誇りある国づくりをしようと集まった仲間たちに勢いが生まれました。

― 設立後、どのようなことに取り組まれたのでしょうか?

島村 せっかく仲間が集まったのだから、楽しいことをやりましょう、ということで、みんなで様々な現場を見に行こうと提案しました。まずはイージス艦を見に行こうと。本日は、藤崎よしのり先生のご子息、藤崎こうき墨田区議に同席頂いていますが、藤崎先生からも皆に呼びかけていただき、その年の8月、横須賀に行きました。

松原 資料を見れば分かることもありますが、実際にイージス艦に乗り、そこで現場の自衛官から話を聞く、というその体験は、私どもにとって非常に画期的でした。今日の日本会議地方議員連盟では、台湾や対馬などの視察を行っておりますが、そのきっかけを作ったのは地方議員懇談会の横須賀視察だったのです。

 実は、会長だった藤崎先生は、その年の7月の東京都議選に出馬されましたが落選。その後、心筋梗塞で倒れてしまったのです。その際、私は藤崎先生から電話で呼ばれまして、次の会長は松原君にお願いしたい、と地方議員懇談会を託されました。わかりました、と引き継がせていただいたのですが、事務局長としてご推薦いただいたのが、当時狛江市議だった栗山欽行先生でした。以来、栗山先生は私どもの中心メンバーとしてご活躍いただいております。藤崎先生は、闘病の末、平成28年にお亡くなりになりました。毎年、首都圏の地方議員が集まって、お墓参りを行っています。今日もお参りに行きましたが、天国から見ていただいて、頑張れよ、と応援していただいているのかな、とそのような思いでした。

― 松原先生が会長に就任されたころは、教育基本法の改正運動が盛んでしたね。

松原 地方議員懇談会としても、教基法に関する勉強会を開催しました。また、所属する地方議員に呼びかけて、国会で教基法改正を協議してほしい、という意見書決議を上げていきました。全部で36都府県で決議を上げ、それを当時の安倍総理に届けました。平成18年12月に、教育基本法が改正された際には、私たち地方議員もやればできるんだ、と自信になりました。

吉村 大きなうねりを感じましたね。地方議員懇談会の活動が、国家的な動きに直結している。このことは、私たち地方議員も、国にとって大切な問題にしっかり目を向け、取り組んでいこう、という力になりました。

首都圏懇談会の現地視察体験から生まれた台湾研修

島村 平成19年には台湾の問題に取り組み始めました。当時は、民進党から国民党に政権交代が起るかもしれないという緊張感があり、12月に首都圏懇談会として台湾情勢についての勉強会を開催しました。

吉村 ちょうど日本会議地方議員連盟が全国組織として発足した時だったので、全国の地方議員に呼びかける形で、台湾研修を企画。翌20年5月に、地方議員連盟の第1回台湾研修を行いました。馬英九政権に代わったばかりの台湾視察ということで、現地の空気をひしひしと感じ、関係者から生の話を聞く、という貴重な体験となりました。

 首都圏懇談会で、現場を自分の目で見ることの大切さを実感していたからこそ、こうしたタイミングで台湾研修を実施することができたものと思っています。

島村 ほかにも台湾では、日本人の先人たちの史跡巡りもしましたね。誇りある国づくりというのは日本人としての自信を取り戻すことでもあると思っていましたので、そういうのもスケジュールに組み込みました。日本会議地方議員連盟だから行ける!会える!というのがあれば、参加した議員も、会員になってよかったな、って思ってもらえるでしょう。

吉村 そういうツアーに参加すれば、それが知恵となって、今度は自分のところの区民を連れていくこともできるわけです。

― 20年8月には、対馬視察も行いました。

吉村 国境の島である対馬で、自衛隊の隣の土地が韓国資本に購入されているなどといった話を聞き、危機感を覚えた我々は、対馬視察を行いました。これはかなり衝撃的で、その後、私たちがレポートを書いて、『対馬が危ない』というブックレットを出版しました。12月に超党派の国会議員が対馬を視察し、「防人の島新法制定の推進議員連盟」が発足しましたが、これもやはり私たちの視察報告が大きなきっかけとなっています。

島村 その後も与那国島や石垣島などへも視察に行き、それを国会議員や地方議員にアピールしました。平成28年に「有人国境離島法」 が成立しましたが、私たち地方議員連盟が積み重ねてきた対馬や与那国島視察が、その流れを作ったものであると自負しています。

松原 時流にマッチした活動、そして全国へのアピール。首都圏地方議員懇談会が、そうした基礎を築いたことを誇りに思うと同時に、藤崎先生に感謝の思いを一層深くいたします。

(令和4年12月13日インタビ ュー)


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